18話 俺と幼馴染みと八年間の真実
「……」
「……」
俺と悠は、入浴後再び俺の部屋で向き合っていた。悠も俺も、何となく正座して眼を逸らす。
風呂に入る前、俺が見たのは幻じゃない……よな。
悠は確かに、可愛らしいパンツを穿いていた。洗濯籠には、真空夜より遥かに乏しいサイズのブラがテキトーに突っ込まれていた。見間違いじゃない。
何より、直ぐに手で覆われて一瞬しか見えなかったが、胸部に僅かな膨らみが確認出来た。
「なぁ、悠」
火照った身体に冷や汗を滴らせる悠に、じっと眼を向けた。怯えた様に跳ねた悠が、恐る恐る俺を見上げる。
「な、何でございましょうか……」
「変な口調になんな。俺も、話し難いだろうが」
「も、申し訳ございませぬ……」
ダメだこりゃ。怒られるとでも勘違いしてんのかも。
実際、俺は真空夜に怒られて、風呂の後二人で話し合う様にけしかけられた。要するに真空夜は知ってたってことね。
だから悠を俺の部屋には泊まらせないって訳ね。理解した。
理解したけど、まだ本人の口からは何も聞いていない。
「悠お前、女……なのかよ」
「……えっと」
悠は何処を見るでもなく視線を彷徨わせ、唾を飲んだ。
──そして両手を大きく広げる。
「や、やだなぁ僕は男だよ男! ずっとそう言ってきたじゃん! 急に女の子になる訳ないでしょバカだなぁ陽一は!」
俺は無言で、じっと悠の眼を見つめる。頼むから、こういう時くらい正直になってくれ。
「ほら見てみて! 何度も触ったことあるでしょ? この平たい、胸……。あのその……陽一?」
自分の胸に手を当てて赤面した悠が、しおらしい声で俺を呼ぶ。多分、俺が一切表情を変えないからだ。
今俺はショックを受けてるんだよ、悠。ずっと、男だって思い込んでた幼馴染みが、実は女だってことを隠してたんだから。
信用されてない気がして。
「……僕は、女です。ごめんなさい。出会ったあの日からずっと、隠してました」
悠が深く頭を下げる。その声には、絶望と苦しさを感じられる。
悠は決して俺と眼を合わせようとせず、俯いたままになる。つい一時間程前まではしつこいくらいにくっついて来た癖に、今は距離だけじゃなくて精神的な壁も感じられるくらいだ。
「何で、隠したんだよ。あの時俺、『何だ男か』的なこと言っただろ。その時『女だよ』って一言言ってくれればよかったじゃねぇか」
自分でも苛立ってるのが分かるけど、これは誰のせいでもない。いや、俺のせいでしかない。
悠はきっと初めは、性別を隠すつもりなんてなかっただろうから。
「僕は、陽一と友達になりたかったの。男子と女子じゃ、いつか離れる時が来ちゃうかも知れないでしょ? 陽一が言った様に、同じ部屋で寝るのもおかしいってなるんだよ」
「男でも女でも、ずっと友達でいりゃいいだろ。優梨奈と俺は未だに友達だ」
「うん、そうだね。本当なんで、隠しちゃったんだろうね。『僕』なんて言ってさ……バカだよね」
悠の声は段々と小さくなっていく。半泣きの声が、俺の耳には痛過ぎた。
泣かせるつもりはなかった。責め立てるつもりもなかった。何で隠したのか、が知りたかっただけなんだ。
悠はあの時勘違いした俺をフォローするために、嘘をついた。きっとそうだ。悠は、優しい奴だから。
「怒ってるつもりはないんだよ。強く言っちまって悪い。でも、どうしても納得いかなくて」
「うん、そうだよね」
悠はようやく俺と眼を合わせると、正座のまま背筋を伸ばした。
「私は、初めの内はいつ打ち明けようか悩んでた。でも中学目前で、陽一への恋心を自覚したの。途端に、『陽一が離れてっちゃうかも』って怖くなって、その機を逃した」
悠は上辺だけの微笑みを浮かべる。全然、笑えてないのなんて分かるのに、また嘘をつく。
何年お前を見てきたと思ってんだ。そんな嘘バレバレだっての。俺が一番、近くで見てきたんだから。
「もう一つ理由があってね。『陽一の一番の友達でいたかったから』なんだ。結局は優梨奈ちゃんの方が、上っぽいけど」
「いや、優梨奈と悠に上下なんてねぇよ。どっちも一番だ」
「あはは、ありがと」
悠がきっとそう思うのは、俺の普段の発言からだと思う。
例えば優梨奈の方が幼い頃からの付き合いだ。しかし、俺は優梨奈を「親友」呼び、悠を「幼馴染み」と呼ぶ。
悠からしたらそれは、「自分は優梨奈以上の存在になれない」ってことだ。……多分。
「小学校は最初から最後まで不登校だったから、陽一にも真空夜にも気づかれなかったね。真空夜には中学の更衣室で遭遇して、バレちゃったけど。……とうとう陽一にも、知られちゃったかぁ」
「優梨奈は知ってんのか?」
「うん。優梨奈ちゃんは、そもそも私を男だと思ってもなかったみたい。こんな真っ平らなのにね」
「恥ずかしいからやめなさい」
普通、男の前で胸の話題を出すか? わざわざその真っ平らな胸を撫でるか?
