VI
「朱書きや! 朱書きを忘れたんや!」
声を出して身体を起こしたそこは、紛れもなく大阪の家の自室だった。
周囲を見回しても才華はおろか、三人の証言者も見当たらないし、東京のおばさんの家のものはひとつもない。それら登場人物の声は聞こえない。カーテンの隙間からはわずかな光が漏れ、掛け布団がかかる脚は温かくも、冷気に触れていた顔は冷たい。
夢から醒めたようだ。
しかし、夢の中で辿りついた結論は明確に記憶している。ぼくの心残りは、一二月二三日、クリスマスイブの前日に訪れた場所に起因する。それを思い出すことが夢の中でのミッションであったが、思い出したときの驚きが大きすぎて、現実に帰ってきてしまったらしい。
その日訪れた「高い」場所とは、東京タワーのことだ。せっかく東京にいるのになかなか実現できなかった、東京の名所観光が目的である。
そこでぼくが「為した」こととは、お土産を購入したことだ。東京タワーの写真が印刷された、絵葉書である。
ぼくはそれをどう使ったか。購入したのは一枚ではない。
添え書きをして、方々の友人に年賀状として送ったのだ。
当たり前のことであるが、観光地で売られているポストカードは、年賀はがきとして売られているものではない。「ハッピーニューイヤー」「今年もよろしく」などといくら目立つように書いても、年賀状の受付期間内に投函しても、まったく無駄である。郵便局は通信の秘密を侵してはならいので、配達物の内容には関知しない。
だから、年賀はがき以外のものを年賀状として扱うには、送る側に忘れてはならない作業がひとつある。
宛名の面に「年賀」と朱書きするのだ。
ぼくの心残り、いや、後悔はまさにそれだ!
「年賀」の朱書きを忘れて投函してしまった!
それを忘れてしまうと、ただの郵便物と同じ。投函してから数日のうちに配達されてしまうだろう。
すべてはぼくの意識から発する明晰夢。思い返してみれば、ポチ袋はぼくが失敗を思い出そうとして登場させたのだとこじつけたくなる。赤と青の二色あったのは、青空と東京タワーとの、絵葉書と同じコントラストを連想させる。表面にぼくたちの宛名がなかったのは、ぼくが朱書きを忘れたのと似ている。
はがきを投函したのは、ぼくが大阪に帰る日。年賀状の受付期間を一日過ぎた、二六日であった。早ければ二七日にも、友人たちの自宅ポストへ投げ入れられていたことだろう。
これは恥ずかしい!
一年も残り数日という日に、「今年もよろしく」だなんて!
それでも誰も指摘してくれないのは、朱書きのない年賀状が幸運にも新年の配達に回されたからではないだろう。友人たちはもしかすると、新年会なり、新学期なり、ぼくと新年の最初に会うときにからかおうと黙っているのかもしれない。あるいは、壮大なボケとみなして、元日に改めて届く年賀状を待っているとも考えられる。
何にせよ、フライイングの年賀状が届いた時点で、ぼくにツッコミを入れて欲しかった。
一年の計は元旦にあり、などといわれるが、ぼくは初っ端からずっこけてしまったようだ。最初が失敗といえば残念だけれど、投函した昨年の失敗だったことにして、ポジティブに考えたほうがいい。肝心なときに間抜けなところを晒すなんて、ぼくらしいではないか。
もしかすると、今回の初夢が正夢となって、下宿に招いた友人たちの前で名探偵を演じることがないとも限らない。だとすれば、素敵な夢を見せてくれた失敗もあながち悪くない。
掛け時計をちらと見る。
時刻は六時か七時か……とにかくそれくらい、朝だ。
デジタル表示された日付は、二〇一一年一月一日、土曜日。
「配達にはまだ早いかな?」
もし届いていたら、年賀状を書き直さなければ。なんたって、今年はまだ誰にも年賀状を送れていないもの。「昨年もよろしくお願いしました」と大きく書いて投函するのだ。
それだけではない、気になること、楽しみなことは山ほどある。母さんが作る今年のお雑煮は、関東風だろうか、関西風だろうか。おせちの伊達巻も楽しみだし、福袋を買いに家族で出かけるのも乙だろう。新春と題した長ったらしいお笑い番組や、名作ドラマの総集編も捨てがたい。
でも、一年のうちに元日ほど安心して惰眠を貪れる日はない。心躍る新年のイベントに興じるのは、幸せな二度寝を味わってからでも遅くないはずだ。もう眠れない、と音を上げるくらい眠ってからにしよう。
焦って起きて、またそれが夢だと嫌だからね。