最終話・待ち望んだ日
「ちょっと聞いてよ、新人の子がさぁ……」
「うーん、そりゃ酷いですね。俺から一度話してみますんで、しばらく様子見てもらえますか」
「でもねぇ〜」
「直らないようなら配置転換も考えますけど、出来ればこの現場で鍛えてもらえると助かります。安心して任せられるの、あなたしかいないんですよ」
「ア、アンタの顔を立ててやるだけだからねっ!」
「わあ、ありがとうございます!」
ベテランのおばちゃんの怒りを何とか鎮め、ひと息つく間もなく次の現場へと向かう。
働く上での悩みの大半は人間関係のもつれだが、こうして誰かに話すことで気が済むらしい。親身になって詳しく聞いて、時にはトラブル相手との仲を取り持ったり、距離を取らせたり。本来の業務の傍ら、俺は所属する派遣社員相手の相談係をしている。
俺を雇ってくれた那加谷市にある人材派遣会社は幾つかの工場と提携していて、夜勤のみを希望して働き始めた。一緒に働く仲間の悩みを聞いたり、間に入ってケンカを仲裁したりするうちに、それが人事担当の耳に入った。
どうやら俺は人の懐に入って話を聞き出す能力に長けているらしい。その能力を買われ、人材コーディネーターという派遣会社側の人間になった。俺が関わった現場は他と比べてトラブルや離職率が低い、と提携先からも評判がいい。
これに関しては俺の話術や対人スキルが秀でているワケじゃない。働く人、頑張っている人を敬う気持ちが根底にあるからだろう。
面接に同席して適した職場を紹介するのが俺の主な仕事。面接を受けに来るのは体質や過去の辛い経験から引きこもりになっていた人も少なくない。自分が周りから助けてもらった経験を活かし、彼らが安心して社会に出ていけるように根気良くサポートをする。そんな仕事にやり甲斐を感じている。
車の運転が出来ないから、提携先の工場に出向く時は必ず誰かに連れてってもらわなきゃならないのが唯一の悩みかな。
「──新しい工場を?」
「稼働は来年の春頃になりますけどね、そこで働く人材の手配をおたくの会社にお任せしたくて」
「ちなみに、どちらですか」
「波間中町って分かります? そこなんですよ」
不意打ちで出た地元の名前にドクンと心臓が鳴った。表情には出さないように、平静を装って話を続ける。
あの別れから三年。
忙しくて実家には年に数回しか帰っていない。
社会人として働き始めて、ようやく軌道に乗ってきたところだ。そこに降って湧いた話。
「是非我が社にお任せくださいッ!」
「おまえに決定権ないだろ」
同席した上司に冷ややかに突っ込まれながらも、その話はトントン拍子にまとまった。
故郷の波間中町はド田舎である。働き口も少なく、若者のほとんどは大人になると地元から出て行く。町外れに建造された新工場のそばに事務所を構え、俺はその町の出身者ということで優先的に配属された。町の人材流出に歯止めをかける仕事だ。
新しく建てられた事務所や社用車の窓には全てUVカットフィルムが貼られている。これは俺だけでなく女性社員たちからも要望があったからだ。おかげで日中も働きやすくなった。
新工場が稼働し、業務が回るようになった頃を見計らって彼女に連絡をした。メールや電話で近況を教え合ってはいたけれど、今回は違う。
何年も待たせてしまった。
彼女にも新たな出会いがあっただろう。
心変わりをされても文句は言えない。
でも、彼女は待っていてくれた。
「ねえ、俺おかしくない?」
「大丈夫。スーツ着ることもあるでしょ?」
「たまにしか着ないもん! ネクタイ曲がってない? 前のボタン全部閉めたらダメなんだっけ?」
「もう、しっかりしてよ」
俺は今、能登家の客間に居る。
着慣れないスーツに悪戦苦闘しながら、何度も何度も立ったり座ったりを繰り返す。落ち着かない様子の俺を、ミノリちゃんが苦笑いして見上げている。
彼女は専門学校を卒業し、現在は地元の小さな広告代理店に勤めている。飾り気はないけれど、大人になった今も相変わらず可愛い。少しおめかしをして綺麗なワンピースを着ている。俺のネクタイの色とお揃いの服だ。
「やあ、待たせて済まないね」
「アッいえ、来たばっかですから!」
「ハハ、そう緊張しなくていい。楽にして」
久しぶりに会ったミノリちゃんのお父さんは、やっぱり顔が怖かった。でも、額の傷は猫にやられたって知ってるもんね。見た目ほど怖い人じゃないって分かってる。一緒に客間に入ってきたのはお母さんだ。
さっきミツさんとおじいさんにも挨拶を済ませた。時々野菜を送ってもらったから、お礼を直接伝えたら「立派になって」と泣かれてしまった。
スゥッと息を吸い込み、大きな声で自己紹介をする。こうして堂々と彼女の家族に挨拶できる日を待っていた。
「鳥羽エイト、二十四歳、会社員です! よろしくお願いします!!」
『ワケあり無職ニートの俺んちに地味めの女子高生が週三で入り浸ってるんだけど、彼女は別に俺が好きなワケではないらしい。』 完