14話 俺に本当のラブコメをくれ
朝の教室に鳴り響く、豪快な怪音。俺の腹の音。
土曜の今日、静南先生に呼び出されて結局補習受けることになった。なのにまた、朝食は無し。流石に限界が近い。
真空夜の奴、それ程までに怒っていたのか……。
「陽一君さ? 可愛い可愛い先生を前にして、よくそんな堂々としたお腹の音を響かせられるね? 君の言う『主人公』は周囲の目も気にしないのかナ?」
今回もまた染み付きパンツ丸見えで脚を組む静南先生は、俺の頭をペシペシと叩く。痛くはないけどやめろや。
「そもそも可愛い可愛い先生とやらが何処におわすのでしょうか。俺の視界には、いつまで経ってもお漏らしが絶えない超お子ちゃましかいない気がするが」
「殴るゾ」
「毎回言ってるけど、それは先に言えってんだ」
「殴るゾ。えいっ」
「いてぇな! 言ってから殴れって訳じゃねぇよ!」
「私は陽一君が大人になってくれなくて悲しいよ。現実見ろっての」
「現実から目を背けてる奴に言われたかないね!」
「殴るゾ?」
今度は、笑うことのない瞳がギラリと光ったので、目を逸らしておいた。
でも自分で分かってんじゃねぇか。現実から目を背けてるって。
俺と静南先生以外に誰も居ないこの教室で、監督してるだけの静南先生は暇なんだろう。急に立ち上がって教室後方の壁へと歩いて行った。
「あのさ、陽一君?」
「何? 今暇じゃねぇのくらいあんたが一番分かってんだろ?」
「いいから、聞いてよ」
メダカの水槽を見つめる静南先生の表情は窺えないけど、何となく無視出来ない雰囲気だったから、一旦シャーペンを置いた。
「で、何?」
「うん。あのさ、陽一君ってまだ……悠ちゃんの夢を見たり、するの?」
「……何だそりゃ」
質問の意図がよく理解出来ず、俺は溜め息を溢した。マジで何? その質問。悠の夢を見るかどうかって、そりゃあ、最近やらかしたし……。
「見るよ、頻繁に。すっげぇ申し訳ない気持ちが強いからなんだけど、素直に謝る気にはなれないっつーか。……聞いてねーの?」
「聞いてない」
静南先生は首を振る。じゃあ、昨日廊下で何を話してたんだろうか。遅刻についてとかか?
俺が別のことを考えていると、静南先生はロッカーに寄りかかりながら振り返った。
「真空夜ちゃんの夢は?」
今度は真空夜か。てか、何でそんなこと気になんだよ。
「あんま見ねぇけど、最近は怒らせちまったからな……」
「最近陽一君は一体何をしたの? 悠ちゃんにも真空夜ちゃんにも」
「別に。てか、何で悠ちゃんなんだよ」
「別に。陽一君くらいだよ、そんなことすら気づけないの」
「確かに悠は女みたいで可愛いけど、一応男だからな?」
「そっか」
そっか。って何だよ。悠が可哀想だからちゃんと男として扱って──でも女装するくらいだから大丈夫かも。
悠くん。よりは悠ちゃんの方が似合う気もするし。
静南先生は何処か寂しそうな眼を窓に向けると、また口を開く。
「優梨奈ちゃんとかのは? 兄弟とか、じゃないけど」
「次は優梨奈か。あのな? よく考えてみてくれよ。家族同然の奴等との楽しい思い出とか、何度も何度も夢に見るに決まってんだろ。優梨奈は誕生日パーティー開いたばかりだし」
あの幸せそうな笑顔を、俺は毎年心のアルバムにハッキリとしまい込んでるんだし。
忘れられただろうけど、俺の場面を記憶する特技は本当にあるんだし。──待てよ? この特技活用すればテストなんて楽勝じゃね? 何で今まで気づかなかったんだ。
「そうだよね……そうだった。優梨奈ちゃんと悠ちゃんは、家族同然なんだもんね。一緒にいて、楽しいもんね」
下衆な作戦を思い浮かべていると、静南先生が表情を歪めて呟いた。何か今日は、いつに無く変だ。
何か悪い夢でも見たのか、それか変な物でも食ったか。
──ふと、静南先生が何かに怯えた様な眼をした。それから、
「私の夢とか、見たりする? かな……」
遠慮がちに俯いて訊ねてきた。
静南先生の夢──あまり、見ないかも知れない。補習や居残りさせられた日くらいしか。
「ほぼ見ない。そもそも、普段から一緒に居るわけじゃねぇし、見る方が珍しいと思うけど?」
「そっか。……うん」
静南先生は分かりやすく肩を落とした。脱力したっぽい? 何か納得した?
