19話 俺と幼馴染みのカウントダウン
「納得いかないんだけど、先生。静南先生よ」
「んー? 急に何? どうしたの陽一君」
職員室でみっちり説教を受けた俺は、前を歩く静南先生を不機嫌な眼で見る。
先生は特に気にも留めず、鉄仮面を一ミリたりとも崩さずにズカズカ先を行く。
「せめて止まって話を聞いてくれると有り難いんだが。何で俺だけ怒られたのか説明してくれ」
「知らないよ、お説教を決めるのは主任だしー」
「学年主任なら、俺ら三人まず学年違うんだけど? 見事にワン・ツー・スリーで分かれてんだけど?」
「知ってるよ、そのくらい。昔から」
静南先生は、立ち止まり振り返って溜め息を吐いた。教師以前に、俺ら姉弟とは昔馴染みだしな。そりゃ知ってるわな。
この学校、中庭を横切る通路には何故か電話ボックスがある。使ってる奴は見たことないけど。
その電話ボックスに、静南先生が突如立ち寄る。
「真空夜ちゃんはいつも通り免除。悠ちゃんは成績悪い上に遅刻常習犯だから多分居残りが確定。陽一君は遅刻以外に目立って悪いことないから、何としてでも改善してほしい──ってとこじゃない?」
「一番最初が本気で気に食わないんだが。あいつは別に天才でも何でもなくて、昼夜勉強漬けな努力家なんだぞ」
「その努力すら道端に放り捨てる君達とは待遇が違う。当然じゃない? ちょっと失礼」
努力を道端に捨てるってどういうことだよ。例えばあれか? クジ引きして要らんもん出たらポイ捨てするようなことか?
俺は努力をしないんじゃなくて、面倒くさいだけだよ。悠はサッカーに夢中で勉強なんて頭にないと思う。
あいつよく考えたら脳筋だよな。
「静南先生、誰かに電話? もう直ぐ授業始まっちまうけど」
電話ボックスの中でボタンをカチカチ弄る静南先生に、後ろから訊く。待て、ボタン弄るな。そしてあんたケータイは?
メモ帳を取り出した静南先生は、普段と変わらず口元だけで笑う。ホント、見慣れない笑顔だ。
「ちょっとおばあちゃんにね。教師は職員室にスマホ預けるって決まりがあるから、お昼休みか今みたいに偶然ここ通った時くらいしか時間なくて」
「静南先生のおばあちゃんって、あの両杖使いの?」
昔静南先生が田舎のおばあちゃんに会うって言ってて、ついて行ったことがある。脚か腰が悪いか何かで、両手に杖を持っていた記憶がハッキリと。
片手を挙げて杖で攻撃し、もう片方の杖で身体を支える強いおばあちゃんだったことは確かだ。そのお陰か腕の筋肉が盛り上がってた。
「両杖使いって、面白いこと言うね陽一君。そう、そのおばあちゃんのこと」
静南先生はメモ帳に記してある数字を、一つずつ丁寧に打ち込んで行く。お金は要らないみたいだ。
受話器を耳に当てた静南先生は、メモ帳をポケットに仕舞い込んで「しーっ」と人差し指を立てた。
「おばあちゃん、本格的に身体悪くなっちゃってね。度々連絡取ってるんだ」
それから静南先生は、五分間くらいの短い間両杖おばあちゃんと会話を続けた。おばあちゃんが何を言っているのかは勿論聞こえなかったが、その間静南先生の作り笑顔を見るのは何か辛かった──。
「いやぁ、おばあちゃんそろそろ死ぬかもって笑い事じゃないよね。確かに、もうそんな歳ではあるかなぁ」
眼だけ笑わず、そんなことを溢す静南先生。二限が終わって、十分間の休憩だというのに逃がしてくれない。次の授業遅れたらどうすんだ。
それに今日はまだ、優梨奈と話してない。それは昼休みでも構わないんだけど。
「……あのさ、静南先生。もう無理に笑う必要はないんじゃないかな。笑いたくなけりゃ、笑わなきゃいい」
「……え?」
ずっと言わないようにしてたつもりだったけど、堪えられず声に出した。
静南先生が眼を丸くして、口元だけでの笑みすら忘れる。
「知ってるっつーか分かりやすいっつーか、静南先生笑うの苦手だろ? クラスの奴らと盛り上がったりしても、眼だけはいつも笑えてないんだ」
口や声だけ笑ってても、心から笑えてなければ陰口を言われるだけだ。その度、俺がこっそり静南先生は笑うのが苦手だと伝えておいてるから特に問題はないんだが。
真空夜みたいに自分らしくすればいいのに。あの姉は、殆ど笑わない。自分の幸せではなくて、誰かの幸せじゃなきゃ笑みさえ見せない。
それが真空夜の本心らしい。
静南先生は自分の眼を両手で覆う。それから、苦笑いを作った。
「私は笑うのが苦手とかじゃ、ないんだけどなぁ……」
泣きそうな声で、静南先生は呟く。
「だったら、何でいつもいつも作り笑顔なんだよ。
「そんなつもりないよ。ただちょっと、今は笑えないかなってね」
「昔っからだろ!」
「陽一君じゃ私の問題を解決出来ないんだから、放っておいてよ!」
「……はい?」
静南先生は突然怒鳴って、足早に教室を飛び出して行った。俺、何か間違ったこと言った……?
