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春の隣  作者: 白黒
7/26

7話

 先川と話して、胸が軽くなったのは何故か。

 本気で考えてみた結果、それはアニマルセラピーに近い感覚なのではないかという結論に至った。

 猫や犬に感じる癒しを、先川にも感じていたのではないか、と。

 先川が人間だということは分かっているが、それ以外に適切な表現が見つからなかった。

 先川は基本的に静かな印象があるが、無口というわけではなく、いざ話をしてみれば声の大きさや、話す早さから、妙な安心感のようなものを感じるのだ。

 改めて考えてみて、気付いたことだ。

 例えば、猫はあまり鳴かず静かで、犬は飼い主への行動が健気。

 そんなイメージが、先川にもリンクしている……ように思うのだ。

 別に俺が先川の飼い主を気取っているということではなく、猫と犬の話はあくまでも例えだ。

 試験が終わった俺は、テストの難問を解くのと同じくらい悩みながらそんなことを考えていたが、結論を出してすぐに自分で否定した。

 動物へ感じる癒しに近いものを安心感として先川に感じていたというのは、当たらずとも遠からずだろうが、単純に先川かいい奴だからだと思う。

 俺の周りにいる奴にはない穏やかさがあり、他人を気遣うことができ、会話も落ち着いてできる。

 そんな先川だ。安心感を感じたり、癒しのようなものを感じても、おかしなことではないはずだ。

 アニマルセラピー説より、よほど説得力がある。

 試験は無事に平常心で臨むことができた。

 成績は限りなく上の上に近い、上の中。

 試験前に一悶着あることはこれまでにも度々あったことで、何だかんだ今回が高校で一番いい成績になった。

 成績発表日、つい空笑いを零し前島に怪訝な顔をされたが、もう済んだことだ。

 期末試験が終われば、その後に控えているのは何か。

 それは学生が待ちに待った夏休みだ。

 課題、大学の見学、アルバイト、勉強など。やることは存外多く、友人と遊びに出かけることも考慮すれば、一ヶ月弱の休みは意外とすぐに終わりを迎えてしまう。

 先延ばしにした結果、課題が終わらず徹夜で課題をする奴も多いだろうが、俺は夏休み前半には粗方終わらせている方だ。

 高校生最後の夏休みに入り、八月半ばになるまでに課題を全て終わらせた俺は、大学の見学やらアルバイトやらで、それなりに忙しい日々を送っていた。

「じゃあ山下君、あとはもう大丈夫だから。悪いけど、お昼食べたら大地のことよろしくねぇ」

「はい、分かりました」

 今日の予定は、午前中は弁当屋でアルバイト。

 午後はその弁当屋の店長の子供の遊び相手をすることになっていた。

 店長の子供、大地はまだ五歳で、一人で遊びに行かせるには不安があるが、店長は仕事があり、なかなか連れて行けない。

 そこで、同性で歳も近い俺に白羽の矢が立ったのだ。

 何故アルバイト先の子供の面倒を見る必要があるのか。

 ないと言えばないが、店長には良くしてもらっているし、毎日毎日、仕事と子育てで大変な思いをしていることも知っている。

 夏休みの一日中。実質半日くらい、ボランティアをしてもいいと思ったのだ。

 昼食は好きな弁当を無料で食べさせてもらえることにもなっているし、弁当代だと思えば悪くない。

 唐揚げ弁当を頼むと、「一個おまけしておくわね」と厨房へ入って行った。

「こ、こんにちはぁ……」

「はーい! 山下君ごめん! ちょっと出てくれる?」

 店長が厨房に行き、俺が控え室として使わせてもらっている部屋に戻っていると、店の方から声が聞こえた。

「はい」

 店長が応える声が聞こえたが、火を扱っているからだろう。手が離せないらしく、俺に声が掛かった。

 そうなるだろうと思い、俺は外していたエプロンを既に着け直し、店に出るカーテンを開いていた。

「お待たせしまし……た」

「え? 山下君……って、え、山下君?」

 夏休み前。もっと言えば、中間試験前日にも、似たようなことがあった。

 一瞬、時間が戻ったのかと錯覚した。

 俺は勿論、客の先川もあの朝と同じように、ぽかんと口を開け呆けていたから。

 半月ぶり……下手をすると半月以上見ていなかった先川は、夏休み前より髪が短くなっている気がした。

「髪……」

 どうやら、俺の思考回路は今、正常に働いていないらしい。

 そのまま思ったことが口から出てしまうなんて、大地のような子供がすることだ。

 髪について触れるとしても、それは今ではないというのに。

「へ? あ、うん。暑かったから少し切ったんだ。山下君、ここでバイトしてるんだね」

 やはり、突然髪の話題を切り出され戸惑ったようで、先川は首を傾げたが、俺の零した間抜けな発言に律儀に答え、話題を本来あるべき道に戻してくれた。

「あぁ。長いこと、ここでやってる。……注文どうする?」

「そうだったんだ。えっと、じゃあ……ハンバーグ弁当でお願いします」

「かしこまりました。店長! ハンバーグ弁当一つ、お願いします」

 何となく、同級生同士の口調と、客と店員としての口調が入り乱れるが、わざわざ指摘するまでもない。

 アルバイト先で知り合いに会えば、こうなることもあるだろう。

「なーにー? お客さん、山下君の知り合い?」

 手が空いたのか、店長が厨房から顔を出し、俺と先川を交互に見た。

「はい。クラスメイトです」

「あらぁ、そうなの。ちょっと待っててね。すぐにできるから」

 俺がクラスメイトだというと、店長は先川に笑い掛け、すぐに厨房へ戻って行った。

 先川はすぐに会釈したが、店長が早過ぎて間に合っていなかった。

 会計を済ませ、店長を待つのみとなった俺達は、自然と会話を続けていた。

「……まさか、バイト先で会うとは思わなかったよ」

「うん。びっくりしたぁ。私もさっきまでこの近くの喫茶店でバイトしてて、その帰りなんだけど、このお弁当屋さんは寄ったことなかったから一度寄ってみようと思ってて……。まさか、お弁当屋さんでクラスメイトに会うとは思わなかった」

