魔王討伐の巻 第1話
「リンゴ、コーヒーをくれ」
「知ってる」
「あたしは、ビール」
「はいはい」
「ぼくもびーるで」
「うっさいね! 分かってるよ」
昼下り、僕は喫茶店から漏れてくる喧噪を聞きながら、アップルの扉を眺めた。
『閉店中』
場所は、カリール王が治めているルドラの首都ミカン。付近の国からは『黄金の国』と言われている。世界中どこを探しても金はこの国の土地にしか埋蔵していない。
女を抱く事しか頭にない馬鹿国王が「この国、薄汚れてない? そうだ、建物を金で建てればいいんじゃね?」と、はしゃいだせいで、建物はほとんどすべて金色に輝いている。
この建物を除けば。
喫茶店は首都の中心の少し外れに鎮座している。
この店だけが木造で出来ていてるが、外観はとにかく古いし、汚い。
昔は綺麗だったはずだが、劣化とこの国の酸性雨で随分やられた。デヴィ婦人みたいだ、僕がふざけて言うと、仲間たちは絶対笑う。もし、日本で言ってしまったら、僕は処刑だろう。
ただ、デヴィ婦人は悪臭はしないだろうけど、この建物は酷い。
臭いなんてもんじゃない!
木が腐っている。それに、押したら倒壊してしまいそうだ。
だが、冗談で押してみようとも思わない。よく見ると木の表面に無数の小さな虫がうごめているからだ。もし、触れてしまったらその小さな虫は僕の手に卵を産み付け、手から孵化した虫は体をも侵食し、見るに堪えない醜悪なものになり果ててしまうだろう。
そうなったら、僕は一生童貞のままだ!
空から降り注ぐ陽は黄金の建物に乱反射している。
そして刹那、大きな影が辺りを覆った。
眼はいまだに明るさに慣れなければ、この世界にも慣れていない。大きな竜を見れば、腰が抜けて、尻もちをついてしまうし、エルフを見ればその色香と優美さに負けて、僕は緊張してうまくしゃべれなくなり、魅力的なお尻にどこまでもくっ付いく。そしていくらでもモリ―(ここではお金の意)を貢ぎ込んでいる。巨人を見れば、足がガタガタと震えちびってしまう。まだまだあるがこれ以上醜態を晒したくないのでここまでにするが・・・・・・。
一つ、言わせくれ。僕が店の前でぐずぐずしているのは決して、入りたくない訳ではない。
ただ、怖いんだ。
この世界に飛んできてから僕は一度足りもゆっくりと寝れたためしがなかった。何時どこで奇襲されるかも分からない畏怖。能力目当てで目の色を変えて近づいて来る女ども。日本とはまったく違う生活、人種、生物への不安、心のどこかで戦慄していて生きている心地がしなかった。
この店に入るまでは!
だが、店に入るまに不意に思う事がある。もし、僕がこの店の扉を開いても、誰もいなかったら? 怖い。どうしようもない人達だけど、僕にとっては家族同然なのだから。
だから、僕は店の外で四人の声と笑い声が聞こえてから、店に入る。
店の中から、高笑いが聞こえる。
僕は挨拶と共に扉を開けた。
外と世界と中の世界の時間の流れが違う。やっと本当の世界に帰って来た感じがする。
「こん・・・・・・」僕のあいさつは衝撃と共に消えた。
足許に空き缶が転がっている。
「キハさん!」かな切り声と共に視線を上げると再び空き缶が襲来して来た。
運動神経が悪い僕だが、いつものことなので軽くステップを踏んで避けた。
店内が爆発するような笑い声に充満した。それに無数の空き缶が鳥のように飛んでいる。
――クソ!
