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88. ハチ

【あらすじ】ゴルフの練習場というのは、子供の私には恐ろしく退屈な場所であった。

 父に連れられてゴルフの練習場に行ったのだった。いわゆる、打ちっぱなしというやつである。バッティングセンターのゴルフ版とでもいおうか。何百メートルか先に高く張られた緑色のネットに向けて、横一列に並んだゴルファー達が、一心不乱にクラブを振り回す。バッティングセンターと異なるのは、あちらはマシンが放って寄越す球をバッターが打ち返すのに対し、ゴルファーは足元に転がって静止している球を打つという点。

 正直、子供心には何が楽しいのかわからなかった。

 天気がよく、多分、初夏または夏だった。私は半袖半ズボン姿だった。時々声をかけてくる見ず知らずのおじさん達を敬遠しながら、父親に買ってもらったソーダの瓶を片手に、パターの練習場を囲む雑木林の木陰で蟻を観察したり蝶を追いかけたりしていたが、それにも飽きて父の元へ戻った。

 子供の私のゴルフに対する興味は、一体いつ終わるのか、それに尽きた。繰り返し何度も、足元にボールを置いて、打つ。小さな籠に山盛りになったボールの山からまた一つボールを取って、置いて、打つ。家に帰って読書でもしている方が余程楽しかろうと思えた。なぜ姉を置いて私だけが父に連れられてゴルフの練習に行ったのかは覚えていない。

 ブースから少し離れた所に置かれたベンチに腰掛けて父のショットを眺めるともなく眺めていると、剥き出しの左腿のあたりにざわざわとする感触があった。

 蚊だ

 と思うより先に手が伸びていた。位置を目視確認してからでは、逃げられてしまう。血を盗まれた挙句、しばらく不快な痒みに悩まされるのは御免だったので、だいたいこの辺りというところを、思い切り平手で打った。

 左手に激痛が走って、私は思わず悲鳴を上げた。吃驚した顔の大人たちが、スウィングの手を止めて集まって来るほどの大声を出したらしい。

 何が起きたのかわからず、わたしは左手の掌と、左腿を眺めた。腿はなんともなかった。思い切り叩いたといっても、勿論自分で耐えられる想定範囲内での力によってだ。骨が折れたり怪我をしたりするはずがない。しかも平手だったのだし。

 左側の足元に、大きな蜂が落ちていて、身を震わせていた。

「蜂に刺されたんだ」と父の声。

 正確には、刺されたのではなく自分から針に向かって手を叩きつけたのだ、と心の中で訂正できる冷静さは残っていたが、針が刺さったと思われる左手は、見る見るうちに赤く腫れあがり、痺れるような強烈な痛みもあって、子供心に恐怖を抱いた。

 ゴルフ場の人が、虫刺され用スプレーのようなものをシューシューかけてくれた。患部の冷却が主たる目的だったのかも。そうしている間にもどんどん腫れは酷くなり、破裂して肉が飛び散るのではないかと不安になるほど膨れあがったが、病院には行かなかった。

 私の父親は、自分が丈夫な体を持ち、たまに風邪をひいたとしても、市販の咳止め意外飲んだことがない(それを服用することすら稀)という男であった。姉が公園で遊んでいる時に地面から突き出た鉄の金具でふくらはぎを切って酷く出血した時も、病院には連れて行かなかった。

 幸いアナフィラキシーショックに襲われることもなく、私は回復した。

「蜂に刺されたんだ」

 と言って私の足元に落ちてまだひくひくと動いていた蜂を、父は靴で踏みにじってとどめを刺したが、それは随分大きな体をしていて、長く伸びた胴体の黄色と黒の縞模様がやけに生々しく、いやらしく感じられたのを覚えている。

 あれは、スズメバチだったのだろうか。

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