第530話 気に入らない笑顔
side イロリ
ファインを救えなかった。
その事実だけが、俺の中で腐り続けていた。
何年経っても、どれだけ教壇に立っても、どれだけ別の生徒を導いても、あの日の結末は消えない。
脳裏に焼き付いている。
『リカルド! 何故裁判のことを黙っていた!』
あの日、俺は理事長室に怒鳴り込んだ。
拳を握り締めすぎて血が滲んでいたのを覚えている。
怒りで視界が赤く染まりそうだった。
だが返ってきたのは、あまりにも冷たい言葉だった。
『学園の為だ。犯罪者の肩を持つなど、学園のイメージを著しく損なうからな』
『ふざけるな! お前はそんな下らない名声を守る為にファインを犠牲にしたのか!』
『お前と私では考えが違う。感情だけで動いてはいられない』
『感情だけ、だと?』
『そうだ。逆に聞くが、お前はファインが無実だと言い切れるほどの証拠を揃えていたのか?』
『それは――』
言葉が詰まった。
裁判までの時間は短かった。
俺は走り回った。調べた。問い詰めた。
だが、決定的な証拠は掴めなかった。
『まさか“俺の生徒だから犯罪を犯すはずがない”と、感情論で訴えれば何とかなると思っていたのか?』
その一言は、今でも胸に刺さっている。
『私から見れば、何の対策もせず証言台に立つことの方が無責任だと思うがね』
俺は――何も言い返せなかった。
怒りも、悔しさも、全て飲み込んだ。
そして裁判は終わり、ファインは刑務所へ送られた。
面会を拒絶されたまま。
俺は――何も出来なかった。
教師失格だと思った。
辞めようとも思った。
だがリカルドは言った。
「教師でいる限り、ファインの情報は流す」
それが鎖だった。
俺は教壇に立ち続けた。
だが、以前の俺ではいられなかった。
生徒と真正面から向き合うことが怖くなった。
また救えなかったらどうする。
また守れなかったらどうする。
そんな臆病な考えが、俺の中で根を張った。
――俺が関わらなければ、誰も傷つかない。
そんな逃げに近い理屈で、俺は生徒と距離を取った。
最低だ。だが、それでも。
今、出来ることがある。
「――ファイン。俺を最期にしてくれ」
声は驚くほど静かだった。
怒鳴るでもなく、震えるでもなく。
不思議と穏やかだった。
「お前をそんな風にしたのは俺だ。だから、お前の恨みを全部受け止める」
胸の奥が、ふっと軽くなる感覚があった。
「勝手な事抜かしてんじゃねぇぞ!」
アズールの怒声が空気を裂いた。
「テメェはZクラスの担任だろうが! それ放棄して死ぬ? どこまで勝手なんだテメェは!」
勝手――か。
「あぁ、そうだな。俺は身勝手だ」
自然と口元が緩む。
安堵にも似た、穏やかな微笑。
「だから俺のことは忘れろ。俺よりいい教師は山ほどいる」
「イロリ、いい加減にしなよ」
ゲシュタルの声は震えていた。
「そんなの君らしくない」
らしい、か。
らしさなんて、もうとっくに壊れている。
「俺の代わりはお前がいい。ゲシュタル、お前なら――」
「ふざけんなって言ってんだろうが!」
怒号が響く。
ファインだ。
「勝手に死ぬ順番決めてんじゃねぇ! 俺が先に殺すのはギャノンだ!」
その瞬間――
轟音と閃光――そして爆炎。
ファインの立っていた場所が爆ぜた。
熱風が吹き荒れる。
「俺を差し置いて勝手な事ばかり言いやがって! 誰が誰を殺すだと? 馬鹿が!」
血走った目のギャノン。だがその爆炎は、黒炎に飲み込まれ掻き消えた。
「わかっただろう? そいつは屑だ。殺されても文句言えねぇ!」
「馬鹿な……テメェは俺に狩られる雑魚で――」
「影炎!」
黒炎が奔る。ギャノンを呑み込むほどの漆黒――俺は反射的に動いていた。
「避けろ馬鹿!」
鋼鉄へ変じた脚で蹴り飛ばす。
ギャノンが吹き飛び、白目を剥く。
――ま、意趣返しみたいなもんだ。
視界がゆっくりと流れる。
黒炎が、俺へ向かってくる。
これで終わりか――そう思えた瞬間、炎が、消えた。
「ファイン! 何故止めたのです!」
バジルの声。
ファインの拳が震えている。
「気に入らねぇんだよ。その笑みが」
笑み? 俺は自分の頬に触れた。
――笑っていた。どこか満たされたような頬笑み。それが自然と――
「俺は復讐の為にここに立ってる! 笑って死ぬなんて許されねぇんだよ!」
怒号。だがその奥に、滲む悲鳴。
憎しみだけではない。
そこには――救われたくない者の叫びがあった。
その時。
「ちょ、何よこれ! ファインも気絶してるし!」
ルミナの声。
ファインが振り向く。
「テメェも仲間か」
「え? いや、違――」
「仲間ならお前も同罪だ」
「やめろファイン!」
「影炎!」
黒炎がルミナへと伸びる。間に合わない。
だが――地面が隆起する。
岩壁が炎を遮る。
そして着地した影。
「――そこまでだ」
マゼルだった。土煙の中、その瞳は静かに燃えていた。




