第471話 魔力0の大賢者、シグルに安心
side イロリ
「ちょっといいか」
「おや? これは珍しいですね。どうかされましたか?」
俺がドアを開けると、本を片手に微笑を浮かべるバローネの姿があった。俺はこいつの“人の皮でも被ったかのような笑み”が苦手だ。
「シグルの件、知ってるか?」
「それはもちろん。けっこうな騒ぎになっていましたからね。なんでも巨大化して暴走したとか」
「そうだ。フェンリルの細胞を植え込まれたらしい」
「それはまた奇妙ですね。自然にそんなことが起こるものでしょうか?」
「そんなはずねぇだろう。明らかに誰かが意図的にやったもんだ」
俺がそう伝えると、バローネは手にしていた本を閉じ「なるほど」と口にした。
「それで、貴方はどうして私のところへ? ただの世間話というわけではありませんよね?」
「――アニマから聞いた。お前、試合前に注射を一本打ったらしいな?」
「そのことですね。確かに飼い主の少女から相談を受けて診断し、栄養剤を一本打たせてもらいましたが、まさかそれに何か仕込んだと?」
「――あの日は朝からシグルの調子が悪かった。試合のあいだに何かできたとしたら、お前ぐらいだ」
「なるほど。ですが、それは少々早合点が過ぎるかと。そもそも私が注射を打つ際に、メイリアに中身を確認してもらい、間違いないことを確かめてもらっています」
眼鏡を押し上げながら答えるバローネ。その話は確かにメイリアからも聞いていた。
そう考えれば、あの注射器に仕込んだというのは無理があるだろう。だが動揺ぐらいするかと思って聞いてみたが、冷静な反応だ。
「彼女はゲシュタル教授が作り上げた優秀なゴーレムだと聞いてます。その判断に間違いがあるとは思えませんが?」
「チッ、確かにそうかもな」
これ以上こいつに聞いても無駄だ。仕方ねぇ。
「それにしても少々驚きましたよ。貴方はあのクラスに無関心かと思えば、そうでもないのですね。随分と生徒思いだ」
「――俺は面倒事が嫌いなだけだ。責任を取らされるのは御免だからな」
そして俺は部屋を出た。生徒思いだと? 馬鹿を言いやがって。そんなわけあるかよ。俺はたった一人の生徒すら守ってやれなかったクズ教師なんだからな――
◆◇◆
「本当に凄かったんだよ! あれだけの手術が可能なエルフがいるなんて、僕は感動だよ!」
ドクトルが熱のこもった瞳で力説してるね。あれから、ゲシュタル教授の助けもあって、シグルの手術は無事終わった。
その時、ルフに一番興味を持っていたのはドクトルだったんだよね。彼も外科的治療法を得意としているから、一目見たいと思ったようで助手を申し出たんだ。
最初は断っていたルフだったけど、師匠の後押しもあってドクトルも助手として同席。その結果がこの反応というわけ。
「あの、本当にありがとうございます。おかげでシグルも無事元に戻りました」
「ガウガウ♪」
「ピィ~♪」
ルフの前で深々と頭を下げるアニマ。シグルとメーテルもルフにじゃれつくようにしてお礼を伝えていた。
「医者として見過ごせなかっただけだ。それと“戻った”といっても安定させただけだ。フェンリルの細胞は完全に定着しているからな。定期的な診察は必要だろう」
ルフがシグルの頭を優しく撫でながらも注意点を伝えてくれた。フェンリルの細胞そのものがなくなったわけではないという事だけど、シグルの様子を見るに、とりあえずは安心していいと思う。
「定期的に診察されるということは暫くはこちらに?」
シグルの様子を気にして一緒にいてくれたイスナが問いかけた。隣にはクイスの姿もある。
「そうなのさ~。ルフはこのまま学園都市で暮らすからね。そして動物園の園長になるのさ」
「そういえばそんな話をされてましたね」
師匠がリカルドに話していたことを思い出した。
「しかし、園長など先生の一存で決められるものなのだろうか?」
クイスが発した疑問。イスナも「確かに」と頷く。
「フフン。こう見えて私はあの動物園に出資してるからね」
師匠が得意顔を見せる。どうやら結構な金額を提供していたようだね。
「そんなにお金が出せるなんて流石、有名な作家だけあるわね」
「そんなにお金が入るなんて、いくらでも美味しいものが食べられそうで羨ましい!」
「リミットはそこでも食い物なんだな」
感心するメドーサとリミット。その例えにガロンは苦笑していたよ。
「ま、とにかくこれでシグルの件も解決だ。後は俺たちのクラスとSクラス、どっちが選ばれるかだな」
「うん。そうだね」
アズールの言葉に頷く僕。結局あの場では決まらなかったからね。あとはリカルドの判断次第。
……そういえば試合はギャノンも見に来ていた筈。何をしてくるわけでもなかったけど、逆にそれが不気味でもあるかもね――




