16話 俺の幼馴染みとの真夏の出会い
蝉の鳴く、真夏の教室。小学三年生の俺は、授業もロクに聞かず外の景色を眺める。
今日も空は青い。平和な世界だ。なんて考えて口元を綻ばせる。
「なぁよーいち。虫ってさ、何でたかってくるんだろーな。邪魔だよな、こいつとか」
「そうだな。俺達のみりょくにやられちまってんだろ」
丁度同じクラスだった優梨奈は、「へー、キモ」と苦笑してハエを指差し続ける。分からないのかよ? フェロモンだフェロモン。これだから子供はな。ハハ。
「そう言えば、虫と言えば姉貴が苦手だな。何でも、カブトムシすら『天敵』とか言うからなあいつ」
「ああ、真空夜? ホント虫苦手だよなぁ。こんな面白い顔してるのに」
「怖くも何ともないじゃんな。毛虫とか蜘蛛は流石に無理だけど」
「それはあたしも無理」
「だよね」
俺と優梨奈は隣の席だから、いつでも話せる。けど流石にはしゃぎ過ぎて、先生に怒られた。
昼休みになって、俺と優梨奈は姉貴の教室に向かう。四年生は一階上だけど、その程度なら疲れもしない。どうだ。
「陽一、優梨奈。今日のお昼ご飯は何だと思う〜? ママがぁ、奮って作ってくれたんだよぉ」
この頃の真空夜は少し明るい。今では絶対に使わない、間延びした口調になる時もしばしばあった。今の様に。
天才少女と先生達に噂され、自分の努力は認められない。可哀想だなって思うから、たまに頭を撫でてあげたりもした。
「うお、タコさんウインナーじゃん! いいなぁ、あたしもそれ食べたい!」
「いつも一緒に食べてんだろ」
はしゃぐ優梨奈に後ろからチョップ。そして直ぐダッシュして逃げる。前からだと仕返し食らうから。
「チッチッチ」
姉貴が、人差し指を立ててニヤニヤする。この動き知ってる。前にドラマで刑事さんがやってたのだ。
姉貴、ハマってたからなぁ。虫が映った瞬間見なくなったけど。
二重の弁当箱を更に開けた姉貴は、お箸で別のタコさんウインナーを一つ取り出して、さっきのタコさんウインナーの横に並べた。
……あれ? 何か違う。真っ赤なのは一緒なのに、色々と違う。
「これは、タコさんウインナーとタコさんウインナータコさんだ」
「「……え?」」
姉貴が自信満々な感じで言い放った言葉に、俺と優梨奈は顔を顰めてハモる。
「こっちは、タコで作られたウインナーなんだ。で、こっちのは本物のタコだ。つまり、ウインナーじゃない」
「お母さんマジで何やってんの? 何でタコをタコさんウインナーに似せてるの?」
かおす過ぎるだろ。
優梨奈がボケっと口を開けたままにしてるから、タコさんウインナーを突っ込んでおいた。ビクって跳ねたけど、幸せそうな顔で食べてる。可愛い。
「他にも、陽一が大好きな、アニメの女の子が食材で象られていたり、私が大好きなハンバーグが作ってあったり、優梨奈様にジャガバターが入ってたりする」
「やったー!」
優梨奈が手を上げて歓喜する。俺は隣で、半喜びだった。
変な場所で途切るなよ。俺が好きなのは「アニメの女の子」じゃなくて、「アニメ」だから。勘違いされたら困るだろ。
女の子を見るのは、ヒロイン候補がいずれあらわれる筈だから余裕だし。
「さ、早く食べよう。次の授業まではまだあるけど、食後の休憩もしてトイレ休憩もして、ちゃんと歯も磨いて五分前には着席するんだからな」
「「うへ」」
「うへ、じゃない。しっかり、受けるんだからな」
「「ほーい」」
授業は面倒くさいけど、運命の女子と巡り合うためには学校での生活は欠かせない。世の中には「学園ラブコメ」ってやつがあるらしいから、それを狙うんだ。
俺ははーれむは好きじゃないけど、可愛い女子とラブラブするために生まれたこの世界の主人公だからな!
