温泉
龍郎たちが人の住んでいそうな建物を発見する頃には、とうに日は暮れていた。歩いている途中に男が教えてくれた通り検問らしきことをしていたが、「冒険者の証」を取り出すとすんなり通ることができた。
そし硫黄の匂いと立ち上がる湯気は、そこに温泉があるということを何よりも示していた。湯気だけで一日の疲れが取れるようだった。
「ほんとにあったな温泉……」
龍郎は少しにやけて呟いた。
「わたしもう疲れたわ。たつろう、一緒にねよ?」
「へぇ、お嬢ちゃんでも疲れるんだな」
「だってわたし、まだ新生児だもの。ねぇ、一緒のベッドでねましょうね?」
「とにかく人を探すぞ」
「ねぇってば」
木造の建物は龍郎がもと居た世界でも温泉宿を営んでいそうな出で立ちだった。入り口を見つけバーティーの縄を柱にくくりつける。
「こいつらの飯も調達してやるか」
「この子達、ご飯は要らないわ」
「は?」
「だって燃費良いもの」
「何言ってんだお前は」
建物の中をうろつくと、予想通りこの建物は宿屋も兼ねているようだった。温泉に入ったあとは旅館でゆっくりってのはどこでも同じらしい。するとどこからか女の声が聞こえた。
「ようこそいらっしゃいました。お二人様ですね?」
この建物の持ち主だろう。優しそうな顔をした女だ。
「ああ。俺たちは王都から来たんだ。外に鳥が2羽いる」
「王都から! 遠いところわざわざお疲れ様でした。バーティーはそのままでもだいじょうぶですよ。地面も温かいですから。」
お部屋に案内いたします、と女将の様に女は先導した。歩くたびに木の床がギシリと心地く軋む。
……ふと、何かの視線を感じた。
鋭い。
そして、深い。
壁の隙間の闇の奥―――野良猫とかそういうのでは決してなく、今にも食われそうな予感のするもの。見る者を縛る視線、凍らせる眼差し。
「魔物」
その単語が、背筋を伝う。
息が詰まる。
汗が流れ落ちる。
……振り返るのが、怖い。
「この湯屋はつい最近出来たんです。」
女将の声で我に返る。
「この前の地殻変動でなんとお湯が湧き出てきましてね! まさか地面の下にお湯があるなんて夢にも思いませんでした……。しかもなんだかいい匂いがしますしね」
「……へえ、新しいのか」
その割にはアンティークな建物だ。
「この古い感じは私の趣味なんですよ。いえ、私は今までこの土地に住んでいたのですが、お湯が吹き出た勢いで家が吹き飛んでしまったんです! ふふ、面白いでしょう?」
「あ? あぁ、そう、かもな……?」
どんな精神してるんだ。
先程の視線は感じない。少女の方を見るが、特に気にしている様子は無かった。……気のせいだろうか。いやまさか。きっと他の客か何かだったんだろうと願いたい。
「お部屋はこちらです」
ドアを開けると、木の床にダブルベッド。テーブルに椅子に紅茶向けの茶菓子があった。ここは畳と布団にしてほしかった。
「やった! ダブルベッドよ! 一緒に寝られるわね、たつろう?」
「お前ベッド占領していいぜ。俺は床で寝るから」
「冗談ばっかり!」
「別の部屋は無いのか?」
「いいえ? お二人でどうぞごゆっくり……」
「そこで気を使うなよ」
女将は温泉の場所を説明すると意味深な笑いを含ませ去っていった。
「取り敢えず……風呂に入ってゆっくりしたいところだ」
「そうね。一緒に入ろうね?」
「牛乳ってあるかな」
まさか。
いや、お決まりだったのかもしれない。
「混浴でよかったわね!」
「あぁ…………疲れる」
広い露天風呂。龍郎の知っている様な露天風呂と全く同じで、岩に囲まれた中にとろみのある無色透明なお湯がある。これだけ広いと言うのに貸し切りなのは随分贅沢だった。
少し熱めのお湯が身体の隅々まで行き渡り疲れを癒やす。日本人はやっぱり温泉だと龍郎はしみじみ感じた。
体の生傷(ほとんど少女によるもの)に湯がしみて痛むが、すぐに慣れ、快感が押し寄せる。
ぱちゃり、とお湯が音を立てるのと同時に、少女の柔らかい皮膚の感触が腕に伝わった。……鱗の固い感触も。
「お嬢ちゃん。こんなに広いんだ。あっちで泳いできな」
「いや。たつろうと一緒に入るの」
「じゃあ俺が泳いでこようか」
遠くへ行こうとすると、がちり。腕を強引に掴まれる。
―――馬鹿力め。
無理にほどこうとするとこっちの腕が馬鹿にいかれてしまう。
「あぁ。はいはい分かったよ。……出来るだけゆっくりさせてほしかったんだが」
「もちろんゆっくりするわよ! 一晩中入っててもいいのよ」
「お嬢ちゃんは入ってていいぜ。俺は上がるから」
上がれそうな雰囲気はまるで無かった。龍郎は割と長湯の習慣だが、一晩中は流石に骨が折れる。
深くため息をつく―――入れることならグラマーな美女との入浴の方がいい。何が楽しくてこんな化物女と一緒に風呂に入らなければならないのか……。
視線だけを少女へやる。風呂場だというのにあの忌々しい占い師からもらったブレスレットは外していなかった。風呂場でもアクセサリーを外さない女はよく居る。
時間がただ流れる。
湯気の立ち上る先には、満点の星空。そして、欠けた月。……いつかこんな星空を見たことがあった。七夕ではないかと思うほど星は瞬いている。やはり都会のように街の明かりがないからこそ小さな星まで輝いて見えるのだろう。
―――彼女は二つの罪を背負っている。
あの占い師の言葉が脳裏をかすめる。これは絶対に少女に聞いてはならないと思っていた。ややこしい事態になることは目に見えているというのに。
でも。
なぜだろうか。温泉のせいなのだろうか。
このとき龍郎は、自ら口を開いた。
「なぁ……お嬢ちゃん。お嬢ちゃんは何か悪いことでもしたのかい?」




