37話・家から離れられない理由 1
「次いつ帰ってくる? 話あんだけど」
仕事に出ている親父に電話をしたのはいつ振りだろう。連絡したタイミングが良かったのか、翌々日には家に帰ってきた。
自分で呼んだ癖に、親父と二人で対面すると緊張で何も喋れなくなる。口を開けば説教ばかりで、普通の会話なんてここ二年くらいしていない。それでも、絶対に話しておきたいことがあった。
「随分と片付いているな」
「え、あ、うん」
先に沈黙を破ったのは親父だ。
玄関から廊下、居間、台所、洗面所に至るまで、一階の共有部分を掃除した。長年溜め込まれた不用品やら何やらも全て仕分けして処分した。物が減り、ごちゃごちゃしていた空間がすっきりしている。
二階も、親父の部屋ともう一つの部屋以外は綺麗に掃除した。年末の大掃除でもここまでやらない、というくらい家中を磨き上げた。何もせず待つことに耐えられなかったからだ。
「母さんのことなんだけど」
「……ああ」
まず切り出したのは母親のことだ。
母さんは俺がまだ小学生の頃に出て行った。二階にあるもう一つの部屋は母親が使っていた。もう十年、その部屋には誰も入っていない。
「別れたのは俺のせいだよな?」
「…………」
俺の言葉に、親父は眉間に皺を寄せて俯いた。
記憶の中の母親は、いつも誰かに頭を下げていた。相手は学校の先生だったり、病院の先生だったり、父方の祖父母だったりした。俺が原因でいつも怒られていた。
『困りますよ。幾ら体質ったって、普通金髪の小学生なんか居ます? 他の保護者から苦情が来てるんです。染めるか坊主にするかしてくださいよ』
『また日焼け! 日焼け止めを塗っていても長時間外に出たらダメだと言いましたよね? お子さんを止めるのもお母さんの役目ですよ。それを怠るのは虐待と一緒ですから』
『アンタがまともに産んでやらんから孫はお天道様の下も歩けん。おお、おお、かわいそうに。こんなに可愛いのにガイジンみたいな頭して』
『ホントにあの子の子どもなんかねぇ。顔はあんまり似とらんし、髪も肌もああだし、まさかとは思うけど……』
小さかった俺は、なぜ母さんが怒られてばかりいるのか分からなかった。ただ、その原因が俺であるということは気付いていた。
そんな生活が何年も続いた頃、母さんは壊れた。
『先生に黒くされた? 集合写真撮るからって? ……はぁ、もうしばらくその頭でいれば? お母さん、もう学校に話に行くの疲れたわ』
『なんで勝手に外に出たのよ! ……ああ、またこんなに赤くなって。お医者さんから怒られるのはお母さんなんだからね!』
『アンタはなんでこんな白いの? あたし、なんか悪いことした? なんで普通の子どもが授からなかったの』
『親戚の集まりに呼ばれないのは嬉しいけど、今頃あたしのことあることないこと話してるんだろうな……あーあ、しんどい……』
ある日遠くの実家に行ったきり、母さんは帰ってこなくなった。半月くらい過ぎてから、親父から「母さんは病気だ。治るまで帰ってこない」と説明された。病気なら仕方ない、良い子で待っていようと幼い俺は寂しい気持ちを抑え込んだ。
それ以来、母さんには一度も会えていない。
「母さんは、もう戻ってこないんだよな」
「ああ」
俺が家から離れられないのは体質のせいだけじゃない。無意識のうちに、いつか帰ってくるであろう母親を待っていたからだ。