僕のステップを見て笑っているんだ。
だが、いちいち相手にしても仕様がない。何事も無かったようにカウンターの椅子を引き寄せ腰を下ろした。
「キワは何にする?」リンゴさんがいつものように聞いてくる。黒目をすっと細めて、微笑みながら。
「だから、音が違うって、″ワ″じゃなくて"ハ"だよ!」僕もいつものように応える。
「いつもの」
「分かってるわ」
リンゴさんはコップからシュワシュワと音が鳴る、炭酸水を注いで目の前に置いた。
飲むと、喉に当たる感じがたまらない。僕はまだどちらの世界でも未成年なので、お酒は飲めない。あと、一年で二十歳だが。大人になっても飲む気はない。あの不味い液体を何杯も飲むなんて正気の沙汰ではないといつも思う。もう一回言っておくが、僕は酒を飲んだことがない。ベロで舐めただけだ。だから、騎士団には報告しないでくれ。
コップの炭酸水を一気に体に流し込んだ。
「あ~たまんないね。五臓六腑に染み渡るよ」僕はすこしはしゃいで言った。
「嫌だねキワ。そんな爺くさいこと言っちゃって。もしかして、私たちに嘘ついて未成年とか言ってるけど、ホントはおっさんね?」
「違いますよ」
「誰が、そんな言葉だけを信じろって? 特にあなたの場合は言ったもん勝ちじゃない」
「確かに僕の言った言葉は現実になりますけど、条件が難しいんですよ」
「でも、年齢ぐらい簡単でしょ?」
「それは、まぁ。時間をかければ」
「あんなことも、こんなことも?」
「それなりに」
「例えば、そこに居るアイドルのネミちゃんを淫乱な女に化かしたり?」
「そういうのはやった事がないので絶対は分からないですけど、みねが協力してくれるのなら」僕はすこし声を潜めて「僕の彼女にしたり、奥さんにできますよ。って言ってみたり」
リンゴさんは一度大きく口角を上げて「ネミ~、キワがあなたの事好きだって」
「う~ん」みねは寝ぼけたような返事をする。
「両想いじゃない二人とも」リンゴさんは冷やかすように言った。
自分の顔が熱くなっている事に気づいた。
それをリンゴさんに悟られないうちに店内を見渡した。
後ろの方ではルイとハイが無駄に真剣そうな顔つきで話をしている。
多分、ハイの仕事の愚痴を聞いているのだろう。
昨日、彼女は珍しく仕事が入ったらしかった。多分、一瞬で解決しただろう。
あの黄金と紅色に輝く瞳で、未来と過去の透視が出来るからだ。大抵の事件や探し物は解決出来る。普段は眼鏡をかけていて力を使おうとしないが。
ついでに彼女と話している青髪で青眼で女のような顔をしている小柄な子はルイと言って、男性だ。
国で一人しかなれない元聖騎士だった。だが、ルイは僕が言うのもあれだが、駄目、駄目だ。確かに剣術はとても人間の芸当とは思えない。でも、本物の刀を持つと脱糞してしまう。包丁ですらちびるのだ。
極めつけは、聖剣と同時に渡される剣の合言葉を忘れた。
これは何を意味するかというと、彼の世代からは鞘にいれながら聖剣を振り回さないといけない。先月に、先代が夭折してから。
「キハ~、誰もお話の相手してくれない~」ネミがねこなで声で話掛けて来た。
「ネミが臭いからだよ」僕はおもった事を言った。
「嫌ね、キワ。女の子に臭いなんて。いくら、ネミちゃんでも嫌いになっちゃうわよ」
「リンゴも本当の事言ってあげないと、いつまでたってもこの子、成功しないよ。いや、万が一成功するとは思ってないけど」
これは、意地悪で言っているわけではない。長年付き合って了解している事だ。ネミの本当の名前は美音と言って、僕がこの世界に飛んで来る前からの幼馴染だ。
昔から彼女は大事な所でしくじってしまう病気を持っている。