最近、悠や真空夜や静南先生の感情が分からない。怒ってたり悲しんでたり喜んだり楽しんだり。どう攻略しろってんだよ。
ゲームと違って選択肢なんてないから、俺には難解だ。
「今度は静南まで怒らせたのか陽一。流石だな」
「流石ではないと思うね。俺は他人を怒らせるエキスパートか何かなのかよ」
「そうとも言うだろう」
言わねーよ。何だ他人を怒らせるエキスパートって。それただのバカだろ。
昼休み、体育館の掃除を任されて、そこに偶然居合わせた真空夜とテキトーに会話を弾ませる。いや弾んでんのか? これ。
「てか、何で真空夜まで掃除してんの? 一人では流石にキツいから助かるけど」
用事があっただけの筈なのに、真空夜は今モップ掛けをしている。髪の毛後ろで縛ってんの結構可愛いな。
「弟が広い体育館を一人で掃除させられていて、スルー出来る訳ないだろう。さっさと終わらせて、休憩しよう」
「へぇ、優しいもんだな。普段とは想像もつかないくらい」
「顔面を磨いてやろうか? これでも私は優しい人間だと自負しているのだがな」
優しい奴が弟にカスなんて言わないと思うんですけど。あと、こういう時だけ笑顔になんなよ。
掃除してる時は大抵、真空夜は集中する。前に聞いたが、無駄話をしていると先に進まないからだそうで。
なのに今この時間は、やたら楽しそうに声を弾ませている。
「陽一は昔から掃除が下手だな。容量が悪い。いいか? これは体育館ではなく自分の部屋の話だ。掃除は高いところから低いところの順で行うと、効率よくゴミを纏められるぞ!」
こんな風に俺の掃除の仕方を指摘してきたり。
「この時期は本当に嫌なものだな。まだ少しだけ先だが、夏になれば虫共が湧いて出て私達を付け狙う」
なんてアホなことを言ったり。
虫が活発になるのは正解なんだろうけど、別に俺らを付け狙うつもりは殆どないと思う。蚊とかじゃない限り。ダニとか。
もう結構暑い時期になったというのに、真空夜は暖かそうな私服ばかり着ているのが最近の悩みどころの一つ。学校ではスカートと半袖だから涼しそうだけど、家じゃ虫を警戒して年中長袖長ズボンだからな。
いつか体調崩すんじゃないだろうか、この姉。
「んっ……一通り終わったな。そろそろ戻ろう」
一瞬、艶かしい声が聞こえて思わず振り返ったが、真空夜が背伸びして溢したものだった。
しかしそんな風に反っていると、その、目のやり場に困る。豊かに育ったアレが、ワイシャツを張って目立ってる。
見なきゃいいだけなんだけど。
「因みに、もう午後の授業始まってるかんな? お喋りに夢中過ぎて気付いてなかったみたいだけど」
「えっ⁉︎ 嘘……本当だ……。そんなぁ、私の優等生としてのイメージがぁ……」
「ま、まぁ掃除に夢中だったって言えば大丈夫だろ。チャイムも何故か鳴らんかったんだし」
「今日は通信科の生徒が定期テストなんだ……」
「邪魔にならんようにって、ことか?」
この学校、通信科あったんだな。
てか真空夜の奴、優等生としてのイメージは大事にしてたつもりなんだな。遅刻常習犯のくせに。
そんな小動物みたいな可愛い声出すなよ。姉じゃなかったら頭撫でてたじゃんか。
それと、何だか信頼されまくってるお前は少し言い訳するだけで許してもらえそうだぞ。俺は無理だろうが。
「仕方ない。今日はもうサボってしまおう。えへへ」
真空夜がガッツポーズして目を輝かせる。
「『えへへ』じゃないよね。それ完全にイメージ修復不可能になるよね。俺また補習になるよね」
「一度はやってみたかったんだ、サボり。優梨奈の誕生日前にも早退に見せかけたサボりはしたが」
「そっか。アホか。あと俺が大変な目に会うっての」
「それは知らん」
ひでぇ。自分の弟が補習させられるってのに真顔で切りやがった。ばっさりいきやがった。何処が優しいの?
