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春の隣  作者: 白黒
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5話

「本日の調理実習は、あらかじめ予告してあった通り、中間試験の実技も兼ねています。できあがったものはそのまま昼食になるので、美味しい昼食が食べたいなら真剣に作りましょう。まず始めに……」

 体育祭から数日経ち、家庭科の調理実習。教師の説明を聞きながらも、俺は上の空だった。

『先、川さん……だよな。体育祭、お疲れ』

『うん。お疲れ様』

 体育祭の帰り、初めて先川と話をした。

 突然話し掛けた俺に返事をした先川は、首を傾げないまでも何か問いたげに俺を見上げた。

 それもそうだ。何の関わりもない男子に声を掛けられたのだ。

 自分に何か用でもなければ、わざわざ声を掛けられるとは思うまい。

 声を掛けようと作戦を立てていたわけでもない俺は、次の言葉に詰まったが、今しがた自分が体育祭という単語を口にしたことを思い出し、応援旗の話題を思い付いた。

『えっと、あの応援旗、先川さんが考えたって聞いたから。凄いなと思って……』

『あぁ、そうだったんだ。私は全然大したことはしてないんだけど。でも、ありがとう』

 応援旗についての話題を振ったのは正解だったようで、得心がいったというように先川は一つ頷いた。

『山下君も、リレー凄かったね。みんな息ぴったりだった』

『あー、まぁ。前島達に散々練習付き合わされたし』

 電車の扉が閉まり、次の駅に向かい始める。混雑した車両内。

 先川が立つことを阻止できたことで目的は達成されているが、今すぐにこの場を離れることもできないため、俺はここにいるしかない。

 ぽつり、ぽつりと、自然と会話は続いた。

 混雑し、なおかつ静かな車両内であることを踏まえたからか、声はことさら小さく、一度に口にする言葉は極めて短かった。

 当然、先川と会話をする緊張感はあった。

 吊り革を掴む手に汗をかいているのが分かったし、心臓が痛いくらいに心拍数が上がっていた。

 しかし、それは嫌な緊張感ではなかった……と思う。

 囁くような小さな声でも。単語ほど短い言葉でも。先川との会話では、不便だとは感じなかった。

 気心知れた友人でもない俺達は、相手が何を言わんとしているのかを知ろうと注意を払わなければ、察することができない。

 会話をしている以上、俺だけがしていても成り立たないことだ。

 先川も俺と同じように、注意を払ってくれていたのだろう。

 互いにそれをし合える会話は、緊張感があっても、とても心地の良いものに感じた。

 話の内容は体育祭のことが主で、取り留めのないものばかりだ。

 一つの会話が完結し、無言の時間があっても、あの状況下ではその無言もごく自然のことと受け入れることができ、嫌な間だとは感じず、寧ろその間さえ会話の一部と思えたくらいだ。

『あ。それじゃあ、私ここで降りるね』

 先川が降りるという駅に着くまで。本当にあっという間だった。

 先川が怪我をしたときには動けなかったが、今はやらなければと体が動き、俺は先川をドアまで誘導していた。

 先川が半身で頭を下げ、人混みを避けて改札へ向かう後ろ姿を、閉まったドアの窓から見送った。

 リレーで一位を取ったときのような達成感に浸っていた俺が、この電車は俺の家とは真逆に向かっていることを思い出したのは、次の停車駅を知らせるアナウンスを聞いたときだった。

