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32話

なんとか柊の家にやってきたものの、チャイムを鳴らすことさえもできていない。

 

 柊に対する猛烈な怒りが沈下していって今は見る影もない。代わりに後悔が押し寄せてきている。


 勢いで来てしまったけど、どうしよう。ここまで来れたけど、本当によかったんだろうか?


 俺の馬鹿。


 なんでその場の勢いとテンションで物事を決めちまったんだよ。キャラじゃねぇだろ。


「あら、なにか用かしら?」

「!?」


 突然背後から話しかけられて心臓が竦んだ。振り返ると綺麗で上品そうな女の人と小さな子供が手を繋いでこちらを訝しげにこちらを。


「えっと・・・・・・」


 もしかして、柊の家族?


 しどろもどろになって自己紹介も目的も説明できないまま無駄に時間がすぎる。女の人の目が不審者を見るものへと徐々に変わっていっているのもあるんだろう。気だけが急いていく。


「もしかして、美音お姉ちゃんのお友達〜?」

「あ、えっと、」


 純粋な眼で見上げてくる女の子の間延びした問いかけに、こくんと小さく頷いた。


「あら、そうなの?」

「はい、えっと、俺。柊さんと同じ○×高校の生徒です」


 よかった、女の人の警戒が薄れたのを感じてホッと一安心できた。


「よくわかったわね」

「うん。だってお姉ちゃんの学校の制服だし、それにあれ」


 女の子が指さしたのは、俺が持っている弁当の手提げ袋。昨日柊が忘れていっていたのでついでに渡そうと持参していたのだ。


「はじめまして。柊美音の母です。いつもお世話になっています」

「いえ、こちらこそ!」


 手提げ袋を確認したらしいお母さんは、目を一瞬見開かせたら徐に丁寧にお辞儀をしてくれた。そのまま二人に促されるまま、家の中へとようやく入れた。


「ごめんなさいね。あの子今寝ているみたいで」

「いえ。おかまいなく」


 リビングに通されて少し待たされると、お母さんはそう教えてくれた。そのままお茶やお菓子を用意してくれて、ひとまずは三人で過ごすことに。


 けど、またまたまずい。いくら柊の家族とはいっても初めて会う人と会話なんて荷が重い。気の利いたことや他愛ない話をするなんて、今の俺には無謀この上ない。


 来なければよかったんじゃね?


「ねぇお兄ちゃん」

「へ?」

「お兄ちゃんはお姉ちゃんの彼氏なの?」

「うぇ!?」


 唐突になにを言い出すんだろう。お母さんの隣にちょこんと座っている女の子、おそらく柊の妹は足をパタパタさせながら聞いてきた。


「お姉ちゃん、昨日お弁当作ってたの。それ、お兄ちゃんが食べたんでしょ?」

「うん。そうだけど・・・・・・」

「今までそんなことしてなかったのに。ねえ、ママ?」


 お母さんは苦笑して、頭を撫でた。


「女の人が男の人にお弁当を渡すなんて、好きな人にじゃないとしないもん。ドラマでも漫画でもそうだし」

「それは・・・・・・」

「もうキスしたの?」


 矢継ぎ早に投げかけられる質問に、タジタジだ。そんなことないって否定するのは簡単だけど、いかんせん俺達の関係は複雑すぎる。


「紫音。あまりお兄さんを困らせてはダメよ」

「ええ~~」


 よかった。こちらの意図を察してくれたわけじゃないんだろうけど、お母さんが止めてくれた。不満げに唇を尖らせてしまっている紫音ちゃん・・・・・・には申し訳ないけど。


「・・・・・・」


 あれ? なんだかお母さんの様子がおかしい。


 黙ったままこっちを意味深に見つめている。


 まるで、「実際のところどうなの?」と言わんばかりにこちらを見つめてくるんだけど。


 もしかしてお母さんもそこのところ気になってるの?!


 親子揃って家族の恋愛事情が気になってる?!


 そんでもって紫音ちゃんも同じようにこっちを見つめてくるんですけど! 純粋さしかない曇りなき眼で!


 心理的プレッシャーはさっきの比じゃない! むしろ悪化している!


 なんで?!


