9話
二学期は行事が目白押しで忙しい学期だ。
文化祭にマラソン大会に遠足。
転入生の如月がクラスに加わった一週間は、奴の様子を窺う奴や、奴と関わりを持とうとする女子の声掛けが多く何かと落ち着かなかったが、全く相手にされず、それどころか冷たい目で睨まれるとなれば、二週間が経とうという頃には如月に挑む奴はいなくなっていた。
俺と同様、如月は決して嫌な奴でも、ましてや悪い奴でもないと分かっている奴がいないわけではない。
前島や佐藤といった俺の友人達は、意識的に関わらないようにしている奴等とは違い、必要となれば、誰にでもするように当たり前に声を掛けている。
そういう奴には、如月の声は比較的穏やかだと感じた。
不用意に声を掛けなければ無害。となれば、如月へ注意を払うよりも、目先の楽しい行事に意識が向くというもので、クラスの奴等は来週行われる文化祭の話し合いに胸を弾ませていた。
文化祭の話し合いが来週行われると担任から連絡があったのは、帰りのホームルームでのことだった。
来週はクラスの出し物、文化祭初日のオープニングセレモニーの参加者を決める為、各々考えておくようにとのことだ。
去年、一昨年はオープニングセレモニーの参加者に強引に抜擢された俺としては、今年はいい加減、客席から舞台を眺めたいという願望があるが……どうなることやら。
「理歌はオープニングセレモニーで演奏するんだよね? 練習はもう始まってるの?」
「演奏する曲はもう決まってるけど、本格的な練習はこれから。去年までは大会で演奏した曲と他に何か、っていうのが恒例だったけど、今年は全部違う曲をやることになったんだ。まぁ、三年生の我儘でね」
「楽しみだけど、練習大変そうだね」
「まぁ、頑張るわ。三年は文化祭で引退だし。一、二年生も協力的だしね」
「感謝しないとねぇ」
「ほんとほんと」
一週間交代で回ってくる掃除当番が、俺達の班にも回ってきて、二日目。
先川が黒板を。佐田が机の雑巾掛けを。俺と如月が床の掃き掃除とモップ掛けをしていた。
他の班の奴等は知らないが、俺達は一週間毎日この役割というわけではなく、公平に順番でやることにした。
話をしながらも、てきぱきと掃除を進めていく先川と佐田に感心し、同じ班で良かったとしみじみ思った。
口を開くことはないが、真面目に掃除をしている如月を見ても、以下同文だ。
どうせ毎日同じ教室で勉強するなら、綺麗な空間であることに越したことはないと思うのだが、真面目に掃除をする奴もいれば、そうでない奴もいる。
そういう奴と同じ班になってしまうと、掃除は進まないわ邪魔をされるわ、下校も遅れるわでいいことが一つもない。
早く下校したいというのは如月も同じようで、昨日は掃除が終わるや否や、さっさと帰ってしまった。
俺が担当した掃き掃除は、残すところ教卓の周辺のみとなった。
黒板の掃除をすると、どうしてもチョークの粉が床に落ちるため、先川が黒板掃除を終えてからにしようと後回しにしていたのだ。
もうそろそろ終わるだろうとそちらを見れば、黒板はすっかり綺麗になっていた。
「う……うぅ」
一箇所。隅の天辺に書かれた文字だけを残して。
必死に背伸びし、腕も指も伸ばし、絶妙なバランスで黒板消しを持ち、消そうとする先川だが、あと少しのところで届いていない。
「先生の意地悪……っ」
「ぶっ」
「……山下君」
「あ」
恨めしげな先川の呟きが思いの外面白く感じてしまい、つい吹き出してしまうと、半目になった先川に恨めしげな視線を向けられてしまった。
「山下君も意地悪……」
「ご、ごめん。でも、馬鹿にしたわけじゃなくてな……?」
夏休みに一度、偶然会ったとき。せっかく優しいと言われたというのに、なんて失態だ。
俺が狼狽えてフォローしようとすると、今度は先川が小さく吹き出した。
「……?」
「嘘。ごめんなさい、怒ってないよ。申し訳ないんだけど、あそこだけ消してもらえないかな?」
「あ、あぁ」
どうやら、俺はからかわれたらしい。
怒らせてしまったわけではないと安堵し、先川から黒板消しを受け取る。
(……始めて、からかわれた)
別に大したことはないやり取りだが、先川とこんなやり取りをしているのだと思うと、妙にこそばゆく感じてならない。
何より、俺からではなく、先川からという点も相まって。
「じゃあ、私はこっちを代わるね」
「え。いいって、俺がやるから」
「ううん。早く終わらせた方がいいし」
俺に黒板を渡すと、先川は俺が持っていた箒を手に取り、教卓の周辺を掃き始めた。
気のせいでなければ如月を一瞥していたような気がするが、もしそうなら、早く終わらせた方がいいというのは、昨日のように如月が急いでいるなら、早く終わらせてやらなければということなのかもしれない。
先川ならあり得そうだと思いながら、俺も黒板の文字を消した。
