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「ウガアアア…………(はああああ…………)」
彼は目の前の光景を見てため息を吐いている。いや、ため息とは少し違うのかもしれない。そこに存在していた光景は惨劇……と言えるような光景である。ただ、人間であった彼から見るとあまり惨劇とは思えないような感じではあるが、それでも惨劇は惨劇だ。具体的にはぐちゃりと叩き潰された死体が一つ。まさか人間を、とそんなはずもなく、それは先程みたはずの緑色の肌をした魔物か亜人かわからないがゴブリンである。
いったい何が起きたのかというと、彼がそのゴブリンをたたき殺したのは見てわかるが、どうしてそうなったかというほうが重要だろう。彼はゴブリンを観察していると、その姿をゴブリンが確認する。一瞬ゴブリンは驚き、後ろに倒れこんだ。そしてそのまま下がろうとしたのだが……何もしない彼の様子を見て、首をかしげて立ち上がった。そして何を思ったのか彼に近づいてきたのである。彼は特に何もしなかったが、ゴブリンは近づいてきた触れ、様子を確認し…………いきなり叩いてきたのである。
それに彼は驚いたが、痛みもないし特に何もするつもりはなかった。だがそれが悪かったのだろう。ゴブリンはそのまま調子に乗って思いっきり叩きまくり、爪で引っかいたりかんだり、しまいには体に登ろうとまでして来ようとした。確実に彼に対して階ある行動をとろうとしているのは間違いなく、それは流石に彼も許容できないと振り落とす。ここで逃げていればいいものを、その抵抗を不満に思ったのか、怒り彼に向かってきた。そこに思わず拳を振るった彼。後は熊と同じ、勢いよく振り下ろされた彼の拳がぐちゃりとゴブリンを叩き潰したのである。
それ自体は、まあゴブリンの自業自得と彼も多少は割り切れることだろう。問題はその手に残る感触。ゴブリンをたたき殺した感触は決していい感じとはいいがたいものだ。その感触に対し彼は大きくため息を吐いているのである。気持ち悪い感覚を感じてしまったと。
(体洗いたいなあ……っと、そろそろ移動しよう。この状態をみられると……いや、見られても大丈夫かな。あれ、ゴブリン? ゴブリン、たぶんほかの生物に対して有効的な生物じゃない可能性のほうが高いし、仲間がやられているからって襲ってはこないだろうし……たぶん最初は逃げようとしたんだよな。こっちが何もしなかったから逃げなかったんだと思うけど。今度からできれば脅かしたり軽く蹴り飛ばすくらいして追っ払ったほうがいいかな。ゴブリン以外がどうかはわからないけど、ゴブリンが俺以外のほかの存在に同じことをやっているなら、まあ害敵みたいな感じの扱いだろうからたぶん問題はない。それ以上に俺のほうが危険生物扱いされかねないとおもうんだけど)
素手でゴブリンを叩き潰せる彼、それ以上に先に熊を殴り殺している彼。仮にこの世界に人間がいれば、確実に彼の拳は人間をも叩き殺せるだろう。もし人間がそんな生き物のことを知っていれば、確実に危険生物扱いされることに間違いない。そもそも今の彼の様相を思えば、原始人以下の知性しか持ち得ていなかっただろうことは間違いない。そんな生物がどういう扱いをされているかなど考えるまでもないだろう。
(ともかく水場だ、水場を探す……!)
そうしてまた彼は森を進む。
(水だああああっ!!)
そうして彼はそれなりに広い湖にたどり着く。
(ふう……これでとりあえず水には困らない! っていう体洗おう、体!)
ばしゃーん! と水の音を立てて彼は水の中に入る。仮に彼が水に弱い生物だったらどうするつもりだったのか。全身水にやられて苦痛の中湖に沈んで死んでしまったことだろう。もう少し注意したほうがいいのではないか、と思うが、特に問題はないようで一安心といったところだろう。
(……飲み水に使うことを考えると洗うにしてももう少し考えたほうがよかった!)
まさか自分が体を洗った場所の水を飲みたいと思う物もいるまい。そういうことなので今のうちに体が使ってその汚れが流れていないだろう場所の水を飲む。それ以上にそこは湖で水が清浄かどうかもわからないわけだが、それでも飲むという判断を下すあたり冷静ではない。水場が見つかったことに歓喜しすぎなためだろう。まあ、落ち着けばそれなりにまともに考え出すことに間違いはない。
そんなふうに彼は水場を満喫していた。ところでこの世界はゴブリンのようなファンタジーに出てくるような生物がいる。熊のような危険な生物もいるし、異世界なのだから様々な特殊な生物がいてもおかしくないだろう。それは空もそうだし、陸地もそうであり、また水の中でもそうである。彼のいる場所は湖だ。そこは大きな水場であり、多様な生物が住まうのに適した環境である。果たして、そこなんの危険もないのだろうか? 大きな水場であればその近辺に生物が住んでいてもおかしくはないが、ざっと見た限りではそのような地点も見えない、そこに果たして何が存在するかもしれないのやら、そう思うところではないだろうか。
まあ、水辺に近い場所に居住地を作るとも限らないのかもしれないが、ともかく彼は水場に来たことで気を許しすぎていることに間違いはなく、また水の中に危険な生物が存在する可能性があることも意識の外だった。ゆえに……彼は襲われるのであった。
「ガッ、ボボオッ!?(なん、ぶっ!?)」
それは彼の体をつかみ、湖の中へと引きずり込んでいく。水の中、それは陸上に住まう生物では呼吸のできない空間。つまり彼の死亡する危険のある要因、呼吸を奪うという事態に陥る危険があるということだ。その危機に、彼は陥ったのである。




