5 逃げと堕落
「……………………」
トリエンテアは雄成の家の中、特に何をするでもなくテレビを見て過ごしていた。基本的にトリエンテアはその身の証を示す物が存在しない。学校には行けないし、アルバイトなどの社会活動にも出づらい。ましてや未婚の家に居つく少女と言うのもまた難しい立場だろう。それを匿う雄成もなかなかやりづらくなる。そのため、基本的にトリエンテアは家の中で自堕落に過ごしていた。
「……………………」
テレビを見るのはこの世界の情報を得るための情報収集の一環である、と言うのはトリエンテアが自分をだますために用いている理由付けだ。雄成との会話では普通に会話をできているが、テレビの音声は少々今の彼女には理解できないものになることも多い。音声はただの音声だが人の出した肉声はきちんとその意味が通る。テレビの場合、その二つが存在してまた情報の把握がやりづらい。そもそもなぜ彼女がこの世界で会話できるのかも疑問であるが、彼女の中にある理によるものであるにしても、どうにもわからない。まあ、できるからできるとあまり深く考えないほうがいいものだろう。場合によっては世界がある程度仲介しているのもあるし。
と、そういうことはどうでもいい話として。トリエンテアはこの世界でやるべきことが存在しない。彼女は魔族をまとめる王、魔王として君臨し、その役目に従事していた。この世界ではその魔族はおらず、彼女は人間の世話になっている。本来ならば敵対する存在である人間、その庇護にある立場だ。今までの自分は何だったのか、自分にはもっとできることがあるのではないか、本当ならもっとやるべきことがあるのではないか、そんなふうに彼女は思ってしまう。
今の自分はなんて安寧の世界にいるのだろう。今の自分はなんて安らぎに満ちているのだろう。この世界では戦いがなく、彼女はのんびりと過ごすことができる。安寧は確かに求めていたのかもしれない。魔族が収める形であるとはいえ、世界を征服し自らの手中に収め、その結果普通に過ごすことができるのもまた一つの平和だ。魔族が求めていたのは、平和ではないがそういった形なのだろう。しかし、今の自分はそれとは別の形でそうなっている。それも人間の収める社会という形で。それは本当に正しいのか、いいことなのか。自分は今まで人間を殺し殺して生活していたのに?
「っ」
自分の今の状況は、今まで彼女が敷いた犠牲の果てに存在している。幾千幾万の人間たち、幾千幾万の魔族たち、数多くの犠牲。かつては世界を手中に収める一歩手前まで行ったくらいだ。当然ながらその過程で出た犠牲は数多く、またかなりの期間人間たちとの争いは続いていた。それだけの犠牲を出したのに、自分だけのうのうと安穏と暮らしていいものか? そんなはずはない。自分は今まで殺しただけの怨念を背負い、期待を背負い、そしてそれを裏切ってしまったのだ。それが、その責任を負わずに過ごしていいはずがない。
「…………私は」
だが、今の彼女に何ができると言うのだろう。彼女のいるこの世界には魔力は満ちておらず、彼女の持ち得る魔力だけでは彼女の元居た世界に変えることなど到底不可能。この世界の人間を犠牲に道を開こうとしたところで、この世界の人間の持ち得る魔力といものは恐らくほぼないはず。それではどれだけ犠牲を払おうとも道をつなぐことはできない。そもそも、それだけの犠牲を出す前に彼女が抑え込まれることだろう。彼女の持つ魔力はかなりの量があるとはいえ、この世界では使えばもう二度と戻ることのないもの。生存に魔力は必要であるとは言わないが、安易に失うわけにはいかないものだ。
「……っ、失えないと思ってる」
この世界では魔力なんて必要ない、この世界で過ごすつもりなら魔力を失おうと構わない、そのはずだ。しかし、彼女は己の持つ魔力を失いたくないと思っている。それは彼女の持ち得る唯一の力にして、自身の証を示す者。元々彼女のいた世界とのつながりでもあるだろう。また、彼女自身、魔王であった自分自身を示すその力を失うつもりはない、そういうことなのだろう。
「……私は何をしたいの?」
この世界で、彼女にできることなんてないというのに、一体彼女は何をしたいのか、自分自身でもわかっていない。だが、このままでいる、といのは彼女の望まぬことなのだろう。
「どうした? 大丈夫か」
「っ…………」
悩む様子を、雄成に見られる。そこで声をかけてきた雄成にトリエンテアは驚く様子を見せる。
「何か欲しいものがあるか? まあ、ティアには過ごしにくい場所かもしれないが……」
「…………あなたでは用意できない。私は……本当はここで過ごしていい存在じゃない」
「まあ、ティアは異世界出身みたいだからそういうものなのかもしれないが……」
「そうじゃない」
トリエンテアは睨むように雄成に向けて言う。
「私は…………ここに来る前、魔王として君臨していた」
そうしてトリエンテアは自分のしてきた所業について語り出す。人殺し、世界征服、数多くの犠牲、滅んだ町や村、勇者の殺害。それは人間にとっては悪の所業だろう。それを成してきた自分は悪なのだろと、彼女自身が思っていた。そして、今の彼女の生活は毒なのだと。それだけのことをしてきた自分がこんな場所で過ごしていいはずがないのだと。そう彼女は主張する。
「……そうか」
「……………………元の世界に戻る。私は許されてはいない、許されてはいけない。あの時、勇者に負けた。敗北した以上、私は罰を受けなければならない。魔王として、殺されなければ……」
「難しい話だな」
トリエンテアの罰を求める精神性は雄成としても理解できないわけではない。しかし、トリエンテアのやってきたことは別にそこまで悪ともいえないと思っている。人間だって争いあうことはある。主義主張の違い、宗教観の差異、飢えと貧困からの脱却のため、より多くを支配し富を得るため、理由はここで様々だろう。世界平和のために戦いあう、という実に矛盾したこともありえなくない。しかし、たとえいくら殺そうとも、自身の思い描く理想のために戦いを行うのならば、それは果たして悪だろうか。確かに攻められる側からすれば一方的な主張で攻撃されているわけだが、それでもそうする理由はあった。たとえ相手を絶滅させようとも、自分の仲間のためならば、ある意味それは必要なことである。
「ティアは魔族のために人間を攻め滅ぼそうとしたんだろう? 個人的にはいろいろと思うところはなくはないが、そこまで責められることでもないだろう」
それが雄成の意見だった。