……ん? 待って、撫でる? 女──?
「は、悠あのさ……もしかして俺今まで、とんでもないことばかりしてたんじゃ……」
肝が冷える。血の気がゼロに近くなった気がした。
俺は、この八年間悠にセクハラばかりしていたのでは──?
「とんでもないこと……? ああ、胸触ったり服に手を突っ込んだり、覗いたり?」
「うわああああああああああああああああああ! そうそれ! それらのことですううううううう!」
絶望的な状況だ。コスプレだと思って可愛い格好させてその上セクハラばかりして。男だから大丈夫って何も考えてなかったけど、悠からしたらただの変態だった訳だ。どうりで「キモい」ばかり言われるよ!
「えっと……」
カーペットに伏せる俺の頭に、恐らく悠の手が置かれる。何か申し訳ないから、撫でないでくれ。死にたくなる。
「陽一は昔から変態でしょ? 今更気にしないよ、私」
「俺を殺せえええええええええええええ!」
「えぇ⁉︎」
慰めてくれたつもりだろうけど、俺からしたらトドメと同じだ。昔から変態って時点で、救われる訳ないしね。
だって要するに、「変態だなぁ」とか思われてたってことだろ? もうお嫁に行けない! ……嫁をもらえないの間違いかも。
ラブコメしたいとは言ったけど、こんな危ねーラブコメしたかった訳じゃねぇよ神様!
「もう、どうしたらいいの? 気にしないよ? これからはなるべく注意してほしいけど」
「するする絶対する! もうお前を女として見るからな!」
「それはちょっと恥ずかしいけど、お願いします。あと、マーヤとか優梨奈ちゃんにもエッチなことしちゃダメだよ?」
「は?」
あいつらにエロいこと? した覚えない……よ? 多分。真空夜にやったら殺されるイメージしか湧かないし。照れとかそんなの無さそうだし。
ラブコメの中だと、真空夜みたいなクールなタイプは案外落としやすいってのが多いけど。まずありゃ姉だわ。
「優梨奈には、時々セクハラしてるかも知れねぇな……」
指舐めたり、ふざけて迫ってみたり。どっちも、優梨奈が挑発してくるから悪いんだけどな。
「優梨奈ちゃんはさっぱりした性格だからねぇ。下手したら、警察呼ばれちゃうかもよ」
「何てこと言うんだよ! 親友に警察呼ばれるとか酷い! まず、あいつだってセクハラしてくるぞ!」
「優梨奈ちゃんが? どんな風に?」
「言うか!」
だって、「童貞」呼ばわりしてくるし。股間蹴り上げるとかそんなばかりだぞ。こんな汚れのない少女に教えるべきじゃないだろ。
悠は納得がいかなそうに右頬を膨らませて、ぷっと笑う。何か可愛い。女だって分かったら分かったで、二人きりなのが不安になってきた。
「はい、これで陽一も一つ隠し事しました〜。だから、今までのこと、許してくれる?」
何だそりゃ……って言っても、俺も怒ってた訳じゃないしな。
「許す。もう二度と気にしない。セクハラはしない。だから俺の部屋にダイブするのもやめような」
「それはまだ続けたいなぁ。幼馴染みの女の子が起こしに来てくれるのも、ラブコメで鉄板なんでしょ?」
「俺は今まで、男の子の幼馴染みが腹にダイビングニーバットして来てたと思い込んでいましたからね?」
「じゃあこれからは、玄関から入って起きるまでぎゅーってしててあげるね!」
「……起きれなそう」
首をぎゅーの場合だと、逆に寝ちゃうから気をつけろよ。悠ならやりかねないし。
てか、普段は先に起きてるから来る前に一階降りてくわ。
朝っぱらから抱き着かれて諸々我慢出来る程大人じゃないからな、俺も。
「そうだ陽一、最後に一つ教えとくね。陽一ならラブコメの主人公達の真似して『何で俺なんかを』みたいなこと言いそうだから」
「うん、忘れてた」
セクハラの衝撃がデカ過ぎて、悠が俺を好きな女の子なんだってことも完全に虚空の彼方だった。
