第2話 子供
「おい!てめぇ、開けろ!」
「金を返せ!」
頭を左に向けると、借金取りの人達が怒鳴りながら叩いている木製の扉が目に入った。
私は怖くなって、私の左側にいる父に声をかける。
「パ、パパ、なんでこんなことを……」
父はピンセットで血管を繋ぎながら、私の呼び掛けに答えた。
「何故か?それはね、ラウ。奴らが母さんを殺したからだよ。母さんは何もしていないのに、ただ街で買い物をしていただけなのに、あの戦争屋どもが母さんを殺したんだ。」
父の眼鏡が反射して光る。
その奥に、憎しみの篭った瞳があるのを感じた。
「私は絶対に許さない。お前も、あいつらが許せないだろう?」
父が問い掛けてくる。
「確かに、私だってあいつらの事が許せないよ。でも、だからって……。」
私は涙声になりながら、父が作業している私の左腕を見た。
しかし、すぐに目を剃らす。
数分前よりも大分良いが、それでもまだ血に染まった左腕は見るに堪えなかった。
「だからって……なんで私がこんな目に合わなきゃいけないのよ……!」
「この家で一番若いのはお前だからだ。いいかい、ラウ。まずは街に行きなさい。それから、信用できる人を見付けるんだ。」
父は無理難題を言う。
――信用できる人の、特徴は何?
――どんな人なの?
――私が行っても平気なの?
そんな質問群も、父は一言で片付けた。
――自分で見付けなさい。
無茶苦茶だ。
「それに、どっち道もう後には退けない。あの扉の向こうには、私が多額の借金をした奴らがいる。お前はあいつらを殺して逃げなさい。」
「でもそれじゃあ、ママを殺した奴らと同じ……。」
「そんな甘い考えは捨てなさい。」
父の言うことに、私は結局逆らえなかった。
そしてそんなやりとりをしているうちに、手術の終わりが近付いてくる。
「よし、これを脳に被せれば……。」
父はそう呟いて、分厚く、且つ小さく、青い宝石のようなホール型のものを摘み上げた。
そして、それを私の左手の甲に乗せ、軽く押し付ける。
すると、段々と手に埋め込まれていくのがわかった。
その時、銃声が聞こえた。
「がっ……!」
父は唸り、胸から血が噴き出す。
口からも血が溢れ、父は私が乗っている台の下に倒れた。
私は視界から消えた父がどうなったのかを考えながら、銃声のした扉の向こうを見据える。
すると扉が蹴破られ、外から煙を上げる銃を構えた男が入ってきた。
「よーうようよう、当たっちまったか。」
その男はサングラスを掛け、髪は金髪のショートで、白い毛皮のコートを着ていた。
明らかにこの場に合わない雰囲気である。
更にその後ろから、男が二人入ってきた。
先程入ってきた男と比べると貧相な身なりで、どちらも同じようにバルバスの後を着けている。
つまり、子分のような立場なのだろう。
「バルバスさん、だから言ったじゃないですか。」
「あんまり手荒な事すると、ボスに消されちゃいますよ。」
二人の子分は、口を揃えてバルバスという男を非難した。
「うるせぇ、わかってら!大体、今のはこいつがここに立っていたのが悪いんだ。」
バルバスは私が乗っている台に近付き、その下を蹴る。
「ちっ、これじゃあ売りもんにもならねぇ。」
バルバスが蹴ったのが父の頭だとわかると、私は怒りで体が震えた。
そんな私を見て、バルバスがにやける。
「クックックッ、いいねぇ、その面。食っちまいたくなるよウサギちゃん。」
続いて、子分たちがゲヘへと笑った。
バルバスは更に話を進める。
「でも安心しな、俺たちは食わねぇ。君はこのダメ親父の借金のカタとして高ぁく売り飛ばされるんだよ。そこで初めて」
バルバスは一旦言葉を区切り、置いてあったメスを食事用のナイフの様に持ち、私に突きつけ、続けた。
「食われる。」
子分たちは爆笑し、次にバルバスも笑った。
酷く残忍で、酌に触る笑い方。
私は、なるべく人を殺さないようにと考えていた。
それは至極当然な事だが、人が死ぬ悲しみを知っている私は、それに輪をかけて人を殺したくなかった。
しかし父を殺したこいつらだけは、殺すと――。
――最も痛い殺し方で殺してやろうと、そう思った。
「さて、ウサギちゃん。」
笑いの収まったバルバスが、また話し始める。
「人に売る前に、商品がどの程度の味なのかで値段を決めなければならない。という訳で、少し味見だ。」
バルバスが高そうなベルトを外しながら、手術をしたばかりで裸の私に近付いてくる。
そんな中で、私は口を開いた。
「私に触れるな、この腐れゲスが。」
言ってやった。
自分が考えることのできる限りの酷い言葉を厳選して。
「あぁ?悪いなウサギちゃん、よく聞こえなかった。」
バルバスは先程の雰囲気とは打って変わって、ドスの効いた口調で話してくる。
しかし人間とは勢いに乗りやすい生き物で、一言が口から出てしまうと、私はもう止まらなかった。
「お前は私の父を殺した。だから私がお前を殺す。」
私の言葉を聞いたバルバスの顔を見ると、青い筋が一本、顔の横に入っていた。
心底怒った様子である。
バルバスは左手を伸ばして私の首を掴むと、グイと持ち上げた。
私は苦しくて、バタバタともがく。
「上等だこの糞ウサギが、お前は売らねぇ!俺が散々犯しまくった後に、縛り付けて出血死するまで体中ブチ抜いてから、ロウで固めて俺の部屋に鑑賞用として飾ってやる!」
