15話 俺の幼馴染みの失踪
悠とは八年前の夏からずーっと、ずーっと一緒にいる。家も隣でほぼ毎日どっちかの家で遊んだりしてる。素直にめちゃくちゃ楽しい。
だからこそか、今の悠が素っ気ないのが泣ける程に寂しい。
「陽一君? 何寝てんの顔上げなさい。プリントは終わってないでしょうよ」
「静南先生、頭を名簿で叩かんでくれ。あと寝てねーよ」
「じゃあどうして机に伏せてるのかナ?」
「悠が素っ気なくて寂しいんだよ」
静南先生がすっとぼけた声を出す。「あー」と続けて、微妙に笑った気がした。
人が悲しんでるの見て笑ってんじゃないよ。
「悠ちゃんはむしろ、陽一君にベッタリだったもんね」
静南先生は頬杖をついて笑う。今度は馬鹿にした笑い方じゃなく、懐かしんでる様に。
「悠は多分俺が好きだ」
恋愛対象としてな。──って意味だったんだけど。
「ベタベタだもんね、悠ちゃん。デレデレ」
「デレデレなのか? いやまぁ、うん。そう見えないこともないか」
「ベタベタでデレデレで甘々でトロトロでびちょびちょだもんね」
「後半何がございました?」
悠さん濡れたんですか? トロトロとびちょびちょだけよく分からなかったんだが。
びちょびちょは雨に濡れたとして、トロトロって? 何? 溶けた? 何で?
それに悠の場合、びちょびちょは汗での可能性もあるか。今度一緒に風呂入って身体洗ってやるのもいいかも。
「今避けられてるんだった……」
ふざけあって風呂入る想像してたら、それが一瞬で瓦解した。バリーンってな感じに。
高校生になって一緒に風呂入ってくれるかも怪しいしな。でも悠なら「いいよー」って言いそう。うん、大丈夫だ多分。
「陽一君ってアダルトな本は何処に隠すタイプ?」
「急過ぎて聞き逃すとこだったわ」
聞き逃してもよかっただろうけど。
静南先生、今日は心底楽しんでるみたいで何よりだ。昨日の悲しそうな面影は見当たらない。
単純そうだもんな。子供より子供っぽい人だし。
お菓子あげれば喜んで全部忘れちまいそう。
「分かった。ありがちだけどそこを突いてのベッド下だ!」
「やけに元気だね。全然違うわ」
「机の引き出し? 洋服箪笥の中? 本棚に紛れ込ませてるとか? ……もしかして学校の何処か⁉︎」
「な訳ねーだろ。どれも不正解だ」
「えー、じゃあ何処に隠してんのよ」
「実は持ってない」
「はぁ?」
何をそんなに驚くことがあるのか、静南先生は大口を開けて固まった。
「来るべき、ラブコメイベントを待ってそう言った物は買わない様にしてる。いつか恋人出来た時とか、家に遊びに来たりするだろ?」
「あー、そういう……」
呆れ顔で溜め息を溢した静南先生は、名簿を上から順に眺めて行く。何か気になる生徒でもいたか?
俺と同じ考えの奴はいないと思うけどね。俺は主人公として粗相の無い行動をしてるつもりだし。
名簿から目を離した静南先生が俺に視線を移す。うん、と頷いてから満面の笑みを浮かべた。
「陽一君とラブコメしてくれそうな生徒はうちのクラスにいないね!」
「その笑顔だけ満点!」
「だからyou、私とイチャイチャしようよ!」
「嫌だわ! 教師とラブコメなんて俺的には要らない!」
と、静南先生の眉がピクリと動いた。
「──なら、悠ちゃんとイチャラブしなさい!」
「男だわ」
そこが途轍もなく残念なくらい可愛いけど。しかも今避けられてる。
「じゃあ真空夜ちゃんは?」
「姉だわ」
顔や敏感なところは高得点だけど、あの鬼面にあの王様の様な態度。そしてとっても恐ろしい。絶対ムリ。
そもそも、優しさが俺に向けられないからあっちから願い下げってことだろ。
「その二人がダメなら、優梨奈ちゃんか!」
「『優梨奈ちゃんか!』じゃねーから。あいつは俺を好きじゃないし、嫁候補から外れてんだよ」
「諦める他なくない?」