「柊さん具合は大丈夫ですか?! 体調不良だって聞いてたんですけど!」

徐にガッカリという色を前面に出されたけど、しょうがない。

「ええ。ちょっと熱がね。風邪ではないみたいだけど」

「そうなんですか・・・・・・」

「一番はメンタル的な問題かしら。最近はなかったんだけど」

「最近?」


 つい尋ね返してしまった。昔は体調をよく崩していたということだろうか? でも、俺の知っている柊は健康的な女の子で、とてもじゃないけど信じられない。


 ? でもメンタル的なって?


「あの子、学校だとどんな様子なの?」


 急に話題を帰られて、驚くよりも唐突すぎるという印象しかない。けど、和やかなお母さんにはどことなく真剣味があった。


 なにか大切なことを知りたがっている。そんな気がした。


「柊さんは、学校だと優等生ってかんじですね。成績いいし、男女問わず人気者です。いつも人に囲まれていますよ」

「そう・・・・・・」

「それに、先生達からも信頼されてて、男子からしょっちゅう告白されてますよ。高嶺の花みたいなかんじですね」

「・・・・・・それ以外だとどうかしら?」


 当たり障りのないことを教えていたけど、もう出尽くしてしまった。どうしようとおもったけど、なんだか催促されているというかんじじゃない。なにか大切なことを聞きたがっている素振りなんだ。


「ごめんなさいね。こんなこと聞いて。でも、あなたなら美音を誰よりも知ってるんじゃないかって」

「はぁ」

「家だとあまり学校のこと話さないの。聞いても問題ないわ、とか別に、とか」

「家だとそんなかんじなんですね」


 でも、なんとなく簡単に想像できてしまう。おもわず吹き出してしまうくらいイメージピッタリだ。


「昔はそういう子じゃなかったのよ? お喋りで天真爛漫で、ちょっとお転婆で。いつも怒っていたくらい」


 え、嘘。


 今の彼女からは想像できない。人付き合いは上手いけど、どこまでもクールで凛とした佇まいなんだから。


 いや、俺をモフっているときにもしかしたらそのときの片鱗が隠れているのか?


「あるときを境に、あの子は変わっちゃったわ。壁を作っているけど、それを悟らせない。無難な人間関係しか作らない。友達が家に来たのだって数年ぶりなんだもの」

「っ」


 家族だからこそ、他人よりも近いからこそ、わかるんだろう。真実味がある。


「でも、お姉ちゃん優しいよ?」


 姉を庇うような健気さで、ポツリと漏らす。幼いながらも妙な空気を察したんだろうか。


「紫音と一緒にお風呂に入ってくれるし、一緒に寝てくれるし。それに勉強教えてくれるし本も読んでくれるもん」

「そっか。いいお姉ちゃんなんだね」


 えへへ、と姉が褒められたのが嬉しいのか双眸を崩す。子供っぽさとどことなく柊の面影があるのに気づいてこっちも頬が緩んだ。


「あとおっぱいをおっきくするマッサージも教えてくれるんだよー!」

「ぶっ!」

「あとねー。おっぱいの形をよくするとかおっぱいをどうすれば――」


 おっぱいのことばっかりだな!?


「あとおっぱいを――」

 

 まだ続くの!? あいつ妹におっぱいのことしか教えてねえの?!


「あとどうすれば懐かせて従わせられるか――」

「紫音、ちょっとむこうでテレビ見ていなさい」

「はぁ~~い!」


 なんか気になること言い残したけど!?


 なにを懐かせるの!? 従わせるの!?


「・・・・・・あるときを境にって言ってましたよね?」


 バタバタと走っていった紫音ちゃんを尻目に、どうしても気になった点を挙げた。


 なにがあったんだろう、けど聞いてしまっていいんだろうか。矛盾した葛藤が胸の中で渦巻く。


 いや、聞きたい。知りたい。考えてみれば俺は柊のこと何も、知らないんだ。


 ただのモフリストとしての彼女しか。


 柊がなんでおかしくなったのか。その理由も付き止められるかもしれないけど。


 でも、それだけじゃなくて、なんか嫌だ。


 お母さんは少し逡巡したように手にしているカップの水面を見つめている。


「ペットロス症候群って聞いたことある?」


真剣な眼差しと声音に、聞き慣れないワード。自ずと姿勢が正された。


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