「つーか、何か今日おかしくね? 変だぞ先生。いつにも増して」
俺がふざけて言ってみても、静南先生はいつもの「殴るゾ」を口に出さなかった。
ただ、眼だけが変わらない、不器用な作り笑いをするだけ。
「はは、そうだね。よしっ、勉強勉強! 陽一君、次の定期考査七十点以下だったら追試ね!」
「高過ぎね⁉︎」
普通赤点でとかじゃないのかよ⁉︎ つーか急に元のテンションに戻んな! 分かりにくい人だな。
でも、この人は考えるより動くタイプの人間だ。きっと気まぐれ。何となく、さっきの質問をしてきただけだろう。
多分、そうだと思う。
それより腹減ったんだけど──。
「悠──は、いないみたいっスね」
「残念ながら、ついさっきいそいそと支度して帰宅したよ。悪いね」
「いや、別に……」
一年の教室に悠を迎えに行ったけど、居ない。悠は居ないけど一年生は二十人くらい居た。お前ら何してんの?
真空夜から悠が遊びに来たとメールを受け取り、「今から帰る」と返信しておいた。そしたら数分後に「悠が帰った」と送られて来て、何となく落ち込んだ。
「悠の奴、俺から行こうとすると避けるな……。自分からの場合は平気なのに、俺からだとダメなのか?」
デート後、何か嫌なことがあって翌日から挙動不審。または避ける行為をする様になる現象を、俺は漫画で読んだことがある。今の悠がそんな感じだ。
もしかして、悠は俺のことを好きだったんじゃ?
「あり得ない、こともないしな……。やたらスキンシップが多いのは俺もだとして、手を繋ぎたがったりデートしたがったり」
気づけば掌には汗が滲んでいた。男に好かれてしまったのではないかという想像からだろう。
正直、悠が幾ら美少女みたいな容姿をしていようが、男だから恋愛対象にはしたくない。絶対だ。
昔に一度、「本当は女なんじゃね?」とか勘繰ったこともあった。でも今なら分かる。あいつは、男だ。
──だって胸ないし。少しも。括れもないし。尻は小さいし。
これだけで決め付けるのもどうかとは思うけど、まず本人が長い時間貫き通してるんだし、そうなんだろ。
「神様、確かに悠は可愛いです。甘えて来るし元気だしちっこいし……とにかく可愛いって思うことに偽りは一切ございません」
だけど、性別は『男』なんですわ。これじゃ、ノーマルな俺には荷が重いんですわ。
「悠が女の子だったら俺に迷いはなかった。時々優梨奈に目移りしてた可能性は捨てられないけど、嫁に決めてただろうってことは確かだ」
悠は男で、真空夜は姉で、優梨奈は血の繋がっていない女子だけど俺を好きじゃない。俺の選ぶヒロインズが、ヒロインになり得ない。
俺は屋上に続く階段の壁に身を乗り出し、天に眼を向けた。
「あるなら、俺に本当のラブコメをくれよ……」
崩れ落ちる気持ちで、階段を降りた。
*
「真空夜、静南先生って、初めてあったのいつだったっけ?」
晩飯は作ってくれたので、食べながら正面の真空夜た問いかけた。一旦箸を置いた真空夜が鋭い眼を向けて来る。
「そんなことも忘れたのか? 回虫め」
「誰が回虫じゃ」
「飯の時間に虫の名前出すなよお前ら……」
親父が頭を抱えるのを無視して、続ける。
「そうじゃなくて、確認だよ確認。俺が小二の頃で間違いないか?」
真空夜はうんうんと二回頷いて、それからキョトンと首を傾げた。
「そうだ、その時期だ。急にどうした?」
「いや、何か今日静南先生の態度が変だったからさ。印象に残ってて、思い出を浮かべたっていうか」
「ふむ。私と会った時は平然としていたがな。お前が何かしたとかはないのか?」
「するかよ。殴られるだけだわ。……てか真空夜お前、学校来てたのか」
「担任の手伝いにな」
こいつ、どうりで教師達に好かれる訳だ。呼ばれてなくても手伝いとかするんだもんな。休日に。
「静南がどんな風に変だったのかは知らないが……」
「何か寂しそうに見えたぞ」
そう見えただけかも知んないけど、何やら考え始めた真空夜に簡単なイメージを伝えた。何か睨まれたけど。
真空夜は一旦息を吐き、再び箸を取る。
「寂しそうだったなら、その原因は私でも簡単に予想出来る。……が、どうしようもないことだ。歳が離れた私達では、な」
食事を再開した真空夜を見ながら、俺も考え込む。
歳が離れて……ってことは、一緒に遊べないのが寂しいとかそんなとこか? それと、真空夜は静南先生ともだけど悠とも二歳離れてんだろ。
同じ高校生なら会うことは可能だろうけど。家隣だし。
──ん? 要するに、社会人になればそんな余裕すらなくなるってことか。
「確かに、それじゃ俺らにはどうも出来ないか」
俺も食事に戻ったら、正面から痛い程の視線を感じた。真空夜がドギツい眼差しを向けて来ていた。
だからそれ、実の弟に向ける眼じゃなくない?
