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春の隣  作者: 白黒
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6話

「テストなんてこの世からなくなればいい……」

 机に突っ伏してそう零したのは、腐れ縁さながらに三年間同じクラスの前島 善人(まえしま よしと)だ。

 中間試験や期末試験のような大きな試験は勿論のこと、日々の授業で行われる小テストでも先のセリフを言うため、俺はもう聞き飽きている。

 期末試験二日前。今日と明日は午前で学校が終わるため、今は昼でも放課後だ。

 数学が不得意な前島が泣き付いてきたことで、残って勉強会をすることになったのだ。

 俺達の他にも勉強会の為に残っている奴等もいるが、真面目にやっている奴等もいれば、だらだらと談笑をして一向に教材を開こうとしない奴等もいるし、そもそも勉強そっちのけで遊びに出掛けている奴等もいる。

 俺は人並みにはテスト勉強をする方だと思っている。

 期末試験二日前に遊びに行く気にはなれない。

「さっさと教科書とノート出せ。あとテスト対策用のプリントも。今すぐ出さないなら俺は帰るぞ」

「はーい! 今出します!」

 だから、自分が勉強できる時間を無駄にされるのは嫌いだ。

 前島もそれを分かっているため、俺の言葉が本気だということも分かるだろう。

 帰ると言ったら帰る。

 俺が痺れを切らせた素振りを見せれば、前島はやっとやる気を見せ始めた。

 嫌いな勉強でやる気が出ないという前島の気持ちも分かるが、前島も俺も進学を希望している。

 あと何ヶ月か先……と考えるといまいち実感が湧かないが、入試は着々とすぐそこまで迫ってきている。

 俺の成績は上の下。良くて上の中くらい。

 心に決めた大学はまだないが、もし入りたいと思った大学が今の自分では厳しいかもしれないとなったとき、やる気が出ないなどという泣き言はいっていられない。

 夏休みの間に目星をつけた大学へ見学に行かなければならないし、実感が湧かなくても、やることはなくならないのだ。

 期末試験のテスト勉強しかり。受験勉強しかり。

「あーー、この問題何回やっても分かんねぇ……」

「その問題、そもそも使う公式を間違えてるぞ。よく問題文を読んでみろ」

「あ? あー……。あ!こっちかー!」

 自分の勉強をしながら、前島が躓いた箇所にヒントを出し、それでも分からないようなら解説を交えて答えを教える。

 それを何度か繰り返していけば、前島もコツを掴んだようで、時間を掛ければ俺の手助けがなくても自力で解けるようになっていった。

 教える行為は俺の復習にもなり、問題への理解が深まるため、嫌いではない。

 今の前島のように、教える相手にやる気があるならの話だが。

 こうやって前島に勉強を教えるのも、今年で最後だと思うとほんの少しだけ感慨深いものがある。

 無事大学に入れたのなら、制服を脱いだ一年後の俺は、どんな大学生になっているのだろう。

 将来やりたいことがあるわけでもない。それを見つける為に行くとも言える。

 将来、俺はどんな仕事に就くのか。どんな奴等と仕事をするのか。

 どんな気持ちで、日々を過ごすのか。

 あまりにも現実味が薄く、うまく想像できなかった。

「やーましーたくーん! 私にも教えて~!」

 腕に突然巻きついてきた腕への不快感の方が、今はよほど現実味があった。

 夏服の制服は生地が薄い。俺は長袖のワイシャツを肘まで折っているが、今俺の腕に密着してきた女子は半袖だ。

 素肌が晒された箇所が自然と触れてしまい、思わず眉間に皺が寄ってしまう。

 男子高校生ならどきりとするところなのかもしれないが、俺はただただ不快だった。

「くっつくな」

 相手は女子である以上、力尽くで振り払うわけにはいかないが、口調が冷たくなるくらいは目をつぶってほしい。

「そんなに照れなくてもいいじゃーん」

「私にも教えて~」

「じゃあ私も一緒にやる!」

 こちらの機嫌が降下したことを気付いていないのか、気付いている上で無視しているのか。どちらにせよタチが悪い。

 一人が許されたと思えば、二人、三人と寄って来て、自分の席ではない誰かの席から椅子を取り、俺の周りに並べて座った。

「おいおいおい。一緒にやるとか言って、お前等どうせやらねぇだろ」

 せっかくやる気を出して勉強していた前島だが、こうも騒がれては集中力が続かなかったらしい。

 口を尖らせて不満の声を上げる。

「何よ。あんたばっかりずるいのよ」

「みんなでやった方が楽しいじゃん」

「そうそう~」

 前島の言う通り、やると言うのは口だけだろう。

 教えて。と言って差し出して来たプリントは一問も解かれておらず、余白にわけの分からない落書きがされていた。

 やる気があるという奴のそれでも、教えを請う奴のそれでもない。

 教えてほしいと頼むのなら、まず自分で一通りやってみて分からないところを聞けと言いたい。

