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(おっ?)
森の中を歩み、獲物となる獣の類や果実や野草の類、もしくは水場を探している。視点が高いということもあって足元が見にくい。視力は悪くはないが、どうにも足元の確認はやりにくい。視界そのものはもともとの自分自身の視界とも大差はないのだが。さらに言えば彼自身どんな野草が食べることができるのかは知らない。俗にいう七草とよばれるものすらも、詳しいその草花の形状を知っているわけではなく、山菜と呼ばれるものも山などに存在しているときの姿は知らない。これは彼の過ごしていた社会において食料は購入するものであり自分でとる機会がほぼない状況だったのが問題だろう。幼いころにそう言ったことをやったことがあるかもしれないが、もはや記憶の彼方に埋もれていることだろう。
そういうことなので基本的に彼が見つけられるものはお肉……野生動物となる。ちょうど彼の視界の先にはよさげな食料となるような獲物が存在する。彼が異世界転生という形で来てしまったこの世界には彼自身が予想した通りなら魔物か魔族かそういった部類に属するものだと考えられるが、幸いなことに見つけた獣はただの獣である。具体的には角の生えた四つ足、鹿である。
(…………生肉は正直怖いが、ほかに食えるものもないし……武器、武器が欲しい。でも、今の自分は普通じゃない……筋肉隆々の魔物っぽい。なら……)
獣に近づいていく。通常は狩りを行うならば何らかの武器がないとつらいところである。だが今の彼は人間であったことろ違い、その肉体そのものが武器であるのかもしれない。ならばそのまま襲えばどうにかなるかもしれない……そう彼は思った。
「グオオオオオッ!(うおおおおおー!)」
「……!」
後ろから不意を打って襲い掛かる……のはいいが、声を出してしまえば流石に獣のほうも反応する。今の彼はかなりの筋肉を持ち、大きな力を出せるのかもしれないが、しかし瞬発力が高いというわけではない。単純な瞬発力で言えば彼自身よりも獣のほうがはるかに速いだろう。ゆえに、彼が叫び獣がその声に気づいた結果、獣は彼から逃げ出した。
「グアッ!? ガアアアッ!(あっ!? 待てー!)」
逃げた獣を彼は追いかけようとする。だが、そもそも彼がいるのは森だということを忘れてはならない。森には木々があり、それが一種の障害物となる。獣はその身体の細さ、身軽さ、小ささがあるため木々の隙間の空間を自由に移動できる。だが彼はどうだろう? 視界が高くなっているのもそうだが、基本的に彼は身体自体が大きくなっているのである。移動する過程では意識して避けることができたが、獣を追おうとしたならば意識は獣のほうに向く。軽く移動する獣は木々の隙間を抜け、それを追うのだから当然そこに彼自身が引っかかってしまう。
「ガアッ! グオオオオオッ!(ああっ! ちくしょーっ!)」
言葉通り、相手は畜生である。まあ、彼自身が獣を相手にすることを慣れていない、狩りに関して慣れていないのが今回起きた失敗の原因だろう。
(……あー、くそ、逃げられたー。あれ、たぶん叫ばなければ……気づかれなかったよな? って言うかなんで俺は叫んでるんだ……叫ぶ必要ないだろ、普通に襲い掛かればよかっただろー……はあ)
自分自身で自分のやったことに落ち込む。まあ、彼自身この世界にきていろいろと混乱し困惑しているのも理由だろう。
(……落ち込んでないで次の獲物を探そう。あれだけじゃないだろう、森だし。っていうか肉ばかりじゃなくて草、野菜とか野草とか果実とかそういうのも……果実は見つけやすそうだけどなあ。野草とかは距離があって見えにくいだろうし……っていうか、そもそも何が食えるのかもわからないんだが?)
食べられるものがあるのかもわからない。そもそも何が食べられるのかもわからない。ならばそちらを探すことはせず、優先して果実や獣を探したほうが楽だろう。栄養に関してはいま気にしても仕方がない。あまりに植物を食べないとそれはそれで弊害はあるかもしれないが、そういったことはその時に考えればいい。もしかしたらそのあたりの草花を食べることで十分な栄養確保になるかもしれない。なぜなら今の彼はもう人間とは違うのだから。
(……獲物っ!)
今度見つけたのは兎だ。今度は彼は叫ぶことなく、その獲物に襲い掛かる。しかし叫んでいないのにその獣は彼の動きを察知する。今の彼は巨体である。歩けばそれなりに足音がして、走れば振動が大地に響く。そして彼自身はあまり意識していないが、周りには草もある。それらを踏み、足に引っ掛け、その音がすることだろう。そういった音を拾い、気配を拾い、獣は彼の動きを察知し逃亡する。
(あ……あ…………)
獣の動きに足を止め、固まる。そして、爆発する。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!(ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!)」
その怒り、嘆き、慟哭は叫びとなって森に響き渡る。その森いた獣のすべてがその叫びを聞いたかもしれない。もし人間がいればその叫びを聞いて何事だと向かってきたかもしれない。幸いなことに、その時その森に人間はいなかった。ゆえに彼はそこまで危険なことにはならなかった。もっとも……彼の叫びを獣は聞いていた。がさり、と草の音がするのを彼は聞く。
(……熊だっ!? 死んだふり……はダメなんだったな。鈴……とかは居場所を知らせるもの、確かめをそらさないようにしながら後ずさるのがいいんだったか? リュックとかおいて、そちらに気を引かせて。特に食料とかあるといいんだとか………………って、んなもんねえよっ!?)
彼はこの場にいた時点で着の身着のまま……という以前に何も持っていない状態である。鈴もないし、食料も持っていない。それ以前に彼の前に現れた熊はただであったというわけではない。
「ガアッ!?(なにっ!?)」
熊は彼に襲い掛かった。熊は先ほどの彼の叫びを聞き、その五月蠅さからここに来たのである。そして彼に襲い掛かった。彼はその熊に対し対処するしかなかったのである。




