26話 音楽の仕事
いろいろとあったが現在アーシュは音楽に関係する仕事についている。この世界において音楽はあまり発達していな娯楽分野、文化的な内容になるがそれは一般大衆に向けて。正確には吟遊詩人のような音楽で食っていく人間もいるが専門的な音楽仕事となるとそこまでではない。しかし貴族など、ある程度以上に高貴な人間であればそういった物事に関する知識を持つしそのための舞台を用意される。
楽器とは物にもよるがかなり高価な物だ。またその楽器の性能を維持するために必要な調律も知識や技術がいる。音楽に関してもただ音を鳴らす、歌うだけならばそれほどの労は必要ないが音階を読むことや専門的な記号などにまで触れるようならばやはりそれ相応の知識がいる。アーシュはそういう点では個人的に高い技術を有するだけで特別な技術を有しているとは言い難い。一応彼の元の世界における音楽知識はあるが、それがこの世界で活用できるかどうかはまた別の話。この世界における音楽分野の技術、知識に関してはこの世界に適した形で覚え直す必要がある。とはいえ、大元の音楽関連の前提的な知識はあるがゆえにある程度理解するのは難しくない。
とはいえ、彼の技術は声に寄っているので本当の意味であらゆる音楽能力が高いわけではない。元々が音楽家を求めての能力ではなく、声優かその系統のアイドル系の志望だったからだろう。そもそも性転換すら考慮の内だったのだから重症である。この世界では音楽の発展はなかなか悪くないが、歌系統となると微妙だ。別世界でいうロックのようなものはないだろうし、やはり中世西欧におけるクラシックやその系列、あとは吟遊詩人が謳うようなものが一般的でそれ以外の物はそれほどないと言える。彼の持っている音楽知識における歌や曲はどれほどが活用できるものか。音楽家ではなく声優やアイドル志望な時点で主体となる音楽知識は怪しい。まあ彼の場合覚えているものだけでも自分で音を鳴らしこれか、これじゃないかを確かめながらやることもできるのでいろいろとできる。そういう点ではやはり音楽家の面では悪くないと言える。
「来たわね! 今日はこれよ! 弾いて見せなさい!」
「……わかりました」
そんな高い能力を持つ彼であるが、この世界は能力主義の社会性ではない。貴族社会というものがあるように、そもそも音楽に関することは貴族寄りの文化であるゆえに。その界隈においてそれらを仕事とする人間は貴族側、富裕層の人間であることが多い。その中で才覚だけは高く、王女というコネでこの業界に入ってきたアーシュは悪目立ちする存在と言える。そしてこの界隈、上の人間はコネだけの人間ではない。もっとも才能があるかと言われればむずかしい。コネでこの業界に入り努力で上に立つ、そうやって立場を得た人間は才能があるとは限らない。だが相応に努力はしている。死に物狂いで才能がなくとも人の上に立てるぐらいの努力をしている。
だからこそ、アーシュのような上の人間がねじ込んだような立場、しかも年齢的にまだ子供と言っても差し支えない存在、そのうえ天才と言っていいくらいの才覚を持つ存在。そんな存在を気にいる人間は少ない。一応立場的に微妙な人間はその扱いに対し後ろ盾である王女の存在があるため配慮するが、後がない人間であったり、あるいは自分の才能、能力、人脈に自信があったりする人間はその扱いに対し厳しい物を見せる。
それがこの現状。いじめ、と言えるほど厳しくきついものではないが……新人いびりじみたことをやられている状況である。もっとも、内容は厳しいがアーシュは高い才を持つ。楽器を操る才自体は持たされていないが、音を聞く分野においては天才的な才を持つ。楽器のどの部分で音をなれば何の音が出るのかを完璧に把握できる。肉体的にも決して体を動かす分野の才がないわけでもない。アイドルとしての活動を考慮してか、場合によっては楽器をいじりながらの活動なども考慮されている。ライブをやり斬るだけの体力、それを突き詰め才をさらに伸ばした結果が現在の彼の肉体の身体能力。そしてそれらの中に手先の器用さが一切ないわけではない。場合によっては楽器が出すを音を彼が出すという特殊な荒業もないわけではない。まあ、彼は普通に楽器を操りきるのだが。
「…………ええ、十分です。これも問題なく出来るようね」
「他には何か?」
「……いいえ、しばらくこれをやりましょう。まだまだあなたではできていない部分もありますから。いい? 調子に乗らないことね! 確かにやり切れる能力はあるようだけど、あれこれ任せるにはあなたはまだまだ実力不足なんだから!」
「はい。わかりました」
「…………ふん!」
彼女とてアーシュの才に関して全く理解していないわけではない。打てば響く、様々な部分でアーシュは高い才を持ちその能力を発揮している。それゆえにそれを認められないというわけではない……いや、正確には認められないからこその現状なのだろう。アーシュはまだ見た目でいえば子供に見える。それがこれだけの才を持ちその才を発揮しきるだけの能力を持つ。それはこれまで努力してようやく今の立場にいる彼女には納得がいかないのだろう。ゆえにこそいびりのようなことをしてしまうし、反発的な対応をしてしまう。
「すまない。アーシュはいるか?」
「……はい、ここにいます。何か御用ですかこの子に?」
「ああ。ちょっと連れて行きたいんだが構わないな」
「ええ、王女様の御付きの方の御用ですのでもちろんです」
彼女がアーシュに対し反発的な感情を持つのはこの王女側からのアーシュへの関与があるのが目に見えてわかるから、というのもあるかもしれない。アーシュは彼女と同格の立場にある。一応彼女は先達でありそれによる教育者として師、上位の立場にあると見れるがそれでもやはり対外的には同格である。そしてそれは彼女は王女からの動きがあっての物だと考えている。間違いではない。王女がアーシュを推したからそうなっているのは事実だ。だから納得いかないと言うのはわからないでもない。もちろん才覚に裏打ちされているのも事実ではあるのだが……それでもやはりコネが大きいのでそちらの方がよく見える部分になってしまうからだろう。
ゆえに、彼女はアーシュに対して敵対的、反発的な対応をしてしまうのである。それに対してアーシュは特に何も言うことはなかったが。