私は首の手を退けることに夢中でバルバスの声がよく聞こえず、私の喉からはかすれた声だけが絞り出された。
――……と思った。
「ガルルルル……!」
「あ?なんだこいつ。」
私の声ではなかった。
力強く、鋭く、怖気が走るような獣の声。
そして私の左腕も、変化していた。
「バルバスさん、そいつ……!もしかして……!」
子分はバルバスより先に気付いたようだが、知らせるのが遅い。
――凄撃。
私の左腕は急に力を増し、バルバスの腕を簡単に引き千切った。
バルバスは絶叫し、無くなった左の腕を押さえながら後退する。
その隙に、私は床に着地して身構える。
そして自分の左腕を見てみると、ゾッとした。
私の腕には、毛が生えていた。
毛皮と言った方が早いかも知れない。
肘まで生えたその銀色の毛は、触れてみると分厚く、硬かった。
更にその先、元々指があった場所には、信じられないことに口がある。
細長い口で、先端には鼻があり、牙が生え、ちゃんと息をしていた。
物を食べることもできるようだ。
鋭い目もあり、尖った耳もある。
その全てを統括して言えば、
「う、腕に……狼の頭が生えてる……。」
正しくその通りだった。
私の口を突いて出たその言葉は、バルバスたちの耳に届いたらしく、子分はこんな事を言った。
「バルバスさん、あいつは自分がいじりだってことがわかってないようです!殺すなら今」
話していた子分の頭を、バルバスの弾丸が貫いた。
隣に立っていたもう一人の子分が息を呑む。
「俺に指図するな、このバカ野郎がぁ!そんな分かりきったこと言って、この俺に媚売ろうなんざ気持ち悪ぃんだよ!」
「バ、バルバスさん、俺たちゃそんな気は全く……。」
怒り狂うバルバスをなだめようとした子分も、頭を撃ち抜かれて倒れる。
「うるせええぇぇぇッ!俺はこの小娘を殺す!お前らに言われなくても必ず殺す!」
バルバスはそう叫んで、今度は私に銃を向けた。
私は咄嗟に、手術のせいで動かし辛い部分がないかを確認する。
そして手術前に打たれたはずの麻酔も全く感じない程に回復していることがわかると、私は銃を避ける方向を考えた。
――右?左?それとも後ろ?
いや、今ならもっと有り得ない方向に避ける事ができる気がする。
あいつの弾丸よりも速く。
指が動くよりも速く。
――前に。
「前にッ!」
いつもよりも足が軽い。
バルバスが引き金を引くよりも速く、私の足は地面を蹴り、木の床の上を駆けた。
床に着いた足の音も聞こえないほど速い、今までに感じたことの無い世界を、私は駆ける。
バルバスとの距離を半分まで詰めたところで、バルバスの銃から弾丸が発射された。
その弾丸が私に近付いて来るのが見える、聞こえる、感じる。
弾丸をギリギリで避けることが、至極簡単な様に感じられた。
右頬を軽く撫でる弾丸を感じながら、更にバルバスへと近付いていく。
そしてバルバスが二発目を発射しようとしたところで、私の左腕がバルバスの残った腕に噛みついた。
「があぁぁっ!このっ……!」
バルバスは狼の頭を引き剥がそうと、部屋中に銃を乱射しながら腕を滅茶苦茶に振り回す。
しかし牙は離れず、それどころか段々と食い込んでいき、遂に腕はバルバスが無理矢理引いたのと同時に千切れてしまった。
「あああぁぁァァーーッ!!」
バルバスは再び絶叫し、血を撒き散らしながら床を転がる。
両腕を失い、立つこともできず、哀れに床の上で足を踏ん張るバルバスを、私は隣で腕を食べている狼と共に見下ろした。
「お前は私の父を殺した。だから私はお前を殺す。」
震える息と共に、先程と同じ言葉を繰り返す。
そして台の上にあったメスを持ち、バルバスに突き付け、言った。
「ウサギは私じゃなく、お前だ。」
私はメスをそのままバルバスの股の間に落とす。
するとメスは空を切り、ストンッという軽い音と共にバルバスの局部を切り落とした。
「があぁぁあぁぁ!ぎゃああぁぁァーー!」
両腕の無いバルバスは、叫びながら床を転がり回る。
私は震えている事など気にせず、バルバスを無表情で見下ろした。
「下品なお前には……その死に方が合っている。」
バルバスは泣きながら、声を絞り出す。
「こっ、この……お、鬼……。この、鬼女がぁ……!」
“鬼”と呼ばれた事に少し不満を覚えたが、間違ってはいないと思った。
自分がこんな残酷なことを出来る人間だったなんて、全く知らなかったのだから。
ただ、私は“鬼女”ではない。
「私は……“狼女”だ。」
それを聞いて何が面白いのか、バルバスは笑った。
「ふっフフ……い…いか……!お前は、おっ鬼女でも、狼、女で、も……な、なない……。お、お前は……いじ、“いじり”だ……!」
呼吸が荒く、震えていながらも、バルバスは途切れ途切れにそう言った。
“いじり”……というのは、知らない単語だ。
父からも、そんな言葉は聞いたことがない。
いじりとは何なのかをバルバスに聞こうとしたが、気が付くと、バルバスがいた場所には、人の形をしたただの肉の塊しかなかった。
出血が多すぎたのだろう。
裸の私を前にしての局部切断は、致命的だったかも知れない。
私は暫く考えたあと、明日にはこの家を出て、街に行く事にした。
父親の死体を……残して。