17話 俺と幼馴染みとラブコメと
眠りこけている悠の、柔らかい頬に触れる。ぷにぷにしてて心地いいから、つんつん指で突いてみる。
薄っすらと悠が眼を開け、俺をぼーっと見つめる。やっぱり、一眼で男とは分からないよな、こいつ。
「悠、起きろ。何でまたこんなとこで寝てんだよお前は。皆心配してんぞ」
「あ、陽一。どうしたの? 凄い汗かいてるけど、こんなとこに」
「お前を捜してたんだろうがよ。つーか何で山頂にいるんだよ」
「僕を? 何で? 何で何で?」
悠が眼を擦りながら、俺に擦り寄る。クソ、出会いのシーンがフラッシュバックして心拍数がヤバい。この可愛さ、年々増してくのは何でだ。
大欠伸をする悠を見て、心臓が大人しくなった。うん、やっぱ悠は悠だわ。可愛くても、それまで。それ以上はない。
「悠のお母さんから珍しく電話が来たと思ったら、その悠さんがいないって教えられたんだよ。皆して、家出したのかと思い込んでるぞきっと。電話かけても出ねぇし」
犬を相手にする気分で悠の頭を撫でる。そしたら顔を真っ赤にして、眼を背けられた。
「家出なんかする訳ないじゃん。今が一番、居心地いいのに。──スマホは家に置きっぱ」
「やっぱりかこのマヌケ」
「うっさいバカ」
「バカはお前だっちゅーに」
「黙れカス」
「真空夜の真似はしなくていいんだよ! それすっげぇ傷つくんだからな⁉︎」
涙目で抗議したら、悠は遠慮がちに謝った。こういうとこは、真空夜と違って素直だからいい。
そんなことより、家出じゃないとしたら何で誰にも言わず山頂なんかで寝てたんだ。
「やっぱり気になる? 僕としては、それを打ち明けるのは結構勇気がいると言いますか……」
「言え。隠すな。両親に真空夜、挙げ句の果てには優梨奈にまで心配かけたんだ。正直に答えろ」
「うぅ……」
悠は物怖じした様子で俯く。それから俺に背を向けて、木の幹に掌をそっと当てた。
またも、あの出会いがフラッシュバックする。木に触れる悠と、それを眺める俺が。
俺と悠はここから、幼馴染みであり友人と関係を作っていったんだ。
その時は悠の奴、迷子になったって言ってたな。
「僕は、ここで思い出に浸ってただけだよ」
悠は落ち着いた声で呟いた。懐かしむように、眼を閉じている。
「思い出って、俺達が出会った時のことだよな? この山って言ったら、それくらいしかないだろ」
「うん、そう。何か急にさ、来たくなっちゃったんだよね。陽一と、ここで出会えたんだって……思い出したからかな」
「へぇ、奇遇だな。俺も思い出してたんだよさっき。ここで、迷子のバカを助けてやったっけな」
俺が笑うと、悠はバッと振り返った。口元はキツく結ばれ、何か言いたいことを我慢しているみたいだ。
無理やり言わせることも今なら可能だけど、悠のこんな切ない表情を見たらそんな気も削がれた。
「陽一も、思い出してたんだ……?」
悠が遠慮がちに、上目遣いで見て来る。俺は一歩悠に近づいて、大樹を見上げた。
「ここに来る度、まぁ思い出すかな。結構衝撃的だったし。今日もその時もお前寝てたし」
「何か、寝ちゃった」
「昔もそうだったし予想は出来てた」
悠は恥ずかしそうに微笑む。八年前に出会った時は、堂々としてたんだけど、やっぱり人って変わって行くんだな。
優梨奈も真空夜も、本当の本当に小さかった頃の面影なんてない。
悠は多分気付いてないが、俺はこいつを逃さないために接近した。なるべく自然に、とうとう正面に。
「俺さ、悠のこと最初は女の子だって勘違いしてたんだよ。運命のヒロインだって、勝手に思い込んでさ」
「……っ! 運命の……?」
悠が照れ臭そうに訊いて来る。俺も正直気恥ずかしさがあって、後頭部を掻き毟る。勿論照れ隠しで。
だって男を「運命のヒロインだ!」なんて勘違いした黒歴史、そう簡単に打ち明けられないだろ。
「そう、運命の。それまで出会った全ての女子より、可愛いって思ったから。心からな──いや、今も一番かも」
「で、でも僕は……」
「分かってる。もう勘違いしてねぇよ。悠は男だ。女であってほしかったって願望は消えないけどな」
「……あはは、もうホントキモい」
悠は声のトーンを落とす。少し泣きそうな顔をしている様にも見えるけど、今の悠には何も言葉をかけてはならない。きっと、その筈。
一瞬、微かな重みと浮遊感を覚え、バランスを崩した。悠が俺を押し退けて、大樹から離れたからだ。
