III
名推理を始める前に、少しばかり冷静になる。
これは明晰夢といえども、ぼくの無意識が作り出した世界を何もかも自由に改変できるとは思えない。頭の奥のほうに転がる忘れ物が夢を構築するのだから、この夢を観るには相応の根拠があるのだろう。この世界の名探偵は、それすらも手掛かりにしなければならない。
とはいえ、何か夢に観るような心残りがあったろうか。
昨年の年の瀬に、やり残しがあったのかもしれない。
忘年会? いや、クリスマスイブに東京の友達とささやかながら開催している。帰阪中には新年会も予定されていて、大阪の中学時代の友人たちと会う約束はできている。ゆえに、誰かと会っていないことを惜しむ気持ちはない。
大掃除? いや、お風呂場に脚立と雑巾を持ち込んで天井まで綺麗にしたくらいだ。自分が掃除したピカピカのお風呂場で、昨年最後の湯に浸かったのだ。夢に出てくるとすれば、快い思い出として現れるだろう。
年賀状? いや、帰阪するため下宿する家を出発した日、ついでに投函しておいた。クリスマス前に東京タワーを訪ね、そこで買った絵葉書に添え書きした自信作である。それがどうして心残りになろうか。
年始に備えた買い物? いや、母さんの指示通りに父さんと買い物をして回った。不足した食材はスーパーをはしごしてまで手に入れたのだ、買い忘れなど絶対にない。
冬休みの宿題? いや、今回は余裕を持ってこなすことができている。面倒で思い出したくないことだからこそ夢になっているとすれば、これが推理に影響する可能性を排除しないほうがいいだろう。
まあ、いま思い出せないのも仕方がない。簡単に思い出してしまったら、この明晰夢から醒めてしまう。きっと、推理の過程でだんだんと見えてくる。
「さて、まずは何から訊こうかな……」
三人の被疑者――二ツ木麗、家入舞華、姫川英奈――を尋問すべく、最初の問いを考えていたところ、「それなら」と才華がまた袖を引っ張る。
ぼくに言わせれば、彼女もまだ被疑者のうちなのだけれど。
「三人は三人なりに、犯人を推理しているみたいだよ」
ほう、つまりは被疑者たちに自由に喋らせてみてはどうか、ということだな。
確かに、この場の被疑者たちはみな切れ者だ。記憶力くらいしか取り柄のないぼくとは違い、観察眼が鋭く頭の回転が速い彼女たちなら、ぼくが推理するまでもなく状況を見て思うところがあるはずだ。
頭を使いすぎて明晰夢から醒めてしまえば本末転倒だ。ここは無意識に託して、彼女たちに語らせたほうが面白いかもしれない。ついでに、複数の推理が飛び交うなんて本格的で楽しそうだ。
「よし、じゃあ話を聞いてみようか」
最初に手を挙げたのは、幼馴染の麗だ。
「ちゃっちゃと解決しよ。この程度の事件、いっこも難しくないわ」
「自信満々やん」
「そうやって弥は……」
麗が嘆息して眉を顰めるのは、東京出身の両親を持つぼくのノンネイティブな大阪弁を咎めてのことだ。学校の友人たちに馴染もうと、下手な大阪弁を使って道化を演じたことが気に入らないらしい。
とはいえ、ここはぼくの夢。麗の言葉も似非大阪弁なのだけれど。
気を取り直したふうに、麗はソファで居住まいを正す。制服の緑色のリボンが揺れる。
「お金を盗った犯人なんて、最初っから明らかやんか。どんな事件でも、現場検証を疎かにしたらあかんで。証拠はちゃんとそこにあった」
彼女が指さしたのは、お年玉が置かれたテーブル。ぼくと才華が調べたポチ袋が、元通りにふたつ並べられている。
立ち上がった彼女がテーブルの傍に歩み寄るので、ぼくたちも覗きこむようにしてふたつのポチ袋を注視する。
「よく見てみ? 絵柄に決定的な証拠があるねん」
ポチ袋に犯人につながる手がかりが?
ポチ袋が用意されたのは、どう考えたってお金が抜きとられるより前だ。それなのにポチ袋に証拠が残るだろうか。もしかして、お札に手を掛けたとき、袋に汚れを残していったのかもしれない。
しかし、調べてみてもそれらしき痕跡は見当たらない。
ポチ袋は何の変哲もない、片手に収まるくらいの小さな封筒の形をしている。才華の赤色の封筒には、初日の出をモチーフに、アルミ箔の円形が金色に輝く。対して、ぼくの青色の封筒には、青空に映える富士山が描かれていた。
「どこが変なん?」
わからないので、素直に麗に尋ねてみる。
すると、麗は腰に手を置き天井を仰ぐ。「はあ」と大げさなくらいに嘆息して。
「弥、そんなにアホなん? 表に富士山が描かれているなんて、これ以上わかりやすいヒントはないで?」
そこまで口汚く貶すことはないじゃないか、幼馴染なのにひどい。
ぼくが鈍いのでじれったくなったらしく、麗は声を大にした。
「犯人は富士山や!」