「何であんたら四人だけが候補なんだよ⁉︎」
半分以上アブノーマルじゃねぇか。優梨奈だけだぞ普通なのは。
名簿をテキトーにぶん投げた静南先生は、前方の席に腰を下ろした。──ん? この人さっきまで机に座ってたのか。教師のくせに。
「静南先生、今日は悠と一緒に帰れるかな」
ふと考えて、そのまま声に出した。
静南先生がキョトンと首を傾げて、俺の顔を覗き込む。プリント書きにくいんですけど。
「陽一君も悠ちゃん好きなんじゃん? 一緒に帰りたいなんて」
「好きだよ、昔から。弟か妹みたいに可愛くて、ずっと」
だから今の状態が凄い悔しい。優梨奈ともそうだが、一生仲良しでいたかったのに。
今の俺と悠は、何処かギクシャクしてる。
悠とデートすることになった、あの日から。
「妹、ね。……そうだなぁ、君らは本当の兄弟みたいな感じだし、簡単に仲直り出来ると思うけどなぁ」
「そうなら、苦労せずにいられるんだけど。正直真空夜とか悠が、何がそんなに嫌だったのかさっぱり分かんねー。女装されて嫌なのはこっちなんだが」
「本当に嫌だった? 悠ちゃんの女装姿」
「……結構満足でした」
クッソ可愛いから。普段はTシャツに短めのデニムパンツってことが多い悠は、どっちかというと男の格好の方が想像つかない。それだけなら女の子っぽいし。
何より顔は超絶美少女で、身体は細いし軽いしいい匂いだし女声だし……女装デートは男側からしたら、本当に女の子とデートしてる気分になれる。
だけどそれでも、悠が男だという事実は変わらない。
「俺は悠の女装で喜んじまう様な残念な奴ではあるけど、ノーマルなんだよ。男はダメなんだ」
ラブコメの主人公らしく男友達が一人は欲しかったけど、作れなかった程に苦手だ。親父みたいなアホの方がいい。
俺以上にアホな同級生なんて、あまり見かけないしな。悲しいけど。
「悠ちゃんが女の子なら、よかった?」
「……は?」
静南先生は完全に俺の心を見透かした様だ。
俺が常日頃から願っていることを、簡単に当ててみせる。そんなに分かりやすかったか? 俺。
待ってる様な笑顔を向けて来る静南先生に根気負けして、俺はこれまで隠していた本心を打ち明けた。
「うん、そうがよかった。悠は俺にとって最高の女の子になってる筈だったから」
ダイブしてくるのは減点させてもらうけどな。あれはマジでいつか死ぬ。
「そっかぁ……。そうだよね。うん、知ってた」
静南先生は俺から目を逸らして、机に軽く寄りかかった。また、少し切ない表情をしてる。
「知ってたのかよ? 俺、言ったことあったっけ」
「無いよ。でも、何となく分かっちゃうんだよね。──ずっと君を見てたから」
「ふーん? 見守っててくれてサンキュ。これからも俺のラブコメを見守っててくれるとありがたい」
「ははは、まぁ頑張りたまえよ」
「……応援する気もないだろ」
静南先生は俺を無視して笑う。笑い続ける。でも、何か……本心で笑ってる様には見えなかった。
最近、俺の周りの連中が全く分からない。親父は時々ハ○ーワークに行ってるってことしか。
何て謝ればいいかはまだ思い浮かんでないけど、せめてお詫びの印としてプレゼントを渡そうと考えた俺は、雑貨屋に来た。
「悠は可愛い物が好きだよな。ヘアピンは前に買ってたし、縫いぐるみ辺りでいいかな」
このチンパンジーの縫いぐるみなんかどうだろう。飛び跳ねたり、すばしっこい悠にピッタリじゃないか?
別に女の子にプレゼントする訳じゃないし、気を遣う必要もないだろ。
ついでに、真空夜にリップクリーム・優梨奈に飴・親父用にガラガラを購入して外に出た。
「……あ、皆に買ったら謝ってる感無いか。しまった。一応弁明しとくか、『皆のはついでです』って」
それはそれで真空夜達にキレられそう。怖いよー怖いよー誰か助けてくれー!