 ただ、今はどう頼まれようと教える気にはならないが。

 俺は自分の教材を適当にバックに詰め、席を立った。

「前島、分からないところがあったら連絡しろ。悪いけど、俺は帰る」

 早口にそう伝え、返答も待たず背を向けると、前島の了解という声と、女子の不満の声が聞こえた。

 引き止める声も聞こえたが、この環境下で勉強などできるとは思えないし、できたとしてもやりたくはない。

 女子の声を無視し、教室を出た。

「きゃ!」

「……!」

 教室を出て、すぐに誰かにぶつかった。

 反動でよろめいた相手の手を咄嗟に掴み、謝罪しようと口を開くが……。

「あ。山下君だ!」

 ぶつかったのは、大きな塊に属する女子だった。

「……悪い」

「ううん! 寧ろ山下君に助けられてラッキー!」

 今は特に、相手にしたくない手合いだ。

 自分で立てていることを確認してから手を離し、謝罪してそのまま距離を取りたかったが、それは難しい。

 後退することは教室に戻ることを意味し、目の前の女子と同じ塊に属する女子がいる空間に戻るということだ。

 だが、進行方向には退く気配のない女子がいる。

 どうするべきか、いい案は瞬時に浮かばず、今度は目の前の女子に腕に絡み付かれた。

「やめろ。帰るからどいて」

「えー? いいじゃーん」

 突き飛ばすことはできない。こちらの意思は伝わらない。

 腹の中から込み上げてくる苛立ちが、徐々に疲労へ繋がる。

 疲れた。そうはっきりと感じたのは、反対の入り口から友人と教室へ入ろうとする先川に、この状況を見られた瞬間だった。







 期末試験前日の朝。

 気分は最悪だった。

 昨日からずっと気分が落ちたまま。胃の中の物が一向に消化されないような、もやもやとした何かが胸の辺りにあった。

 昨日、前島の助けを借りてあの場を切り抜けることができたのは、先川が教室を出た後のことだった。

 あの場を先川に見られた。そのことが、なぜこんなにも引っ掛かるのか。

 それも分からないため、余計にもやもやしてしまう。

「はぁ……」

 溜息は自然と零れた。

 進まない足を無理矢理動かし、やっとで学校の最寄駅まで辿り着く。

 あと十分ほど歩けば、到着だ。

 それまでに少しは気分を変えておかなければ。

 今のまま学校へ行けば、普段ならしないような失態を犯しかねない……。

「……?」

 ふと、誰かに呼び止められたような気がして、足を止めた。

 名前を呼ばれたわけでもなければ、声が聞こえたわけでもない。

 しかし、何か視線のようなものを感じた気がしたのだ。

 一度足を止めた以上、感じ取ったものの正体を突き止めようと周囲を見渡してみると、一人の女子と目が合った。

「あ」

 ぽかんと口を開けそう言ったのは、どちらか。

 俺もそうだが、向こうも口に出してしまったのだろう。

 俺は相手を先川だと気付いたから。

 先川は俺を見ていたと気付かれたから。

 先川は「しまった」といった風に慌てて口元に手を持っていくが、もう遅い。

「……おはよう」

「えっと……おはよう」

 残念なことに、うまく取り繕えず覇気のない挨拶をした俺に、先川は気まずさが滲む、ぎこちない挨拶を返した。

「どうかした?」

 思い付く限りの、優しく聞こえる言い回しを選び、視線の意味を尋ねた。

 恐くならないよう。見ていたことに気を悪くしたなどと思われないよう。

 できる限りの優しい声で問い掛ければ、想定していたより力の抜けた声になってしまったが、恐い印象を与えるよりはずっといいはずだ。

「用があったわけじゃないんだけど、あの、何だか……」

「何だか?」

 要領を得ない返答に疑問符を浮かべていると、先川は眉尻を僅かに下げて、苦笑とも取れる笑い方で微笑んだ。

「疲れてそうだな、って」

「え……」

「昨日も、疲れてそうな顔してた気がしたから、気になって。今日になっても変わってなさそうだったし、明日は期末試験なのに大丈夫かなって……。えっと、用があったわけじゃなくて、本当にそれだけ。……じろじろ見てごめんなさい」

「いや……。気にしてないよ」

 先川は、何てことのないような口振りで話すが、先川が言ったことは全て的中している。

 俺はあのとき、酷く疲れたと感じていたし、今日も気分は落ちたままだった。

(……ん?)

 今日も。そう、今日も俺は気落ちしていた……。

 だが、今はどうなのだろう……。

 昨日からずっと感じていた疲労は本物だ。気落ちしていたのも、本当だ。

 しかし、今は?

(今は……)

「あ、理歌だ。それじゃあ山下君、あんまり無理しないでね」

 簡単な答えを俺が導き出したときには、先川は友人を見つけ、声を掛けに走って行ってしまった。

 それを引き止める術を持たない俺は、導き出した答えに一人で驚いていた。

「どうなってんだ……」

 胸の辺りに感じていたもやもやが、今はなくなっていたから。

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