76. 痩せる男
【あらすじ】ダイエットを始めたという巨漢の友人。その理由は、好きな人ができたからだという。
高校時代からの友人のヤマダは体重百キロを超える巨漢だ。陽気で一緒に居れば楽しい男だが、異性とは縁がなく暮らして来た。女性が嫌いなわけではない。できれば彼女だってほしい、結婚もしたい。だがそれにも増して食欲が勝つのだという。その潔さ(開き直りともいう)も、僕が長年ヤマダと交流を続けている理由だ。僕は痩せ型だがモテない。お互い彼女も奥さんもおらず、気が楽だった。
そのヤマダと久しぶりに会った時、僕は違和感を覚えた。居酒屋のテーブルで向かい合った彼が、しぼんで見えたのだ。
「もしかして……痩せた?」
えへへと照れ笑いを浮かべたヤマダを追及すると、なんと、職場の新入社員に恋をしたのだという。この男の食欲を抑制させるほどの女性とはいかなる美人なのかと問うと
「いや、そんなにすげえ美人てわけじゃない。背も小っちゃくて、百五十センチないくらい。でもなんというか、可愛らしくていい子ないんだよ。皆に親切でさ。俺みたいなデブにも優しくしてくれる」
でもそれは、新人だから先輩に気をつかっているだけではないのか、と問うと
「そんなこと、わかってるよ。俺だって、デブに親切にしてくれる優しい女性全員に見境なく惚れるわけじゃない。今回は……なんというか、俺ももう三十五だろう。そろそろ孤独に耐えられなくなったというか」
それで一念発起してダイエットを始めたのだという。この半年で二十キロ痩せ、中学生の時以来体重が二ケタに戻ったそうだ。恋の力というのは凄まじいものだ。
「それじゃあ、お前、こんなところで大食いしたら駄目だろう」
テーブルの上には、酒の肴がところ狭しと並べられている。二人とも酒はあまり強くないが、酒のつまみ的食べ物が好きなのだった。
「そんな急に少食にはなれないよ。極端なダイエットは体に悪いし必ずリバウンドするっていうしね。別に大したことはしてないんだ。食べる量を少し減らして、水泳を週二回するようになった。俺みたいなデブは、その程度のことで、ものすごい効果が出る」
痩せたことに彼女も気付いてくれた、とヤマダは嬉しそうに言う。何キロ痩せたと報告す度に彼女が褒めてくれるのが、やる気の元になっているらしい。
「彼女もダイエット中なんだって。確かにふっくらした見た目だけど、別にそのままでかわいいと俺は思うんだがなあ。『ヤマダさんに負けないように私も頑張らなきゃ』だって」
休憩時間には、二人でダイエット話で盛り上がるのだという。
「うらやましいなあ、おい」僕は正直に白状した。自分の職場では、そのような胸のときめくような出会いはない。可愛い新入社員が来たところで、僕なんかお呼びじゃないのだ。
ヤマダにすら彼女ができて一人取り残される日も近いと僕は覚悟した。勿論寂しいが、まあいいやつなんだし、今まで一人の彼女もいなかったのだから、友人としては応援したい気持ちの方が強かった。
それからしばらくしてヤマダから連絡があった。彼女にふられたので、ヤケ酒に付き合ってほしいという。
お互いの職場の真ん中あたりの居酒屋でいつものように待ち合わせた。ヤマダは前回会った時より更に痩せて、かなりすっきりした好男子になっていた。僕は素直にその感想を伝え、ダイエットの甲斐なくふられたのは非常に残念だ、と慰めた。
「あれから更に十五キロ痩せたんだ。今八十三キロだ。だけどな、元の百二十キロ近かった俺を長年見てきたお前は『すっきりした』って思ってくれるだろうが、冷静に眺めたら、やっぱりまだデブなんだよ、俺は。身長百六十五センチで体重八十キロ超えてたら、そりゃあ、デブだよな」
「それはそうかもしれないが、かなり健康的な見た目になったのは確かだし、今はデブっていうほどではないだろう」
彼女は痩せ型の男性が好きなのかと問うと、いいや、と暗い顔をしてヤマダは首を振った。
「最近彼氏ができたらしいんだが……俺よりも太った奴らしい」
「なんだ、じゃあ……痩せすぎてふられたってことか?」
「そうじゃない。彼女は男性の体形なんか気にしないと言っていた。だけど、俺ではだめなんだと。一緒に居るのは楽しいし、友達としてなら申し分ないけど、彼氏ってタイプじゃないって」
要するに、中身を否定されたのだ。
「それじゃあ、もうダイエットはやめるのか?」
「いや、せっかくだから続けるよ。胃が前より小さくなったみたいで、以前のような大食いはできなくなったし」
膝や腰の痛みから解放され、健康診断では人生で初めて医者から褒められ、彼女にいいところを見せようと張り切ったお陰で仕事は上々、上司の覚えもめでたく、ふられた以外はすこぶる順調なのだという。また別の誰かを好きになるかもしれないしな、とヤマダは寂しそうに言った。
ヤマダと別れた後、苦しくなった腹を押さえてベルトを緩めながら、自分もダイエットしようかと考えた。すっと痩せ型として生きてきたが、中年太りの呪縛からは逃れられず、じわじわ体重が増え続け、最近ではかなりズボンがきつくなってきていた。
でも……相変わらず恋人も好きな人もいない僕は、特に体型を気にする理由もないのだった。




