二日目、地獄は嫌なのじゃ
テンゴクと茶の間で二人でお茶を飲む。
冷たい麦茶、最高じゃな。
このようにシンプルな素材から作られた飲料ですら、実際に口腔内を流れると複雑な味わいと風味があるものなのじゃな。
もう一口、麦茶を口に含んでみる。
この冷たさも最良なのじゃ。
まさか、冷蔵庫内の飲食物の温度を最適に保っているのが和堂兆の『理術』だとは、流石のテンゴクもまだ信じられんじゃろうなあ。
異世界に行くまではテンゴクも普通の生活してるつもりで生きとるんじゃよな。
そもそも、この家には外からの水や電気の一切が来とらんことをテンゴクは知らんのじゃし、しょうがないかの。
本人だけが普通の家に住んでるつもりじゃが、そもそも、ここって地図にも載ってはおらんしの。
来ようと思えば普通に来れるのに、地図を作ろうとすると整合性が取れんくなる空間に住んでいるなぞ、人の子どもの想像が及ぶ範疇ではないということじゃな。
そんなことよりじゃ、ただの冷たい麦茶でも実際に味わえばこれほどなのじゃ。
これは次の食事も楽しみじゃ。
次の食事は山吹食堂のカレーじゃな。
まだ味わったことはなくとも、アカシックレコードであるこちはその味を記録してはいる…
知っているからこそ、想像することは容易く…
おっと、いかんいかん、よだれが出そうなのじゃ。
「それで、君って誰で、どうして庭に降ってきたりしたの?」
当然の疑問じゃな。
こちはコップをことりと置く。
手から冷たさが離れていくのもまた何故か心地良い。
ふむ、今度は熱い緑茶も呑んでみたいのう。
「さて、こちはアカシックレコードなる存在が人と化した者なのじゃ。何でも知っておるのじゃよ」
などと言ってもテンゴクは理解できとらんのじゃが。
「ええっと、アカシック… なんだっけ…?」
まあ、こんなもんじゃな。
今は何を言っても電波な子ども説は拭いきれんじゃろうし。
「アカシックレコード、なのじゃ」
「変わった名前なんだね」
「名前ではないのじゃよ。アカシックレコードという概念なのじゃ。人としては出来立てほやほやなので御手柔らかに頼むのじゃよ。因みに、和堂兆がこちに明石呉子という名を付けようとしたのじゃが、それは丁重にお断りした。ダサいからの」
ああ、とテンゴクが頷いておる。
あやつのネーミングセンスの無さが周知されているのは良いことじゃな。
アカシックレコードだから明石呉子という名になるのなら、全ての駄洒落が名前になれようぞ。
「それで、名前はお主につけてもらおうと思っての。何かないかの?」
親がダメなら子に頼むって借金取りみたいじゃのう。
「うーん。ぼくもネーミングセンスなんてないと思うけど…」
「良いのじゃよ。気持ちを込めて名付けてくれれば、それは良い名前というものじゃ」
それに和堂兆に比べれば、相当にセンスもあると言えるじゃろう。
「ぼくって、典語っていうんだけど、みんなはぼくを…」
「テンゴクと呼ぶんじゃろう? こちもそう呼ばせてもらう故、そちの相方に相応しい名前にして欲しいものじゃの」
「父さんに聞いたの?」
「知っておるだけじゃよ。なんでも、全てな。」
全能ではなくとも全知ではあると言える。
もっとも、知ってるだけなんじゃがの。
擬人化した以上、一度に扱える情報量は人並みになっておるはずじゃ。
「物知りなんだね」
うむ、この世界に唯一無二たる存在を前にしても『物知り』の一言で片付けるところがテンゴクらしいのう。
とても和むのじゃ。
宇宙の叡智に触れておいて、悪用しようという発想を一切持たぬところに安心せざるを得まい。
言うまでもないことじゃが、アカシックレコードであるこちが言うところの「一切」というのは、過去も未来も含めた一切合切なのじゃよ。
本当に、和むのじゃ。
ほわほわじゃのう。
和んでるこちを見て、物知りと褒められたことで喜んでいると勘違いされているのも含め、とにかく人間扱いしてくれるのが嬉しいのじゃ。
「えっと、にこにこしてるとこ悪いんだけど、名前ってさ…」
おおっと、のんびりしているテンゴクに急かされるとは、いかんのう。
情報処理能力が人並みということは、感情の起伏や心情の変化を味わう時間が有限ということなのじゃよな。
実に勿体ないが、それも已む無しということか。
せめてジョブ魂が使えれば良いのじゃが…
「ぼくがテンゴクだから、きみはジゴクとかっていうのはどうかな? うーん、やっぱり変だね…」
うむ。例え考え事をして話をちょっとばかり聞いておらずとも、既に会話の内容もアカシックレコードであるこちに記録済みである故、なんの問題もないのじゃな。
「ふむ。地獄では言葉の響きが厳つすぎて嫌じゃ。プリチーな女子の名前には相応しくなかろうて…」
相方としての相応しさだけを見れば、天と地の表裏一体感も悪くはないのじゃが…
されど、日本語の単語で濁点が二度もつくものは名前としては遠慮したい。
とは言っても、濁点を外してチコクちゃんと呼ばれる方が嫌じゃがな。
絶対に時間を守れない子どもみたいじゃ。
「そうだよね。うーん、じゃあ何が良いかな?」
うむ。
もう少しだけ、テンゴクがこちのことを考えてくれている時間を堪能するとしようかのう。
こちは「ふうむ」と名前を考えている風に目を閉じる。
そのままコップを手にとって、少しだけぬるくなった麦茶を飲み干した。