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がたごとがたごとと二台の馬車が揺れる。あまり整備されていない道を二台の馬車が走っている。
「…………はあ」
そのうちの一方。後ろの馬車に乗っている人物。二台あるうちの一方の馬車は乗っている人物は少ない。代わりに幾らか荷物もあったが、しかし基本的には若干広く感じる馬車だ。乗っているのはそれなりに華美に見える、しかし動きやすく設計されている貴族のお嬢様が着るような服を身に纏う少女と、その傍に私はメイドですと主張するような完璧なメイドの装いをした侍従がいる。この馬車にいるのはその二人。まあ、つまりは貴族が載っている馬車であると言うことになるのだろう。その二人のうちの少女の方が、溜息をついていた。
「お嬢様。溜息をついてもしかたありませんよ」
「……わかってます。でも、少しくらいいいでしょ」
「気持ちはわかりますが……」
お嬢様と呼ばれた貴族の少女。彼女が溜息をつく理由。難しい話ではない。そもそもなぜ彼女が馬車二台で荷物と侍従を伴い移動しているのか。それに関して考えれば幾らか予想ができることだろう。とはいっても、その予想の多くは見当外れか的外れ、かなり奇異で珍しい話であると言われることには間違いないと思われる。
さて、この少女に何が起こったのか?
事の起こりはこの少女が原因の物ではない。彼女の姉である女性が起こした出来事が原因である。
そもそも。彼女の家系は貴族社会における公爵である。基本的に細かい部分、様々な種類についての説明は省くが、基本的な貴族の爵位は偉い順に公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵である。騎士爵など厳密な意味では爵位に含むものや、辺境伯や大公と言ったものもあるが、とりあえず細かいあれこれを省き、主に五つの爵位が基本である。まあ、つまりは少女の家柄はかなりの物であると言うことだ。
それが身を持ち崩す事態というのはなかなかありえないことだ。大きな失敗をしたからと言っていきなり全てを失うようなことは普通ならばありえない。貴族社会も派閥関係などの複雑さがあり、取り潰すにしても事前の根回しなどが必須である。それがなぜ着のみ着のままで馬車で移動するような事態になるのか。
それの原因であるのは彼女の姉の問題について語る必要がある。というのも、先に説明した通り彼女の家は公爵家。国において最上位に当たる貴族の一員である。当然ながらその婚約者になるのは近しい地位の貴族、または王族に嫁入りということになるだろう。そして彼女の場合は後者、この国の王子と婚約関係にあったのである。
しかし、その王子との婚約関係はある一人の人物によって破談となる。別に彼女が悪いと言うわけではない。どちらかというと王子側に責任がある。伯爵家の娘に王子が惚れ、その結果その娘と少女の姉が険悪な関係になり、陰からの虐め、権力を使った悪だくみ、様々な裏の業界に手を出しそちらからじわりじわりと家の方にまで被害を与えることとなった。まあ、それくらいならばそこまで極端に咎められることはない。だが大きな問題があった。王子の存在である。
伯爵家の娘に惚れていた王子はその娘を虐めている少女の姉のことを知る。そして現場、少女の姉が伯爵家の娘を虐めている現行犯の現場に現れ、直接その行いを咎めた。そのうえ、彼女との婚約を破棄することを告げたのである。俗にいう悪役令嬢ものの婚約破棄である。普通に考えれば王子の一存で簡単にどうにでもできるものではないのだが、今回の場合は少し事情が違う。まず少女の姉が悪事を行っていたこと。そして、それを表ざたにしたこと。その理由がある以上、理由としてはそれなりに正当と言えるかもしれない。そして、彼は一応王子である。この世界、この国において王族という存在の立場は大きい。例え勝手な行いであったとしても、その発言は重く受け止められる。つまり、一度告げたことは簡単に翻してはいけないことになるのである。
その結果、婚約破棄は成立……したかどうかはともかく、半ば周知の事実となってしまった。もちろん簡単に成立するわけでもないが、恐らくはそのまま進めばそうなってしまっただろう。だが、そのまま話は進まなかったのである。
悪事の露呈、婚約していた相手からの拒絶。そんな事態になってしまえば、少女の姉の精神状態はどのようになってしまうことだろう。女性の心理、そもそも男性であろうと女性であろうと人間の心理は奇異で滅裂で理解の及ばぬ領域である。いったいどのような変遷をたどったのか、少女は行きついてしまった。彼女は暴走し、往時を殺そうとしたのである。その一歩手前まで行ってしまった。流石に殺すことはできなかった、もはや殺す直前まで行きついてしまった。即ち王族殺しの滞在人となってしまったのである。
それにより彼女は処刑せざるを得なくなってしまった。王族殺しの罪を易々と許すことは出来ない。たとえ混乱するような状況で、発作的な暴走であったとしても。貴族であろうとも厳格に処罰せざるを得ない。そして、その罪は家族にも波及する。貴族に限らず罪によっては連座で罰を受けるものもある。そもそも王族殺しは一族郎党皆殺しになってもおかしくないものだ。だが、今回の場合、事情が色々と複雑である。
一つはそもそもの原因が王子側にもあること。勝手な婚約破棄の結果であるため王族も相手方に完全に責任を押し付けきれない。特に既に決まっていた公爵家との婚約破棄であるのだから。一つは公爵家側の事情。これは別に娘がどうの、というわけではなく、彼らの家柄とその役割の事情である。彼らの家はずっと隣国に接する土地であった。そして、その隣国との争いも数多く経験し、ずっと相手国を抑えていた。守りの要である。それがいきなりいなくなってしまう。それは大きな問題だろう。仮にほかの貴族にその土地を渡すにしても、どこの貴族に渡すべきか派閥での争いになるし、次に土地を治める貴族が隣国を抑えられるかもわからない。これには国も困ったことである。そして、一つはその貢献も大きな事情である。彼等はずっと国に尽くし、少女の姉以外は、少女の姉も今回のような事態が関わるまでほぼ悪行といえるようなものはしてこなかった。もちろん小さな必要な悪行しているが、しかし大きな悪は犯していない。そして国に尽くし、ずっと貢献していたのも事実。それゆえに、彼らを処刑するような事態になってしまえば国としても大騒動になるだろう。
では何もしないでおけるかと言われるとそんなことはない。王族殺しはそれだけ大罪である。ではどうするべきか?
まず、彼らの領地に関しては彼女たちの祖父に預け、そちらで治めることとなった。そしてその子、彼女たちの父母は別の領地に移ることとなった。いや、父母だけではない。彼女たち……少女もまた、父母と同じで別の領地に移ることとなった。その結果が現状である。なお、父母と一緒ではない。その父母も別れて別の領地に移動している。つまり一家離散という形になっている。
「……はあ」
そんな惨状である。少女もため息をつきたくなるだろう。姉の所業が原因であるとはいえ、自分自身がいきなり家を放り出され遠くわけのわからない領地に送られる。それはもう売られた子牛の気分ではないだろうか。