掃除用具を片す真空夜は、鼻歌交じりだ。掃除、そんなに楽しかったのか? 変な奴。
「よーくんと一緒えへへへへ」
「何か言った? 『よーく』?」
「はっ……⁉︎」
頬に手を当ててくねくねする、悠みたいな真空夜に背後から声をかける。暑さで頭がやられたのかと、今凄い不安になった。
絡繰人形が如くギギギギ、と振り返る真空夜の顔は赤いのに青ざめていた。とっても分かりにくい表情をされておりますねあなた。
「陽一、いいか? 今、聞いたことは全て忘れろ。いいな? 微塵たりとも思い出すな……!」
何故か鬼気迫る声。両手で俺の腕を掴んで、縋るように睨んでくる。
実は殆ど聞こえてないから別に思い出しようもないんだが、真空夜が珍しく虫以外で取り乱してるので、乗ってみよう。
「分かった。聞かなかったことにするよ。俺は、真空夜が今何か言ってたのかも知らない。……これでいい?」
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
照れてる真空夜が可愛いけど、何処に照れる要素があったんだろう。そんなに恥ずかしいこと言ってたのか?
──結局教師に見つかってサボるのは無しになり、やはり俺だけが怒られた。解せぬ。
「陽一、君。ちょっといいかな……?」
「ぶっ! あ、ああ悠か」
放課後になり、帰る準備をしてたら筆入れを落として、拾って顔を上げたら眩しい太腿が視界に入った。超至近距離で。
そしてそれはこれまで男子だと思っていた悠のものだった。
「『悠か』って……。誰だと思ったの?」
呆れたように溜め息を吐く悠。誰だと思ったのか? 誰かと思ったんだよ。
つーかやっぱり……くそっ! めっちゃ可愛い。女子の制服似合い過ぎだろ。何か悔しい。
「陽一さ、この後用事とかある?」
「用事? 別にねぇけど、一緒に帰るのはいつものことだろ? ──待って補習はあるかも」
「今日は通信科が来てるからないよー」
通信科が来るとチャイムはないけど補習もないのか。それは有り難いけど、静南先生のことだし後日二日分くらい強要してきそう。
あるいは、暫く顔も合わせたくないとか言われて補習もなくなりそう。それは何か嫌だ。補習は要らんけど。
「……用事はないんだ?」
悠がもう一度俺の顔を覗き込む。補習がないなら、今日は特にないってことになるかもな。
あ! 優梨奈と会えてねぇ。もう帰る頃だろうから、仕方ないか。
「ない。何か用か? それともやっぱり一緒に帰るってこと……」
「違くて、ないなら来て。屋上。大事なお話の、カウントダウン開始です」
「……ふぁ?」
そのカウントは何から? 五から? 三から? それとも十以上? つーか何処からカウントダウン始まるの? 今から? 屋上まで何秒かかるか分かんの?
「あの八年前に出会ったのが、五」
「え……?」
「私と陽一が幼馴染みって関係になったので、四」
「おい……?」
腕を強く引かれ、階段をいそいそと上がって行く。そんな中、悠はよく分からないカウントダウンを始める。
「私が陽一に恋心を抱いた時が、三。陽一にアピールを始めたのが二!」
屋上の扉を力一杯開けた悠は、中心まで歩いて行って、俺に背を向けたまま胸に手を当てた。
「私が女だってことを、陽一に知られたのが……一」
「おい悠? さっきから何のカウントをしてんだ? ちょっと脳が追いつけないと言いますか」
「陽一」
「はいっ……」
無視されたからとかじゃなくて、名前を呼ばれて反射的に姿勢を正した。悠の瞳が、何かを決意した様な凛々しいものだったから。
悠は笑顔で、最後のカウントを告げる。
「これがゼロ。陽一、大好きです。私と付き合ってください」
悠の言うカウントダウンとは、俺への告白のカウントダウンだったみたいだ。
俺のヒロイン候補の一人から、告白を受けた。それは、ラブコメの主人公としてはエンディングに程近いものになるだろう。
しかし、俺の気持ちは少しだけ捻じ曲がってしまっていた──。




