52話・使われなかった奥の手
その後、お父さんが打ちひしがれる須崎の首根っこを掴み、客間から引きずり出して玄関先まで連れていった。放心状態ながらも須崎は自分で靴を履き、頭を下げた。来た時とは違い、全く生気が感じられない。
そんな須崎の側にミノリちゃんが近付き、耳元で何かを囁いた。近くに寄ったらまた勘違いされるのではと心配したけど、何故か須崎は更にショックを受け、項垂れながら去っていった。
「ミノリ、なんて言ったの?」
「内緒」
リエが問うと、ミノリちゃんは悪戯っぽく笑った。長年抱えていた厄介な問題が片付いたからか、その笑顔に翳りはない。
それにしても、お父さんたちがキッパリ断ってくれてホッとした。おかげで俺の出る幕はなくなった。
俺の上着のポケットには診断書が入っている。須崎に殴られた腹を診てもらった時のものだ。最悪の場合はコレを出し、暴行動画と併せて須崎を訴えるつもりだった。
しかし、奴が関東の大学にスカウトされたと聞いて思い止まった。放っておけば、高校卒業後に須崎は遠くの大学に進学……言い方は悪いが厄介払い出来る。ルミちゃんが俺を呼んだのは奥の手だったが、下手に訴えて推薦話がなくなってしまえば、ミノリちゃんの進学先に追い掛けてくるかもしれない。そうなれば周りが守ることも難しくなる。
「俺の出番はなかったね」
「須崎君の主張が異常過ぎでしたから。でも、保険は多いほうが安心できるでしょう?」
「まあね」
予想をはるかに上回る須崎の異常性のおかげで、ミノリちゃんのお父さんとお母さんが毅然とした態度で撃退してくれた。事前にきちんと相談しておいたからだ。これは親に相談するようミノリちゃんに助言していたルミちゃんの功績である。
話し合いは無事に終わった。
恐らく須崎もこれで諦めただろう。
見届けることが出来て本当に良かった。
「じゃ、俺も帰るよ」
パーカーを羽織り、玄関で靴を履く。
俺がこれ以上能登家にいる理由はもうない。
「え、もう?」
「明日那加谷市に行くからさ、準備もあるし」
長年悩んでいた問題が片付いたんだ。もう俺んちという逃げ場は必要ない。
帰ろうとする俺の上着の袖を誰かが掴んだ。
「プーちゃん、野菜持っていきな」
「わあ、ありがとミツさん!」
ミツさんがビニール袋いっぱいの夏野菜を持たせてくれた。ミノリちゃんの家の野菜もこれで食べ納めだ。ありがたく頂こう。
別れの挨拶をしてから庭先に出ると、ミノリちゃんが追い掛けてきた。手に何か持っている。
「お母さんから日傘借りてきた。途中まで一緒に行こ」
「いいの?」
「うんっ!」
パーカーを被るのをやめ、能登家を辞する。
「プーちゃん、またいつでもおいでね」
「うん、ありがとう」
今回、俺はミツさんに呼ばれたことになっている。おばあちゃんの客人扱いだからか、お父さんとお母さんも外に出て一緒に見送ってくれた。
「ミノリ、彼と知り合いなのか?」
「そう、私のお客さんでもあるの」
彼女はこんなチャラい見た目の俺を自分の客だと両親に言ってくれた。その気持ちが嬉しくて、思わず天を仰いでしまう。いや、浸ってる場合じゃない。
「ミノリさんと仲良くさせていただいてます」
腰を九十度曲げ、勢いよく頭を下げて挨拶する。
しまった。さっき須崎に対して『面接かよ』と笑ったが、俺も面接受けてるみたいになってる。極度に緊張するとそうなるよな。
「そうか。……ミノリ、送って差し上げなさい」
「わかってる。じゃあ行ってきます」
「お、お邪魔しました」
ミノリちゃんに手を引かれ、能登家から出る。お父さんたちの後ろにいたルミちゃんとリエが笑顔で手を振っていた。お母さんとミツさんもだ。
みんなに見送られ、ミノリちゃんと二人で外に出た。