「そーだ。よーいちと真空夜、今日虫捕りに出かけるんだろ? 夜はちょっとだけ雨降るって、テレビでやってたぞ」
「あー、マジで?」
今夜俺達家族は、虫捕りへと駆り出すつもりだ。でも多分、お母さんは忙しいから来ない。
──それと、今眼の前で噎せたこの人。
「私は断固として反対だ。あんな、私達を襲うことを企んでいる者達がうじゃうじゃ待ち構えているとこなんかに行くものか……!」
興奮気味に姉貴が言うのは、虫達とそれが住み着く山のこと。
この町にはそれ程大きくない山がある。そこなら頂上まで登っても、そんなに時間はかからない。だから、そこに入るつもりだった。
姉貴が来ないなら来ないで、親父と行くだけなんだけど。
「真空夜虫苦手だもんなぁ。今度カブトムシ持って来てやる? 慣れれば何とか……」
「ふざけるな!」
優梨奈が閃いたと人差し指を立てるけど、姉貴は獣の如く怯える。
「優梨奈、お前は知らないで飼っているのだろうがな……いつ飛びかかって来るか分からないぞ。 奴は刺客だ! 気をつけろ!」
「んな大袈裟な……」
たかがカブトムシにこんな怯える人って、中々見ないよな。何だ刺客って。お前には敵でもいるのか。俺がラブコメなら姉貴はバトルか。
優梨奈と眼が合って、「この話は終わりにしよう」と意思疎通させる。
姉貴が狂う前に、蚊取り線香いっぱい買わなきゃな。お母さんに頼もう。
……もう八月だけど。
「うん。うん分かった。姉貴も行かないっぽいから、俺一人で行くよ」
お母さんはやっぱり、仕事で帰って来れないらしい。やることがいっぱいあるんだってさ。
因みに、親父は幾ら叩いても起きない。丁度いいから真空夜の面倒でも見ていてもらおう。寝てるけど。
受話器を置いて、親父が買ってきてた網と虫カゴを手に、意気揚々と家を出た。
「もう夜か。雨、まだ降ってないし行っちゃおう。直ぐ行って直ぐ帰って来れば途中で降っても全然平気だろ」
間違いなくびしょ濡れになるだろうが、この頃の俺にそんな脳はない。傘も持たず、山の麓まで走る。疲れて歩いたけど。
懐中電灯は、小さい物をポケットに入れておいた。既に午後六時で、辺りは暗い。
こんな暗いのに、小学生が一人で外出ていいのか? とか不安になりながらも、木の陰を照らしてみる。
「おっ! あれコクワだコクワ! ちっちゃ! ──あ、ゴキブリだったわ」
虫を見つける度に大声で騒いでいたのは、一人で夜の山を登るのが心細かったから。麓に着いた時、大人が数人子供を捜していたみたいだし。
誰か迷子になった……なら、この山が一番怪しい。だからこその恐怖だった。
「今度こそクワガタだ。形からして、ミヤマだな。よっし……!」
網を構えて、ゆっくりと木に近づく。
「──ん?」
暗くてちゃんとは確認出来ないけど、網が一部だけ真っ黒に見える。これ、穴空いてね?
ミヤマが逃げたのにも気付かず、倒木に腰を下ろして網を照らす。思った通り、かなり大きな穴が空いていた。
おい、親父。これ新品じゃねぇのかよ。
「何だし、こんなもんじゃ何も獲れないじゃんか。カブトムシだったら絶対網切って逃げてくよ」
そりゃ何のための虫捕り網だ。なんて今では恥ずかしい思い出。
俺は不貞腐れて木から立ち上がる。けど山を降りずに、逆に上がることにした。
この山の頂上から見る景色は好きだから。夜なら、どんな風に見えるのかとても気になったんだ。
腕時計を見たら午後七時を過ぎていた。流石に、そろそろ帰らなきゃって焦り出した頃、山頂に辿り着いた。
中心に聳え立つ、空に届くんじゃないかってくらい大きな木は──人工のものって知ってる。別に感動しない。
「この木、やっぱ自然の物じゃないからかな? 全然虫がついてない。大き過ぎて、びっくりしてんのかな」
またしても、そんな訳あるかい。とツッコミを入れたい若き日の自分の感想。だったら何で家に虫が来るんだよって話だ。
木の幹は家族が四人、横に並べるくらい太い。これだけ太ければ折れないよな、なんて笑う。
──ふと、驚いて足を止めた。
「んにゅむにゅにゅ……」
「お、女……?」
明らかに自分より歳下な、見たことないくらい可愛い女子が木に寄りかかって寝ていた。
俺は山から見下ろす景色を忘れて、その子をジッと見つめる。凄い可愛い。ヤバい、可愛い。
気付けば近づき過ぎて、顔が眼の前に。可愛過ぎて直ぐ離れた。
「この子……だ。絶対この子だ。俺の、運命のヒロイン……!」
そう確信した。そうそうない様な出会い方だし、何より凄ぇ可愛いし。
ドキドキ、心拍数が平常線をぶっ千切る。そこそこ可愛い優梨奈を見ても、ここまでドキドキしないのに。
早く起きないかな。いやでも起きたら起きたで、俺ちゃんと話せるかな。まず何て話そう? 「おはよう。よく寝れたかい?」なんて変だもんな……。
起こさなきゃ時間がまずくて、起こしたら俺の心臓がヤバい。どうしたものか困惑して、ふと女の子の服装に注目した。
「Tシャツに短パン? よく考えたら髪も短い。女の子にしては何処かさっぱりしてる様な……」
この頃の俺は、やっぱり認識が変だ。女の子はオシャレな服を着てるってイメージが強かった。髪も長いって思ってた。
優梨奈そんなに長くないのにな。
男である可能性はなくもないと諦めつつ、町の景色を見下ろす。様々な色の光が闇に浮かぶ、幻想的な世界に見える。
「ふぁ……」
可愛らしい声に、反射的に振り返った。ヤバい、起きたっぽい。目を擦ってる。
「あれ……? ……………………あれ?」
沈黙長っ! 確かに、周りが真っ暗だったら状況を掴むのも一苦労だろうけど、長時間沈黙して出たのが同じ言葉かよ!