佐田の手伝いもあり、先川も掃き掃除を終えたようで、如月が手早くモップ掛けをしていく。
それが済めば掃除は終了で、如月はさっさとモップを片付け、荷物を持って教室を出ようとしていた。
「お疲れ様」
「お疲れ~」
返答は期待していなかったのだろう。
早足に教室を出る如月の背に労いの言葉を送る先川と佐田に、如月が無言で立ち去ってしまっても、気にした様子はなかった。
その後、佐田は部活に向かい、俺と先川だけが教室に残された。
さて、俺達も帰ろうか。と別れようとしたのだが、俺達が向かう駅が同じだということを思い出した。
敢えて別々に帰るのも不自然だ。
話したこともない相手なら、帰り道が同じだった場合は適当に時間をずらして帰るなり、道を変えて帰るなりしていたが、先川を相手にそれをする気にはなれない。
「最近、縁があるねぇ」
成り行きで一緒に下校することになり、駅までの道を歩いていると、先川が一言そう零したあと、「そういえば」と言って立ち止まってしまった。
「大丈夫かな……」
「何が?」
急にきょろきょろと周囲を気にし始めた先川に、何か気掛かりなことでもあるのかと尋ねれば、先川は言葉を選ぶように一呼吸置いて口を開いた。
「山下君に付き合っている人がいたら、二人で帰るのは良くないかなって」
「……え……」
先川の言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になったような気がした。
更に続く先川の言葉に耳を傾けながら、俺は酷い焦燥に襲われていた。
「いないとしても、山下君は人気者だから……。誰かに見られて噂になっちゃったら、迷惑掛けちゃうなって……」
周囲を一通り見回し、同じ学校の生徒がいないことを確認すると、先川は俺に向き直り苦笑した。
口の中が渇いて、何故だか息苦しいような。あまり感じたことのない感覚だった。
焦燥の正体は分からない。考えも上手く纏まらない。
けれど、これだけは言わなければと思った。
「いない……」
「え?」
「彼女なんて、いないから。心配しなくていい。周りのことも、気にしてたらキリがないし。堂々としていればいいよ」
俺に恋人がいる。先川と噂になったら、俺に迷惑が掛かる。
先川にそう思われることが、無性に嫌だと思ったのだ。
「そっか。じゃあ、そうしてみようかな」
「……あぁ」
分かったと頷く先川だが、そう言いつつも、俺と噂になり迷惑が掛かると判断すれば、隣には立たなくなるだろう。
短い時間でも先川を見てきた俺は、確信を持ってそう言えた。
先川は、そうやって誰かを気遣う奴だと。
いつもなら安心感を与えてくれる先川の気遣いが、今は何故か、苦しかった。
翌日。三度目の掃除の時間になったのだが、今日は生憎、佐田がどうしても早く部活に行かなければならない用があるらしく、先川と如月、俺の三人で掃除をすることになった。
今日は先川がモップ掛け、如月が掃き掃除、俺が黒板掃除と机の雑巾掛けをすることになった。
俺が二人分の仕事を受け持つことを渋っていた先川だが、仕事の分配としてはこれが無難だろうと俺から引き受けたのだ。
佐田がいないと、先川の口数は格段に減った。
先川は別に、意識して話さないわけではない。
同性の友人ではない俺や、接し方が難しい如月がいる場では、それが当たり前だ。
今までもそうだった。
俺が勝手に、その事実に釈然としていないだけだ。
「……はぁ」
「……!」
聞こえた溜息に、俺はいつの間にか自分がずっと無言になってしまっていたことに気付いた。
自分が無言でいるくせに、先川の口数が減ったことを気にするなど、お門違いにも程がある。
溜息をついたのが先川だったなら……。
そう考えると恐くなり、俺は先川に目を向けた。
「…………」
当の先川は、難しい顔で一点を見つめていた。
「先川さん……?」
何を見ているのか。
先川が見つめる方へ俺も視線を移すと、掃き掃除を終えたのか、箒をしまおうとロッカーを開ける如月がいた。
何故、如月を?
その理由に見当もつかず先川の様子を窺っていると、ガタガタッと何かが崩れていくような音がした。
その直後。
見たこともない青褪めた顔で、先川が駆け出した。
「……! 先川!」
つられるようにして先川を目で追った俺も、次の瞬間には床を蹴っていた。
先川が駆け出した先では、如月が頭から後ろへ倒れていく光景と、予備の掃除用具が崩れて如月に降り掛かろうとしている光景があった。
如月の頭が床に打ち付けられる寸前、転ぶようにして滑り込んだ先川の手が、その最悪の事態を回避した。
先川より如月との距離があり、一歩出遅れた俺は、如月の救出には間に合わなかった。
俺にできたのは、落ちてくる掃除用具から、自分の身を乗り出し如月を庇おうとする先川の上に、覆い被さることだけだった。




