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81. ハーネス考

【あらすじ】ショッピングモールの駐車場を一人駆け抜けて行く幼い男児。それを必死で追いかける赤ちゃんを抱いた母親。ホラーです。

 私は大型ショッピングモールが好きだ。映画館があり、書籍も洋服も買えて、フードコートもスタバーもある。パラダイスだ。

 都心部までは車で一時間ほどだが、もう、しんどいのである。人の多さが。田舎暮らしが長くなるにつれ、都会の喧騒に耐えられないという思いが募り、もう一生田舎暮らしでいいかと考え始めている。食事でもショッピングでも、わざわざ都心まで出る必要はない。何よりも、田舎のショッピングモールには満車になることなどまずないだだっぴろい駐車場があり、しかも無料だ。素晴らしくないか?

 その日は映画を観るためにショッピングモールへ出かけた。映画館側の屋外駐車場に空きスペースを捜したが、平日の午後だというのに、なかなかに混んでおり、建物の近くには停められなかった。かなり歩かなければいけないが、天気が良いので特に問題はなかった。駐車した場所をちゃんと覚えていれば。

 さて降りようか、と助手席に置いた鞄に手をかけた時、子供がものすごいスピードでフロントガラスの前を横切って行った。幼児と言っていい年齢の小さくころころした男児だが、驚くほど足が速い。恐れを知らぬハッピースマイルで、上機嫌で駆け抜けて行った。一瞬あっけにとられて見送ったものの、すぐに気を取り直し

「この、馬鹿親が!」

 と悪態をついて、焦って車から飛び出そうともがいた。週末ほどではないにしても、混雑しているショッピングモールの大駐車場で、あんな幼い子供を一人で駆けまわらせておく親に猛烈に腹を立てていた。子供が向かって行ったのは、ショッピングモールの建物のある方角で、駐車場と建物の間には、明らかにスピード出し過ぎでしょ、という車が、横断歩道に差し掛かる人が居るのも構わず通過していく危険極まりない車道が走っている。私は膝が悪く、全力疾走はできない体なのだが、他に誰もいないのであれば、自分が追いかけて捕獲するしかあるまい、という覚悟だった。

 しかし、車から転げ落ちるようにして降り、ドアを閉めようとした時、左腕に乳児を抱き、反対側の肩から大きなバッグを下げた若い母親が、先程の男児が駆け抜けて行った方向に、必死の形相で走って行くのが見えた。母親もまた、ものすごい勢いで私の前を走り去った。

 私の怒りは一瞬にしてしぼみ、お母さん、頑張って、と心の中でエールを送った。


 もう二十年近くも前になるが、私は当時ロンドンで貧乏な留学生をしていた。そこで、よちよち歩きの子供にハーネスをつけて歩いている母親に遭遇し、心が震えるほどの感動に打たれた。当時は、日本に居る甥っ子が五歳ぐらいだった。

 それは、公園を散歩中の親子で、子の背中の真ん中から伸びる一メートルほどの長さの紐の端を母親が握っており、おしゃぶりを咥えた男の子がまだおぼつかない足取りで楽しそうにあっちこっち動き回るのに合わせて、ハーネスが少したるむぐらいの距離を保って母親が後からついて歩くという光景。

 あれがあれば、一瞬目を離した隙に幼子が事故に遭ったり連れ去られたりする確率が飛躍的に下がるのだ。無論、動物用ハーネスから転用したアイデア商品であるが、実に素晴らしい。なぜこんなシンプルな方法を、もっと早くに思いつかなかったのだろう。これはたちまち日本にも上陸し、流行るに違いない。心の底からそう思い、発案者に対する称賛の気持ちしかなかった。私は、幼い甥を心から愛していた。

 それから二十年近くの月日が流れたわけだが、驚いたことに、日本では未だに「犬じゃないんだから」とか「親の怠慢だ」などと子供用ハーネスに拒否反応を示す者が多く、使いたくとも使い辛い状況があるのだという。


 うるせえ、ばーか!


 私だったら、子供の安全を願う親に対し、手抜きだなんだと好き勝手なことを言い白い眼を向けるような輩には、迷わずそう言い返してやるのだが。

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