第524話 ファインの過去④
side ファイン
「サラ!」
その日、俺は先生から知らせを受けるなり、学園を飛び出していた。
妹のサラの容態が急変した――余談を許さない状態が続いているという。
その言葉を耳にした瞬間、頭の中が真っ白になった。
緊急性が高いということで、学園は俺の帰省を即座に許可してくれたが、道中は生きた心地がしなかった。
「サラは……サラの容態は!」
家に戻るなり、俺は真っ先に妹の部屋へ駆け込んだ。
両親の表情は硬く、ベッドに横たわるサラは、まるで眠っているかのように静かだった。
だが、それは安らかな眠りではない。
治療院から来た医師も診察はしたが、
「通常の薬でどうにかなる状態ではない」
と首を横に振っただけだった。
もともと体の弱かったサラの肌は、これまで以上に青白く見えた。
意識はなく、俺がどれだけ名前を呼んでも、反応はない。
「……どうして、こんなことに」
声が震えた。
「聖魔教会がね……」
母さんが、絞り出すように言った。
「聖魔水を、分けてくれなかったの。数が足りないって……今まで通りお布施もしたのに、それじゃ足りないって……」
「そんな……馬鹿な」
言葉を失った。
これまでだって、生活を切り詰めて、無理をしてお布施を続けてきた。
それでも、まだ足りないと言うのか。
それが――教会のやり方なのか。
怒りが、胸の奥からこみ上げた。
俺は衝動的に家を飛び出し、その足で聖魔教会へ向かった。
「ふざけるな!」
司祭と神官たちに向かって、怒鳴り散らした。
「いつも通りお布施を受け取っておいて、薬を分けないだと!」
「――仕方ないのですよ」
司祭は、どこまでも穏やかな声だった。
「聖魔水を求める方は大勢いらっしゃいます。ですが、頂いたお布施は神の御許に届き、皆様の未来に幸福を――」
「何が神だ!」
堪えきれず叫んだ。
「だったら今すぐ神を連れてきて、俺の妹を治させてみろ! 必要なのは遠い未来なんかじゃねぇ! 今なんだよ! 妹は今、薬を必要としてるんだ!」
「や、やめなさい! 誰か!」
結局、俺は取り押さえられ、教会から放り出された。
外は、いつの間にか雨が降っていた。
泥と雨にまみれながら、俺はふらふらと歩いた。
「……はは。俺、何やってんだ」
妹を救うために、ここまで来た。
学園に入り、努力を重ねてきた。
それなのに――時間が、足りない。
「よぉ。何しけた面してんだよ」
背後から聞こえた声に、足が止まった。
「ギャノン……」
そこにいたのは、ギャノンだった。
「そんな顔してたら、サラちゃんが心配するだろ」
「――もう、そんな段階じゃない」
声が掠れた。
「馬鹿が。お前が諦めてどうする。ほら、顔を上げろ。サラちゃんを助けるぞ」
「助けるって……どうやって」
ギャノンは、細長い瓶を取り出した。
中には、透明感のある青い液体が揺れている。
「それは……」
「ブルーエーテルだ」
聞いたことのない名だった。
「ブルーシャインローズを素材にした、特別な薬だ。親父に頼んで、特別に手に入れた。これなら、きっとサラちゃんも良くなる」
「……本当か?」
「俺が、親友に嘘つくと思うか?」
その言葉を、俺は疑わなかった。
ギャノンを連れて家に戻り、サラに薬を投与した。
「……お兄ちゃん?」
「サラ!」
サラが目を開けた。
両親が泣きながら抱きしめる。
俺も、涙が止まらなかった。
ギャノンは、少し離れたところで微笑んでいた。
奇跡だった。
サラは元気を取り戻した。
それどころか、これまでの聖魔水とは違い、自分で魔力を制御できるようになっていた。
「信じられない……」
「魔力が、体の奥から湧いてくるみたいだって」
両親は、奇跡だと泣いて喜んだ。
「それは良かったな」
ギャノンはそう言って立ち上がった。
「じゃ、俺は戻るわ。学園も、さすがに怒るだろ」
「……怒られるだって?」
「ハハッ。フケてきたからな」
その時の俺は、心から笑っていた。
ギャノンは、救世主だった。
――だが。
サラの様子がおかしくなったのは、三日後のことだった。
魔力の制御が効かなくなり、見えないものが見えると言い、薬を異様に欲しがるようになった。
再び現れたギャノンに、俺はすがった。
「副作用とか……心配ないのか? 幻覚まで見えてるみたいなんだ」
「あぁ、まぁ多少はな。でも最初だけだ。大丈夫だって」
笑ってギャノンが俺の肩を叩く。
「俺が、親友に変な物渡すわけないだろ?」
信じた。
信じるしかなかった。
教会は相変わらず聖魔水をくれない。
サラは、薬が切れるたびに苦しむ。
効果の持続時間は、短くなる一方だった。
俺は学園に戻り、ギャノンに頭を下げた。
「頼む……薬を、まとめて譲ってくれ」
その時だった。ギャノンが――笑った。初めて見る、冷たい笑みだった。
「悪いな。これからは、渡せるかどうかも分からねぇ。どうしても欲しいなら――金貨二十枚だ」
耳を疑った。
「……金貨、二十枚?」
「親友だから、今までタダだったんだぜ? でもな、俺も無理してる。わかるだろ? 親友」
俺は、うなずいてしまった。
家に戻り、両親と話し合い、
どうにか金貨二十枚を用意した。
その夜、知らない男が訪ねてきた。
「ボスが呼んでる」
感情の感じられないような奇妙な男だった。彼に案内された先には、ギャノンと、取り巻きがいた。
「金は?」
「……ここにある」
袋を差し出した瞬間――
笑い声が、響いた。
「マジで用意したのかよ」
「ギャノンの勝ちだな」
ギャノンも、笑っていた。
その光景を見て、
俺の頭は、疑問で埋め尽くされた。
――理解が、追いつかなかった。




