32. 音楽の時間
人は何を忘れて何を覚えているか、選択することはできない。
小学校では、一年生から六年生までずっと一組だった。少子化は既に始まっており、自分の学年のクラスは二組までしかなかったから、確率は二分の一だったわけだが。
担任が誰になるかは、大きな問題である。新年度の始まりに朝礼で新しい担任が発表されると、子供の事であるから、容赦なく歓喜や絶望をあらわにしてしまう。五年生の時の一組の武田先生は大当たり、四年一組からの持ち上がりで、温和で楽しい先生だった。五年二組は外れ。これも四年二組からそのまま五年二組の担任へ繰り上がった吉田先生。
「五年二組、吉田先生」
と校長が発表した時の五年二組の生徒達の落胆ぶりは、子供ながらに吉田先生が気の毒になるほどだったが、その実、自分のクラスの担任が彼女ではなかったことに胸を撫で下ろしてもいた。
吉田先生は、なんというか、性格がきつかった。小学生の我々は、子供がやりそうな悪事やろくでもないことをごく普通にしでかすのだが、そういう時の対応も、教師によってまちまちで、武田先生であれば、余程度を越した行為でない限りはやんわりと注意するに留まり、当時の子供というのは教員に対し絶対的尊敬と恐れを抱いていたから、それだけで効果てきめんだった。しかし吉田先生は、ただ廊下を走っただけでも、見つかれば甲高い声で長々叱責された。まだ三十前の若い女性であったが、我々は皆吉田先生を恐れていた。
担任ではなかったが、五年一組の音楽の授業は吉田先生の担当だった。今思えば、小学校の担任というのは音楽も含めて自分の受け持ちクラスの全科目担当するものではないのか。我らが武田先生はピアノが弾けなかったのか単に音楽の授業をサボっていたのか、とにかく吉田先生にはより多くの負担がかかっていたのだ。彼女はソフトボール部の顧問でもあった。若いが故に色々押し付けられていたのかもしれないと今なら思うことができるが、当時の自分はソフトボール部員だったこともあり、吉田先生の音楽の授業には恐怖を感じていた。
特に何をどう叱られた、という記憶はほぼない。ただ恐怖感と憂鬱、ある日の音楽の授業、覚えているのはそれだけだ。
音楽室で、吉田先生によるピアノの伴奏で、我々五年一組は歌を歌っている。
「声が小さい」
と先生から厳しい声が飛ぶ。我々を鼓舞するために、吉田先生は大きな声で歌い始める。だが――
音程が外れている。
当時も今も楽譜が読めない自分にもわかった。そんな音じゃない。どうしたものか、一音一音、全てずれている。我々は困惑し、そのために声が更に小さくなる。
歌は苦手な人だったのだなあ、と思う。クラスの誰も笑い出さなかったのは幸いだった。それは単に吉田先生を恐れていたからかもしれない。だが当時の小学生は、教師のことを、なんでもできる(音楽も家庭科も体育も含め、全教科を一人で教えられるのだ。それはすごいことだろう)、スーパーマンのような存在だと思っていた。だから、その教師が(ピアノだってとても上手に弾けるのに)音痴だなんてことは、到底受け入れられなかったのだと思う。