「本当に。俺もここでバイトしてて、クラスメイトに会ったのは初めてだよ」

「あ、そうなんだ。ごめんなさい、お仕事の邪魔しちゃって……」

「いや、全然邪魔じゃないから。今日はもう終わりだし」

 何度か交わした会話の内で、先川は今が一番饒舌だった。

 それほど驚いたということなのだろう。

 かく言う俺も、今までで一番軽快に会話をしてしまっているのだが。

 長めの話を聞かされても、多少早口な話し方をされても、やはり先川との会話では不快な気持ちは少しも湧いてこなかった。

 それどころか、この偶然にどんなに驚いたか伝えようとする姿を、微笑ましくさえ思う。

 アニマルセラピーに近い感覚というのも、あながち間違いではないのかもしれない。

「はーい、お待ちどうさま!」

「あ。ありがとうございます」

 すぐにできると言った通り、店長が弁当を持って戻って来た。

「仲がいいのねぇ」

 弁当を受け取り、今度こそ会釈した先川を、店長はしげしげと眺めた。

 日本人ゆえか、先川ゆえか。どんな反応をしたものかと、やや悩んだ様子を見せた後、先川は曖昧に笑って「山下君は優しいですから」と言った。

「では、私はこれで。お弁当ありがとうございました」

「はーい。またお越しくださいねぇ」

「……ありがとうございました」

 もう一度、先川は半身で軽い会釈をし、踵を返した。

 その背中を店員らしい言葉で見送る店長の横で、俺も店員らしい言葉で先川を見送ったが、先川が残した「優しい」という言葉に疑問符を浮かべていた。

 俺には、先川に優しいと思ってもらえるようなことをした覚えがなかった。

 体育祭の帰りのことを言っているのだとすれば、俺が自己満足でしたことであり、それ以前に先川は俺があの場に居合わせたことも、あのタイミングで俺が声を掛けたことも、全て偶然だと思っているはずだ。

 誰かに優しくしているところを見たのでは、と別の考え方をしてみても、やはり俺が優しい奴だとは思えなかった。

「どうしたの? 何か悩み事?」

「先川……さんは、何で俺を優しいなんて言ったんだろうって。俺、別に優しくないですし」

 目敏い店長に率直な疑問を零すと、店長はからりと笑って、こう言うのだ。

「女は男より色々見えてるからね。山下君が自分で意識せずやっていることを、あの子はそう感じたんじゃない?」

「…………」

「まぁ、感じ方は人それぞれよ。私も山下君は優しい子だと思ってるし。ほらほら、山下君もご飯食べちゃいなさい」

 男と女の違いを出されては、俺には到底分かりそうもなかった。

 いまいち腑に落ちず、それが顔に出ていたようで、店長はそう締め括って俺を控え室に向かうよう背を押した。

「……あら?」

 促されるまま控え室に戻ろうとする俺だが、店長の声に振り返る。

「忘れ物ね。あの子のかしら……」

 店長が手に持っていたのは、日傘だった。

 今日来店した客には、主婦も多くいた。

 今帰った先川のものかもしれないし、そうではないかもしれない。

 俺は記憶を辿り、来店した瞬間の先川の姿を思い浮かべた。

「……貸してください!」

 先川が日傘を肘にかけて持っている姿を思い出し、俺は言うより先に店長から日傘を取ると、店を飛び出していた。

 左右を見回し、左手に先川の姿を確認し、小さくなった背中を追う。

 既視感があった。

 この行動を、俺は見たことがあった。

 客の忘れ物を手に走る。

 それは、俺が今追っている先川がしていたことだ。

「先川さん!」

 呼び掛ければ、先川は驚いた顔で振り返った。

 あの日、先川が呼び掛け、振り返った客のように。

「山下君? どうしたの?」

 追い掛けて来られる心当たりのない顔をする先川に、俺はあの日の先川と同じように忘れ物を差し出した。

「あ! 日傘!」

 忘れ物を差し出され、そこで自分が店に忘れたのだと思い至る、ハッとした顔。

「ごめんなさいっ。すっかり忘れちゃって。わざわざ届けてくれてありがとう」

 受け取り、何度も頭を下げ感謝するのは、あの日は先川がされていたことだ。

「間に合って良かった」

 感謝され、自然と口角が上がり、こちらの方が笑顔になってしまうのも。

 あの日は先川が。そして今は、俺が。

 先川と話して胸が軽くなるのは、先川がいい奴だから。

 あの日、先川のことが記憶に残ってしまったのは、心のどこかで何故あんなに笑顔になれたのかと、不思議に思っていたから。

 同じ立場になって、やっと理解できた。

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