ブー。ブー。
「ん? 着信? 誰から?」
悠のお母さんからでした。悠から電話がかかって来るなら分かるけど、お母さんからかかって来るのは珍しい。
どれくらい珍しいかと言うと、宝くじで高額が当たる時並みに。
つまり普段は電話なんてかけてこない訳で、何か急ぎの用事があるのかもと察して直ぐに応答した。
「もしもし、悠のお母さんだよね? どしたの? かけて来るなんて珍しいじゃん」
番号交換してたことすら忘れてたよ俺。
『悠、今一緒にいる? 陽一君の傍にいる?』
「……何か焦ってません? どうかした? 悠は今日学校じゃないしいつもみたいに寝てるんじゃねぇの?」
少し息が上がってるお母さんに影響されたのか、俺の鼓動が早くなってく。
そんなこと知る由もないお母さんは、泣きそうな程震えた声で答えた。
『悠が何処にも居ないの……!」
「……えっ?」
俺はスマホを握る手を強く握った。気を抜いたら落としてしまうくらい、衝撃を受けたから。
『家の何処にも居なくて、陽一君の家にも居ないみたいで……学校には勿論行ってないし、バッグも置いてあるの。でも今日何処か外出するなんて伝えられてもないから……それで……』
「ちょ、ちょっと落ち着いて。それって悠が家出したかもってこと?」
『荷物は全部置いてあるからそれはない。あの子バカだけど、外出する時は必ず鍵を持って行くから』
鍵を持ってってない。家の鍵のことか? それとも部屋の鍵か?
今さらっと「バカ」って言ったよな。ちょっと可哀想だろ。
しかし荷物を全部置いていって行方不明……で、何処に出かけたのかは誰にも話してない。きっと真空夜が捜し始めてる頃だろうけど、あいつこういう時に要領悪いから無駄だ。
焦り過ぎなんだろうな、皆。
「分かった。俺も捜す。見つけたら直ぐに連絡するし、そっちが見つけたら連絡くれ。優梨奈にも一応メールで伝えとくから」
『ありがとう陽一君。よろしくね』
「うん、見つけるよ。悠は絶対」
悠のお母さんとの会話を終了し、俺は直ぐにメールを開いた。悠のアドレスを確認して、今何処にいるのか聞いてみる。
既に真空夜や悠のお母さん達も試してはいるだろうけど、俺の時だけ返事をするなんて可能性もあるかも知れない。
結果、返事は五分待っても来ない。悠の返信は基本五分以内なのに。既読もついてない。
「……俺がデートすっぽかしたから、とか言わないよな。悠。出てくれ」
電話をかけても反応無し。これはもしかしたら、スマホを家に置いてったパターンかも。
そうなると捜すのは困難だ。位置情報も掴めないし。
「もし、もし悠が誰かに連れ去られたりしてたら……」
優梨奈にメールを送って、そんな想像をしてしまった。
最悪の想像が次々と浮かび上がって来て、どれが本当の最悪なんだかさっぱり分からない。
でも俺にとっては、俺の傍から悠が居なくなること自体が最悪なんだ。悠も真空夜も優梨奈も親父も皆、俺の傍から消えないでほしい。
「悠……! 悠何処だ……!」
「よーいち!」
気づいたら走り出していて、住宅街で名前を呼ばれた。この「う」を発音しない呼び方をするのは、ただ一人。
俺の親友だ。
「優梨奈! 悪い急にメール送って。悠が行方不明なんだ」
「それはメールで聞いた。それより、ここら辺は捜してみたけどいなかった。別の場所だ!」
「そうか、だよな。こんな分かりやすい場所、真空夜もとっくに捜した筈だ。もう日が暮れちまうから、優梨奈は帰っててくれ! 俺が一人で捜す!」
「はぁ⁉︎ え、おい⁉︎」
優梨奈は服を着崩していた。多分、メールを見て直ぐに捜してくれたんだろう。
直ぐに別の道に走る。直ぐ近くの池の周辺に、デートしたルートを全て辿った。だけど悠は居ない。
思い出の場所を巡っても、悠は居なかった。
「俺達に会いたくないんだとしたら、知らないとこにでも行ったのか⁉︎ でもその場合、スマホを持ってなかったらあのバカは道に迷うだろ!」
何せバカだから。あいつ周り見ないから、道すら覚えられないんだよな。
「……はぁ、疲れた」
全力で走り過ぎて、普段の運動不足が禍して、疲れ切って公園のベンチに腰を下ろした。肺がいてぇ。
あ、山だ。
俺の視界には今、そんなに大きくない山が入り込んでいる。あの山には、一つ大きな思い出がある。
「あの山で俺と悠は出会ったんだよな……行ってみるか」
勿論、山なんて登ってて見つけられなかったら大きな時間ロスだ。
だとしてそこに悠が居るとするなら、行かない訳にはいかない。
正直肺と胃と頭と脚が痛くて仕方ないが、ゆっくり立ち上がって、山へと歩く。今よりまだ後の季節だが、脚を一歩一歩近づける度に、じわりとその記憶が蘇って行く。
──今から八年前のこと。家族四人で行く筈だった、真夏の虫捕りに向かった時のこと。
既に自分が特別な人間だって勘付いていた俺と、何処か不思議ちゃんなイメージがついていた、迷子の美少女の出会いのエピソード。




