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45話・ささやかな願い 1

 家を出て働くことにしたと告げると、ミノリちゃんは驚いたように口元を手で覆い隠した。そして、数秒間を開けてから笑顔を見せた。


「すごーい! プーさん、ついに決めたんだね!」

「うん、やっとね。今は働くための体力作りしてるとこ」

「だから顔付きが変わってたんだ……!」


 ようやくスタート地点に立とうと決めた俺を、彼女は純粋に褒め称えてくれた。嬉しいけど、どこか悲しい。

 だって、俺はまだ役割を貰えてない。


「いつ行くの?」

「九月一日から働き始めるから、その前日には向こうに行くつもり。もう会社の寮に荷物を送ってあるし、あとは俺が行くだけ」

「あっ……結構すぐなんだね」


 今は八月二十七日。

 俺がこの町に居られるのはあと数日。

 それを悟ったミノリちゃんは複雑そうな表情になった。


 ほんの少しでもいい。

 寂しいと、離れたくないと思ってほしい。

 逃げ場が無くなって惜しいと思うだけでもいい。

 俺の不在が彼女の心に響いてほしい。


「俺がいなくなる前に何か言っておくことはない? 相談とか悩みとか、今ならまだ聞けるから」

「……」

「困ってることはない? あったら教えて」

「な、なにも……」


 畳み掛けるように尋ねれば、予想した通り、彼女は何も話そうとしなかった。

 明後日、八月二十九日にストーカー野郎・須崎(すざき)がミノリちゃんの両親に会いに来る。ルミちゃんにはすぐ電話して相談したクセに、この件について俺には何も言ってくれない。


「俺、そんなに頼りない?」

「ちがう。そうじゃないの」

「ミノリちゃんが言ってくれなきゃ、俺は何も出来ないんだよ」

「だ、だって、もう迷惑かけたくない」


 河川敷の公園で俺が須崎に殴られたことを彼女はずっと気に病んでいる。何度断っても諦めない須崎の執念深さに怯んでいる。周りを巻き込むことを恐れている。このままでは、ミノリちゃんはいつか抗うことを諦めてしまう。


「迷惑だなんて思ったことは一度もないよ」


 そう言うと、ミノリちゃんはついに泣き出してしまった。泣き顔を見るのは二度目。前回は、俺の体質を明かした時だった。

 今まで我慢して抑え込んでいた感情を、俺の前で初めて見せてくれた。溢れる涙を拭くのも忘れ、しゃくり上げながら少しずつ胸の内を話し始める。


「わ、私、いつも助けられてばっかで。自分でケリをつけなきゃいけないのに、ルミにもリエにも迷惑かけて」


 リエはむしろ迷惑を掛けた側だと思うが。


「この前だって、プーさんが身体を張って何とかしてくれたのに、すぐまたこんなことになっちゃって。もう、どうしたら須崎君に分かってもらえるのか……」


 ミノリちゃんは途方に暮れている。

 普通に断っても駄目。

 友人が諭しても駄目。

 他の女が誘惑しても駄目。

 暴行動画で脅しても駄目。

 万策尽きたというところか。


「あのさ、お父さんやお母さんに須崎のこと話した?」

「中学からの同級生としか……」

「ストーカーのことは?」

「は、話してない」


 やっぱり。

 両親に相談していないことは想像がついていた。ひとりで何でも抱え込んでしまうのはミノリちゃんの悪い癖だ。共働きの両親に心配をかけたくないんだろう。


「ルミにも『話しておいたほうがいい』って言われたけど」

「今からでも話しなよ。五年も追い回されて苦しんでたこと。きっと力になってくれる」

「で、でも、二人とも忙しいし、こんなことで」


 簡単に決心出来るならとっくに話してるよな。気持ちは分かる。でも、自分から踏み出さない限り、周りは助けたくても助けられない。


 ストーカーの件でどれくらい辛い思いをしてきたか知らなければ軽く考えられてしまう。もし話し合いの際に両親から一言でも前向きな言葉が出てしまえば、今度こそ須崎は調子に乗る。


「……俺も、親とは何年も話せなかった。でも最近になってようやく話せるようになったんだ。俺が思うより、ずっと気に掛けてくれてたよ」


 話す切っ掛けをくれたのは君だ。

 だから、君も手を伸ばしてくれ。


「お父さんやお母さんも、頼ってもらいたいんじゃないかな。少なくとも、可愛い娘の悩みを『こんなこと』だなんて思わないよ」


 俺の言葉にミノリちゃんは何度も瞬きを繰り返し、小さく頷いた。

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