少女(仮)はもう一度欠伸をすると、木の幹に手をついてゆっくり立ち上がった。
「あれ? ここ何処だっけ。木があるってことは──町かな」
「木は何処にでも大抵あるだろ! 屋外なら! つーか『あれ?』多過ぎだろ! ここは山の頂上だわ!」
「うおぉ誰……⁉︎」
思わずツッコミを連発した。この少女(仮)はかなりのおバカっぽい。
警戒の眼差しを向けて来た割にズカズカ接近して来る少女(仮)は、俺にゼロ距離まで詰め寄り、背伸びした。俺の顔をまじまじと見つめている。
「…………誘拐犯?」
「こんな歳で誘拐犯になる奴いると思ってんのか! 俺小学三年生だぞ!」
「何だ、一つ歳上か。下かと思った」
「自分の身長考えてみろボケ! 俺よりかなり小さいだろうが!」
「三年生のくせに生意気だよ!」
「二年が言うなボケ!」
俺は息が上がって、ひとまず腰を下ろした。下は土だから、汚れるのは覚悟で。
相手をするだけで疲れる少女(仮)は、俺を倣って腰を下ろす。脚、汚れるの嫌じゃないのか?
こいつ本当に俺の運命のヒロインかな。何か、思ってたのと違う。俺の想像でヒロインは甘々な筈なのに。
「……なぁ、お前何でこんなとこに寝てたの? もう直ぐ八時になっちゃうぞ」
見つめられたまま沈黙はキツいから、幾つか質問してみようと思う。てか、こんな至近距離で美少女顔に見つめられたらドキドキする。やめてほしい。
少女(仮)は「んー」と唸ると、大仰に腕を組む。
「迷子だった気がする」
「こんな小さな山なんかで迷子になんのかよ」
笑えな過ぎて思いっ切り笑った。一方で何故かドヤ顔を決める少女(仮)。お前バカだろ。
「お父さんとお母さんが買い物行ったから、その間外でサッカーボール蹴ってたんだ。でも、ボール失くして……探してたらいつの間にかここに」
「お前はボールが山を登るとでも思ってんのか」
「で、寝ちゃった!」
「『寝ちゃった!』じゃないよね! てことはあれか。山の麓で子供を捜してたのはお前の親か!」
「多分そう!」
偉そうに言うんじゃねぇ。こいつマイペース過ぎるだろ。てかバカ過ぎるだろ。
こんなバカ、一緒にいたら疲れるだけだな。ヒロインだとしたらパスだパス。
「サッカーやってんの?」
この山に迷い込んだ経緯を辿ると、マイボールを持ってることになる。だとしたら、経験者なのかも。ただ買っただけって可能性もあるけど。
少女(仮)は、元気よくガッツポーズを決める。
「クラブに入ってるよ!」
やっぱりか。何かこの町、サッカークラブ多いしな。
「近郷サッカークラブってチームなんだ。少年サッカー。でも私……」
「何だ男かよ。可愛いから女かと思ってたのに」
「……え」
少年サッカークラブに女子は入れないって聞いた。だからその時点で男確定だ。
少年が大きな眼を見開いて固まってるけど、無視して腕時計を確認した。まずい、もう直ぐ八時だ。
「お前家どこ? 送ってくけど。迷子なんだろ? 一緒に帰ろうぜー」
「あ、うん。僕は尾長悠、よろしくね」
「あー、おう。俺は荒巻陽一。よろしくな、悠」
「うん……!」
男にしては美少女顔過ぎて声も可愛くて身体も華奢な悠の手を引いて、山を降りた。驚くことに家は隣で、何度もお互いの家を行き来したりもした。
俺と悠はここから、今の幼馴染みという関係になる──。
──思い出の頂上まであと少し。
だってのに脚が動かない。肺がぶち破れちまいそうなくらいの痛みを堪えて、すっかり老いた人工大樹の下に辿り着く。
そこで一人、眠りこけていた。悠だった。




