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72. 中学生新聞配達員の末路

【あらすじ】中学生の時、友人に誘われて新聞配達のアルバイトをしていた。

 中学生の時、新聞配達をしていた。友人に誘われたのがきっかけだった。二人で担任教師に許可を求めに行くと、アルバイトが許されるのは、家庭が経済的に困っている場合のみだ、という返事だった。

 私の家は父子家庭で、父親はサラリーマンだった。一方私を新聞配達に誘った友人は母子家庭で、母親はクリーニング店勤務だった。友人はバイトが許され自分は許されないということは理不尽なように感じた。友人は母子家庭のみ入居できる寮に母親と暮らしており、少なくとも家賃に関しては優遇されているものと思われた。父子家庭の私から見ると、同じ片親であってもそれが父親だと何一つ優遇されない社会というのは、著しく不公平に感じられた。

 非行に走っていたわけではないが、反発心旺盛だった私は、学校には黙ってアルバイトを始めることにした。

 学校が終わってから週六日夕刊を配る。それでひと月二万円に満たない報酬だった。初めて月給を渡された時に配達所の主から「額が多くてびっくりしたか?」と言われ、何の冗談かと思った私は、確かに経済面では困窮していなかったのだと思う。父親に言えば食費として一万二万はすぐに貰うことができた。その使い道を確認されたことはなかったので、おやつや書籍を買うのに流用していた。父は、子供には何の関心も払わない人だった。

 おしゃれには興味がなく、派手に遊び歩くわけでもない私のバイト代の殆どは、推理小説やホラー小説の購入に消えた。読書がほぼ唯一の趣味だったのだ。誰に遠慮することなく自分の稼ぎで好きな本を買えるというのは、非常に気分がよかった。

 とはいえ、雨の日も風の日も、夏も冬も関係なく新聞は配らなければならない。これはなかなか大変だった。新聞配達所は中学校からそう遠くない所にあったから、帰宅途中の生徒が店の前を通っていくのがガラス窓から見えることもあり、学校に隠れてバイトをしている身としては、知り合いに見られないために、こそこそ身を隠したものだ。バイト先には学校の許可を得ていないことは隠していたので、罪悪感は二倍。

 その日も、新聞配達所に向かう途中だった。夕方で薄暗く、傘を片手でさした状態で自転車に乗っていた。信号のない横断歩道にさしかかり、右側から直進してきたタクシーが、ゆっくりと近づいてきた。こういう時は本当にスローモーションみたいに見えるのだな、と後から感心したのだが、車は停止せず、私の真横からぶつかってきた。派手に横倒しになった私に、タクシーから降りてきた運転手が「大丈夫か」と訊き、私は「大丈夫」と答えた。車はそのまま走り去り、私は、あちこち骨が折れて使い物にならなくなった傘をひしゃげた籠に突っ込み、ハンドルが曲がってしまい、左に切った状態でないと直進できなくなった自転車でどうにか配達所に到着し、遅刻の理由を「転んだ」と説明した。私の力ではいかんともし難かったひん曲がった自転車のハンドルは、配達店の主が馬鹿力で直し、まだ少し歪んでいるものの、どうにか真っ直ぐ走れるようになった。右の脛が酷く痛むのをこらえ、雨に濡れながら、私はどうにかその日の配達を終えた。

 事故に遭ったことは、誰にも言わなかった。父がいかに子供に無関心とはいえ、バイトに向かう途中で事故に遭ったと知れば、叱られると思ったのだ。万一学校に知られては困るから、病院にも行かなかった。信号のない横断歩道を、左右をよく確かめもしないで自転車で直進した自分にも非があると思っていた。

 あの事故で負った諸々の擦り傷や打撲等の怪我の中で、右脛の激痛は、私がこれまで経験したどの痛みとも異なっていた。恐らく、骨にヒビでも入っていたのだろう。痛む部位に湿布をするとか、鎮痛剤を服用するとかいう知恵もない中学生だった(そういうことは子供が自発的に始めるものではなく、親にしてもらった経験からそうするものだと学ぶものであろう。私にはそういうことを教えてくれる人間がいなかった)ので、痛みが去るまでの数週間をただひたすら我慢して過ごした。その部分をさすってみると、今でも少しへこみがあるような気がする。

 あの時のタクシードライバーは、事故を起こしたことが露見しなくてよかったと胸を撫で下ろしたのだろうか。会社にばれれば、馘にされたかもしれない。あんな事故のことはとっくに忘れてしまったのだろうか。もう三十年以上昔の話であるから、既に鬼籍に入っていてもおかしくない。事故直後は大丈夫そうに見えても実は大丈夫ではなく、後から亡くなったりしていないかと、少しは自分が轢き逃げした中学生の身を案じたことがあったのだろうか。あの時は大丈夫と言っていた中学生が、家に帰ってから事故のことを親に話し、警察が自分を捕まえに来るのではないかと不安で夜も眠れない日々を過ごしたとか。

 私がまともな家庭の子ではなかったことに、あのドライバーはせいぜい感謝するべきだ。

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