「ホント、ずっと……ずーっと陽一は勘違いしてて困っちゃうんだから」
悠がボソッと呟いた言葉は、ハッキリとは聞き取れなかった。それでもいいやって感じで、薄暗い町を背景として悠を見つめた。やっぱり、雰囲気出ると更に美少女感あるよな……。
「ねぇ、陽一。ちゃんと聞いてくれる?」
「おう、絶対聞き逃さない」
俺と悠は微笑み合う。星がイルミネーションの如く綺麗に輝く夜空の下、数秒時間を止めた様に。
かつては知らなかった、ラブコメの世界。だけど今は浸かる程知ってる。
だから俺は、この後の展開を容易に想像出来た。こんなシーン、ゲームにあった気がして。
「僕は陽一が好き。大好き。この世で一番、どんな人よりも。覚えておいてね?」
悠はそう微笑む。その笑顔は決して、幸せなものじゃなかった。
薄っすらと見える手は、腰の辺りで震えてる。口元も引きつっている。泣くを堪えている様にも見える。
幼馴染みの少年は俺に恋をした。俺もかつて、この悠に恋をした。──しかし全て、性別という越えられない壁によって跡形もなく崩されて行くんだ。
「悠、帰ろう」
絶対覚えておくから。このシーンも、お前の告白も、全部全部忘れてやらないから。
俺が差し出した右手に、悠の小さな左手が乗せられる。
その温もりをしっかりと胸に刻み込んで、あの日と同じ様に山を降りた──。
「このバカ! 大バカ者! カラスアゲハ! 皆心配したんだぞ。次からは絶対、私達の誰かには用事を告げてから外出しろ! 分かったな⁉︎」
「うん。ごめんねマーヤ」
真空夜は本当に心配していて、悠を連れ帰ると大泣き。暫くは悠に抱きついたまま、離れなかった。
悠の両親も安堵の溜め息を吐いて、その場にへたり込む。お父さんいつ帰って来たんすか。うちの親父見て言えることじゃないけど。
その他に、
『はぁぁよかったぁ。あのチビ、次同じことしたら髪の毛わしゃわしゃの刑だからな!』
優梨奈も電話越しに悠のことを知り、安心した様だ。どっちも仲良くないとか言うけど、この二人こそ姉妹みたいで微笑ましかった。
「優梨奈、一緒に捜してくれてありがとな。悠にはその刑、痛くも痒くもないぞ。元から癖っ毛だから」
『あー、そっか。じゃあそうだな……一時間ずっと抱き締めてやるとかどうだ? すっげぇ邪魔だろ?』
「それ既に真空夜が実行済み」
『んじゃあ陽一がキス責め……?』
「何でやねん」
結局アホらしい会話になったので、俺と優梨奈はそこで通話を切った。数秒後、優梨奈から「また明日!」とメッセージが届く。勿論、同じ言葉を返した。
コンコン、と部屋の扉がノックされ、悠が返事も待たず進入。せめて「どーぞ」くらい聞けや。
「どうした、悠。俺は飯食って風呂入ってさっさと寝るつもりだぞ、遊ぶ時間はない」
「遊びに来たんじゃないもーん。陽一とお話しに来たんだもーん」
「もーんじゃないんだよーん」
真空夜からまだ飯が出来たという連絡はないから、悠も今は暇なんだろう。俺は疲れたから、あまりめんどーなことはしたくない。
悠は鼻歌混じりに俺に擦り寄る。ご機嫌そうだ。
「何だよ。くっつくなっての」
「やだ」
「ガキか!」
「いー!」
口の端を引っ張る悠。これ、本当に子供じゃねぇか。高校生にもなってこれはないわ。
可愛くても、減点だわ。頭悪い子確定だわ。知ってるけど。
「陽一はさ、僕のこと心配した? 他の皆は、すっごい心配してくれてたみたいなんだけど」
結局俺の脚の間に収まった悠は、顔だけ俺に向ける。何だその質問は。
「しないで欲しかったのかよ。それなら、残念でした〜。汗で服がびしょ濡れになるくらいには心配しました〜。今着てるのがその汗塗れの服ですが何か?」
俺は「早く離れろ」という意図を遠回しに伝えたつもりだった。でも、悠は更に密着してきて……
「そっか……。そんな心配してくれたんだ。えへ、えへへへへ……」
頬に両手を当てて嬉しそうに身体を揺らす。可愛いけど、不気味な笑い方をするんじゃないよ。
「汗、ついちまうぞ」
「いいもん。汗は別に、汚くないでしょ……?」
「端から見たら汚いもんだと思いますけどね。サッカー少年には分からないか」
「うん、分からない。陽一の汗も全然汚くない」
悠は身体の向きを変えて、俺に抱きつく。これが女の子だったらどれだけ幸せなことだったのだろうか。
男でも、悠は可愛いし弟みたいなもんだから別に嫌じゃないんだけど。
「陽一大好き。すっごい好き」