歌の選手権で全国大会まで上り詰めたと思ったら、飴を喉に詰まらせたまま出場し、批難の嵐。高校入試では車に撥ねられ、試験会場にゴール。アイドルになったと思ったら、下水溝に足を踏み外し、僕と異世界に飛んできてしまった。ちなみにその時、僕は美音に自給五百円でマネージャーというアルバイトをしていた。
彼女は最終的には引きこもりというどん底まで成り下がってしまったが。
美音は千鳥足で近づいて来る。ふらふらと。まるで妖怪だった。ピンク色の髪はぼさぼさしていて、薄い桜色の眼は焦点が合っていない。細いや腕や足はいつもより弱弱しく見える。
「あたしね、もう二杯もいっちゃった。すごい?」
黙殺した。
「ねー。キハー」
「相手してあげなよ」リンゴは憫笑しながら言う。「どうせ、送るのはあんたよ」
「そうですよね。この人、僕の家に居候していますから」
「なに、あんた! 女の子を一人にしろっていうの」
「えー、そんな事言います? 先週、リンゴさんと美音――どっかの組織壊滅させてたくせに」
「そうよ、女は敵が多いんだから」
「可愛い子は何かと、仲間外れにされるのよ。昔のキハみたいに」
僕は黙った。
みねは微笑んで言った。「キハ、わたし帰る」
「その前に良いですか?」ハイは挙手して言った。
「どうぞ」リンゴが答える。
「わたし捕まりました~」ハイは控えめに言った。
喫茶店が静かになる。
ここでの捕まったとは、「疫病神が来る」という意味で、大抵一般人では手に負えないような事件が舞い込んでくる。過去には、五百年近く生きていた竜退治、裏の組織の滅亡、山の作成などの事件が持ち込まれる。命がいくつあっても足りないような災難ばかりだ。
なのに!
ここには、命知らずが四人もいる。
「面白そうじゃない!」
「ですよね! ですよね!」
「酔いが吹っ飛んだ」
「これだよ、これ。僕はこういうイベントを待っていたんだ。キハやったね、冒険がすぐそこに待っているんだ!」
僕は泣きたくなった。何時もそうだ。この不注意、阿保、自由の権化四人組は無傷で事件を終えるのだ。そして、四人が溜めたを不幸を僕一人で背負う羽目になる。右手骨折に始まり、複数の骨折、筋肉の破損、右手吹っ飛び。
特にルイ。腰にぶら下げている〈聖剣〉という玩具は立派に輝き、敵を引き寄せる。その玩具を握った瞬間、脱糞だ。
彼の騎士団の落とされた話を聞けば、みんな高笑いするさ。隣国との戦闘中に、聖剣を引き抜いたどこかの聖騎士様はその場で脱糞してしまって、その場に居た味方兵士全員があまりの臭さに失神。案の定、逃げかえって来た。王様にケツだけ汚れた聖騎士様はその場で戦場報告と共にその日から行方不明。
事件の時のルイは楽しむだけ楽しみ、出すだけ出して、すぐ僕の後ろに隠れる。ここの連中は可愛らしいじゃない、と言ってルイを甘やかしている。が、僕はどうも同意できない。
「男っていう生き物は凛々しく、高貴でなくてはいけない。ただ、女には優しく接し、憐れみは貰うな。」この世界で僕が尊敬している人の言葉だ。
前の世界では宮本武蔵みたいな人物に憧れていた。当時の自分はとても静かで、内気な子供だったからだ。男子の友達はいなかったが、それを知っていた女子はよく仲間に入れてくれた。そのうちの一人が美音だ。同情してくれたのだ。まるで捨てられた犬ころを拾うように。
あの時は本当に、辛かった。惨めだった。
ルイを見ると昔の自分を思い出す。
そして、腹の奥の方で暗い何かが動くのを感じる。無性に腹が立つ。
「よっしゃー」僕も自分に喝を入れるように叫ぶ。
「キハもやる気だね! 僕も楽しみだよ」ルイははしゃぎながら言う。
店内は期待と興奮でいっぱいだった。
数分前までは・・・・・・。
誰が、あの赤髪の騎士を予想していただろう?
あの死神を。