つーか悠、俺を何だと思ってんだ。確かにラブコメは好きでラブコメの主人公は自分だって自覚してるけど、真似はしないよ真似は。「へぇ、俺のこと好きだったんだ。何で?」的に返すよ。
「……と、ちょっと待て悠」
「ん? 何?」
部屋の扉を開けようとした悠の手首を掴んで、引き止める。近過ぎて言い難くなっちまった……。
「えーと、あのな? 俺は今までずっと、お前を妹または弟として認識して来たんだ。だからその……」
「分かってるよ」
やっぱり言い難くて口籠る俺に、悠は微笑み返してくれた。本当俺は情けない奴だよな。他の主人公達に申し訳ねぇ。
悠は、優しく俺の手を離すと、小さく手を振って廊下に出た。
「私とは付き合えない……でしょ? 元から、覚悟の上だったから大丈夫。おやすみ、陽一」
「ああ、おやすみ……」
「うん、また明日」
言い終わるより早く、悠は扉を閉めた。ペタペタと廊下を歩く音は早く、音を立てないように扉をゆっくり開けてみたが、既に一階へ降りて行ってた。
悠よ、真空夜の部屋はそっちじゃねぇだろ。隣だ隣。
「なーんで──男装してた幼馴染みが俺のことを好きで、男装のまま告白してくるんだよ。もっと普通のラブコメがあっただろうよ」
ベッドに仰向けで転がって、隣の部屋に聞こえない様ボヤく。
幼馴染みがヒロインのラブコメって言ったら、大抵が負けルートってのを聞く。でも悠は、容姿だけなら俺のドストライクなんだよ。きっと勝ちだった。
八年間も男として、俺に接していなければだけど。
「悠には悪いし、自分的にも結構後悔残りそうだけど、今回の告白は無しの方向で」
夢の中で、悠と真空夜が俺の取り合いをする。
大怪獣真空夜は、勇者悠の攻撃を物ともせずただただ叩き潰していた。圧倒的で凶暴だ。
ここで、段ボール戦士の俺がどちらかを助けることによって、このラブコメのエンディングが決まる。そう確信していた。夢の中だけど。
例えば、悠を救えば恐らく彼女とのゴールイン。真空夜に手を貸せば真空夜に蔑まれるだけの意味不ルート開拓。選択の余地はない。
────が、大怪獣真空夜が恐ろしく、段ボール戦士陽一はひっそりと息を殺した。
悠、すまん。
「つーか、何でその二人? 片方姉だろ? これはやはり、ラブコメじゃなくてバトルロワイヤルだったか」
目が覚めて、今日からはスマホで時間を確認。壊れてる目覚まし時計なんて使う意味もないし。
悠が飛び乗ることもなかった今日は特に寝坊した。八時目前である。
遅刻確定、だというのに──
「遅いぞ陽一。早く朝食を済ませ、素早く仕度しろ」
「おはよ陽一。何処が自力で降りて来るのさー」
何故か登校していない姉と幼馴染み。何でのんびりテレビ見てんの? 制服着てバッグ準備してあるなら待ってねぇで先行けよ。
……ん?
「悠、制服着てんだ珍しい。しかも、女子の」
真空夜とお揃いの制服。前に真空夜の制服着てたけど、その時と違ってサイズがちゃんとしてる。スカートの短さ、破壊力がトンデモない。
「もう隠す必要ないしね〜。同級生達は、殆ど全員知ってるし。学校の許可は取ってあったし」
「何で誰も教えてくんねぇんだよ⁉︎ しかも、そんな話題小耳に挟んだことすらねぇ!」
「当たり前じゃん、陽一には内緒ってことにしてもらってたんだから」
「何でだよ! 教えてくれよ!」
「……もう、別にいいじゃん終わったことなんだし。早くご飯食べて? 遅刻するよ」
「あと数分で遅刻だわ!」
「「黙れカス」」
──二人にハモられて、何かがポキって折れた。そんな音がした。心の中で。
ああ、目玉焼きが美味しいな。もやしサラダも美味しいな。ホットミルクは珍しいな。
無心で食べ続けて、一限が終了すると同時に登校完了。今日の大遅刻は、てっきり三人揃って説教受けるって予想してた。でも俺だけだった。何故。




