第536話 魔力0の大賢者、殴り合う?
ファインの様相が変わる。
全身から噴き出す漆黒のオーラ。
その両拳には黒炎が渦を巻くように立ち上っていた。
燃え上がるというより、噴き出す。
まるで怒りそのものが炎となったかのようだった。
「その炎は効かねぇぜ! そうだろ? えっと……影マゼル?」
「――そのはずだね」
「あ、こっちも喋るんだ」
「無言だから会話できないと思っていたぞ」
ドクトルとガロンが驚いた声を上げる。
問いに答えたのは、実体化した影の僕だった。
会話は可能だ。
ただ、影の僕はあまり多くを喋らない。
「愚かな考えだな」
鼻で笑う声。
バジルだった。
「確かにファインの影炎は“影ごと滅却する炎”だ。だが、それは影にのみ作用するという意味ではない」
ゆっくりと腕を組み、得意げに語り始める。
「炎そのものに熱がないわけではないのだ。むしろ下手な炎より強烈な熱量を持っている。影を焼き尽くすのは本質だが、肉体にダメージを与えるだけならそれでも十分だ」
確かに。
僕のところにも熱量は届いている。
影を焼く炎だとしても、炎であることには変わりない。
「ウォオオォオオ!」
ファインが咆哮した。
黒炎を纏った拳が振り下ろされる。
速い。
だが、対応は出来る。
拳を躱し、反撃へ――
しかし。
それも避けられた。
すぐにファインの反撃。
それを避ける。
さらに僕が拳を放つ。
だが、それも当たらない。
拳と拳。
動きと動き。
すべてが紙一重で交錯していく。
これは明らかにこれまでと違う。
一手先を読む動きではない。
もっと単純で、もっと速い。
「どういうことだよ! マゼルも避けてるが、ファインにも攻撃が当たってねぇぞ!」
アズールが叫ぶ。
「ハハッ。当然だ」
バジルが愉快そうに笑った。
「一来向は五感を極限まで強化することで相手の僅かな動きから“次の一手”を読む境地」
指を一本立てる。
「だが――一来果は違う」
バジルの声が一段低くなる。
「これは反射の領域だ。圧倒的な反射――いわば“超反射”による行動」
「超反射?」
ガロンが眉をひそめる。
「そうだ。思考を挟まない。考えるという行動を省略し、最速で最善の行動を選択する」
ニヤリと笑う。
「長き苦行の果てに辿り着く境地。今のファインは――ほぼ無敵ですよ」
全く。
よく喋る。
だがその言葉の中で、ひとつだけ気になる単語があった。
苦行。
ファインは刑務所にいた。
その中でも自分を鍛え続けていたのだろう。
この力を得るために。
「君の力には敬意を表したい」
僕は拳を構えながら言う。
「出来れば、その先が復讐じゃなければ良かった」
「黙れ!」
ファインが吼えた。
「俺は教団に感謝している」
黒炎が揺れる。
「刑務所は文字通りクソみたいな場所だった。理不尽な理由で日常的に暴力を振るわれる。飯もろくに与えられねぇ」
「……」
「そんな中でも俺は技を磨いた!」
拳がぶつかる。
黒炎の拳。
火花のような衝撃。
「ギフトと四向四果を使いこなすために!」
拳がまたぶつかる。
炎と光。
「そのためなら一週間や十日眠らなくても平気だった!」
黒炎が激しく揺らぐ。
「復讐だけが俺の原動力だった!」
その言葉が重く響いた。
拳に込められた感情が伝わってくる。
怒り。
憎しみ。
そして――
長い時間、積み重ねてきた執念。
「復讐って一体何が……」
ラーサの戸惑う声。
「そうか。ラーサちゃんは聞いていないもんね……」
リミットが静かに言う。
そうだ。
ラーサは僕とファインの戦いが始まってから来た。
事情を知らない。
「何をぼっとしてやがる!」
ファインの拳が頬を掠めた。
熱い。
黒炎の熱が頬を焼く。
「いいぞファイン!」
バジルが声を張り上げる。
「マゼルにも陰りが見えてきている。当然だ――いくら魔法で肉体を強化していようと永遠に続くわけじゃない!」
高笑い。
「効果が切れた時がお前の最期だ!」
魔法じゃない。
だけど、そんなことはもう関係ない。
「マゼルの拳が輝き出したよ!」
「付与魔法――光属性を拳に付与したのね!」
ドクトルとリミットが声を上げる。
拳に集中させた氣。
光のように見えるほど凝縮された力。
今のファインには、これが必要な気がした。
「フンッ。そんなもの付与したところで、当たらなければ意味がありませんよ」
「はぁああああぁあッ!」
「うぉおぉおぉおおおッ!」
気迫がぶつかる。
黒炎の拳。
輝く拳。
そして――
ドンッ!!
衝撃。
「あ、当たったぞ! マゼルの拳が!」
「だが、ファインの拳も当たってるぞ!」
アズールとガロンが叫ぶ。
そう。
僕の拳とファインの拳。
同時に当たった。
相打ち。
だが。
止まらない。
拳がまた振るわれる。
黒拳と光拳が何度もぶつかる。
「お、お互いの拳が当たってる……でもどうして?」
「グルゥ」
「ピィ~」
アニマの戸惑う声。
僕もファインも引かない。
殴り合いは続く。
「そうか――」
ゲシュタル教授が呟いた。
「マゼルも魔法によって超反射を得たんだ。互いに思考を超えた最速で最善の一撃を繰り出す……」
イロリ先生が静かに言う。
「その結果が――」
拳と拳が再びぶつかる。
黒炎と光が弾ける。
「相打ち、か」
そう。
思考を超えた最速の一撃同士。
その先にあるのは――
ただひたすらの殴り合いだった。
僕とファインは、拳をぶつけ続けた。