「はいはい、分かってる分かってる」
俺も好きだぞーとは言ってやらない。何せこの子おバカだから、変な風に受け取ってしまうかも知れないのだ。迂闊に言えません。
そういや、最近は真空夜の泣き顔よく見るなぁとか考えて、その一部は俺のせいだって思い出して項垂れた。
悠が臭いを嗅ごうとするのを止めて、ほんの数分後──
「あ、そうだ。今日僕泊まるね、久し振りに」
なんて悠が言う。俺を鼻先が触れそうなくらいで見上げるから、ドキドキするだろ。告白受けたばかりだし。
つーか、好きな相手に告白しといてよくこんなベタベタくっついてられるなこいつ。メンタル弱いんだか強いんだか判断しようがねぇ。
離れることは出来ないから、なるべく眼を逸らす。
「何で急に泊まるんだよ。中学二年以来じゃねぇ?」
「そうだね、そのくらいから全然泊まらなくなったね。お互いに。……何で?」
「何でって、思春期だからじゃねぇの? 俺もちょっと今、気が引けてるし」
「なーんーでー」
悠が俺の襟を掴んで揺らす。吐くわ。疲れてんのに身体揺らすとかふざけてんのか。
……素なんだろうな、悠だし。
「んじゃあ逆に聞くけど、気恥ずかしさとかないのかよ? 他の奴の隣で寝るとか!」
「……えっ」
悠が固まる。ん? 何か俺変なことでも言ったか? いや言ってない筈だ。同性でも少しくらいある筈だし。
「陽一さ……」
「お、おう」
悠の神妙な雰囲気に呑まれて、つい怯んだ。だって、さっきまでベッタリだった悠が、今は少し離れてんだもん。
悠が一瞬俯いて、俺に怪訝そうな顔を向ける。
「一緒に寝るつもりだったの……?」
「──え?」
え、違うの? だって悠お前、これまでうちに泊まる時は俺の隣でだっただろ? 俺のベッドで寝てたろ?
俺はよく理解出来ず、悠の顔を窺ってベッドを指差した。
「ここで寝るんじゃないの……?」
「違うよ」
悠は苦笑して、立ち上がった。明らかに少し、俺を軽蔑したよなこいつ。「うわぁ」って顔に出てたぞ。
だって俺の部屋以外何処で寝るんだよ? 親父の部屋は汚過ぎて転がる場所ないぞ。だとしたらここしかなくね?
「僕は、真空夜の部屋で寝まーす」
「いやいやいやいやおかしいだろそれはよぉ⁉︎」
「わっ」
ピースする悠の肩を掴んで、全力で首を振る。ちょっと痛めた上に気持ち悪い。
「看過出来んぞ! 真空夜は女でお前は男! OK⁉︎」
「ちょっと何言ってるか分からないです……」
「サンドウィッチマンか!」
「僕の推し芸人は天の河さんです」
「んなこと訊いてねぇわ! つーか久々に聞いたわ!」
俺が息を整えていると、悠が優しく背中をさすってくれる。言っとくけどお前のせいだからな。
「もう、何が言いたいのか本当に分からないんだけど?」
悠が呆れた口調になる。何で分からないんだよ。
今ので理解出来ないならと、一から順に説明するしかないな。
「まず、お前は男だ」
「うん」
「真空夜は女だ」
「うん」
「それが同じ部屋に寝て、普通だと思うか?」
「だってマーヤが来いって言うんだもん。流石にこの歳で陽一と寝れる程僕は大人じゃないもん」
「高校生の女と寝るつもりの奴が子供って言い張る気か!」
……いや待って。俺自分で何が言いたいんだかさっぱり分かんない。チンプンカンプン。アッパラパー。
悠がふと「あっ……」と溢して、何故か何度も頷く。眼を見開いたまま。
俺に眼を向けて、また苦笑いを見せた。
「そっか、男女が同じ部屋ってとこに不安があるんだね。陽一、やっぱエッチ。キモい」
笑顔で言うことじゃねぇだろ。
「安心して、僕とマーヤはお互いを信頼してるからそんな変なこと起きないし。ご飯行こー」
「あ、あの……はい」
──飯の時間でもその後風呂の待ち時間でも、俺は何かむしゃくしゃしてた。
一階で、真空夜が悠に風呂の番と教えるのが聞こえて、即座に立ち上がった。
願ったり叶ったりじゃんか。久し振りに悠と風呂入ろう!
「悠! 久し振りに一緒入ろーぜー!」
バカみたいなテンションで、気まずくならないようにした。つもりで風呂の戸を開けたら──真空夜の「あ⁉︎」という声が聞こえて、俺も「あっ?」と溢した。
「なっ、なっ……⁉︎ 何してんのー⁉︎」
「お前、あれ⁉︎ どゆこと⁉︎ マジでどゆこと⁉︎」
上半身だけ脱ぎ終えて白い天使の様な肌丸出しで、下半身は可愛らしいレース付きのパンツ一丁な────完全に女の子な、全裸の悠がそこに居た。