*
──世界が崩壊する夢を見た。
じゃなくて、そんなイメージが起床直後に湧いた。原因はこいつ。二日振りにダイブして来た悠。
もう既に目元の腫れは見る影もない。
「今回は出るかと思ったわ。上からも下からも。おはよう悠くん、言うことはないか?」
「おはよー陽一。今日も気持ち悪いね」
「反省の色が微量にも窺えませんな」
隣人の少年に膝を突き刺す様に腹にダイブされて、悶絶してた人間に言うセリフかコラ。犯人お前だぞ舐めとんのかコラ。
しかし、もう気にしなくてもいいっぽいな。こんなにも元に戻ったんだし。
「マーヤおっはよー!」
「ああ、お早う悠。今日は陽一の部屋にでも飛び込んだのか?」
「うん、ダイビング・ニー・バット試してみた」
「そうか」
「試してみんなよ。あと、『そうか』じゃねーし。清々しい笑顔で何受け入れてんだおい」
「黙れカス」
「……」
最近真空夜が怖いです。悠は気にしてない風なのに、何でこの人はこんなにも俺を目の敵にするのでしょうか。
姉に睨まれるのがこんなにも恐ろしいんだとたった今、ようやく知り、胃がキリキリ痛んだ。
胃腸薬を飲んでからの登校直後、優梨奈が俺の元まで駆けて来た。相変わらず飴を口に含んで。
「今更だけど、よーいちのその明らかに染めてそうな髪、よく何も注意受けないよな」
「失礼だな。この一部だけ白い髪は生まれつきだぞ」
「分かってる分かってる。そうじゃなくて、それを知らない先生達とか何も言わないのか? って」
「大丈夫だ。入学の折、生後六ヶ月くらいの頃の写真を同封して、手紙で説明してある」
「ほーん?」
お前こそ染めてるみたいな茶髪してんじゃねぇか。人に言えたもんじゃないだろう。
ま、優梨奈も地毛がただ綺麗な色だっただけだが。
「あ、そだ。今日はチビ達と一緒に登校して来たんだな」
優梨奈が手をパンッと叩いて、思い出した様に言った。
俺は自然と苦笑いをし、窓の外に眼を向けた。昨日の何か変な静南先生が脳裏に浮かぶ。
マジで何だったんだか。
「……一応、仲直り出来たのか? な? 多分。別に謝ってはないんだけど、普段通り接してくれてるし」
「あんだそりゃ。お前男だろ? しっかりしろよな」
「分かってるって……」
自分がダメダメってことは結構昔から。
でも、何が悪いのかよく分かんねーんだもん。どうしようもないだろ。
呆れ顔で溜め息を吐いた優梨奈は、腰に手を当てて何やら下を向いてから、
「チビにとっての親友はよーいちなんだから、見逃すことだけはするなよ。じゃーな」
俺の背中を叩いて去って行った。叩く力、もうちょっと弱くてもよくないですか? めっちゃヒリヒリするんだが。
見逃すな──って言われても、何をだ? 悠がそそっかしく危なっかしいことくらいとっくに知ってるけど、高校生だし見張る必要はないよな。
ヒーローショーでテンション上がりまくる様なガキだけど。
「真空夜も優梨奈も先生も、何が言いたいんだか分かんねーよ。悠がどうしたってんだよ。俺が逃げたのが、そんなにいけないことだったのかよ……」
そうと言いつつ、何だか不安になってサッカー部の練習を観に来た放課後。悠への差し入れに、スポーツドリンクを持って。
あ、いた。ベンチに悠が……また怪我してんのか。膝から血が出てる。
「悠。怪我したんなら、練習一旦抜けて保健室に行きなさい」
「わっ⁉︎」
背後から話しかけて、スポーツドリンクの容器を首に当ててやったら、悠は甲高い声を出して跳ねた。おい、その脚で勢いよく立つな。
悠はスポーツドリンクを受け取ると、控えめに顎を引いて俺を見上げた。
「陽一、来たの? 日曜日なのに」
「生憎補習なんでな。優梨奈もらしいけど」
何であいつ、廊下に居たんだろうか。
「じゃあ、ちょっと保健室行って来るね。監督に言っておいてくれると嬉しいな。またね」
「えっ、あっ、おう……」
悠はヒラヒラと手を振って、猫の様な素早さで校舎に消えた。
明らかに、避けられましたよね。俺今。