「……はぁ」

「何溜息ついてんだ? まぁ面倒だよなー。特にジャガイモの皮剥き」

「は?」

 あの状況を思い出すと、妙に落ち着かない気持ちになる。

 浮き足立つ気持ちを落ち付けようとして溜息をつけば、前島に不思議がられたが、奴は何か勝手に納得したようだ。

 記憶の底へと意識を飛ばすのをやめ、真剣に調理実習に取り組むことにした。

 俺と前島の前には、野菜、まな板、包丁。

 どうやら、俺が話を聞いていない間に、俺達が野菜の下準備をすることになっていたようで、前島は俺がそれを面倒がっているのだと思ったらしい。

「ジャガイモの芽、全然なくならねぇんだけど。どうすんだこれ」

 ジャガイモの皮剥きに四苦八苦する前島は、芽の処理のやり方が分からないらしい。

 家で料理の手伝いをしない男子高校生なんて、こんなものだ。

 俺も一人で一から料理をすることはないが、皮剥きくらいは弁当屋でもやっている。

「ピーラーの、そこ。出っ張ってるところで取れる」

「ん?……おお! 取れた!」

 たった一個のジャガイモを綺麗に剥けただけで喜べる前島は、ある意味幸せな奴だと思った。

「うーん……何か薄いような、足りないような……」

「わわっ、玉ねぎ少し焦げた!」

 味噌汁を作る奴と、先に処理しておいた野菜や肉を炒める奴がいるが、そのどちらもが不穏な発言を連発している。

 せめて昼食がなくなることがないようにと祈りつつ、俺はレシピの書かれたプリントで調味料の分量を確認した。

 その後、いまいちな味付けとなった肉じゃがと味噌汁を、プリントを参考に不足していると思われる調味料を足したり、多くいれてしまった調味料の打開策を考えたり……。

 何とか見た目と匂いはそれらしくなり、これなら大丈夫だろうと皿に盛り付けていく。

 俺達がようやくその段階にたどり着いた頃には、向かいの調理台を使用する班は既に食べ始めていた。

「お、うまっ」

 向かいの班には、体育祭のリレーで一緒だった土田と、先川がいた。

 味噌汁を飲んだ感想らしく、左手で味噌汁椀を持っている。

「いやー、先川さんて料理できるんだねぇ」

 同じ班で、食事中であるから、場を楽しませよう。そんなお調子者の気配を、あいつの友人である俺は気付いた。

 先川は「そうでもないよ」と謙遜していたが、土田はいつものおちゃらけた様子で続けた。

「いやいや、できてるって! 先川さん、実はこっそり花嫁修行とかしてたりして!」

 なーんてな。そんな言葉で締めくくられそうな、軽薄な冗談のつもりで。

「あー、いやぁ、はは……。別にしてはいないけど……はは」

 友好関係が築けている相手なら、先川だってもっと適当に返すなり、その冗談に乗ってやることだってできただろう。

 相手が、初対面に等しい男子でなければ。

 先川は多分、友人でも何でもない相手に、ああいった冗談を言われることに不慣れだ。

 場を和ませようとした。ある意味では土田も気を遣ったのかもしれないが、気の遣い方を間違えている。

 困ったように笑う先川を見ると、そうさせた土田へ悪態をつきたくなった。

(あの馬鹿……)

 胸中で呟くだけに留めた悪態を、少しだけ甘くしすぎた肉じゃがと一緒に飲み込んだ。







 放課後。

 友人からの遊びの誘いを断り、俺はさっさと帰路に着いた。

 来週からテスト期間に入るため、アルバイト先の店長に電話で伝えなければならなかった。

 いつを休むか、いつから出られるのか。友人や不特定多数の人間がいる出先で、メモが必要になる電話をすることはあまりしたくはなく、家に着き次第、電話を掛けるつもりだ。

 駅ホームに設置された椅子に座り、自宅方面の電車を待つ。

 やることもなく、向かいの駅ホームを眺めていると、階段を下りて来た数人の中に、ちらりと俺と同じ高校の女子の制服が見えた。

 周囲の人物より背が低く顔は見えなかったが、階段を降りきり、それぞれが思い思いの場所へ散って行くと、その女子の顔が確認できた。

 二度あることは三度あると言うが、よくもまあ同じ場所で偶然が重なるものだ。

 回復経過が良いようで、まだ歩き方に多少のぎこちなさはあるものの、一人で苦なく歩けるようになったらしい。

 学校では友人の手を借りずに歩き、今も一人で歩いている。

 先川が、丁度俺の真向かいで足を止めた。

(……気付かないか)

 線路を挟んだ向こうの駅ホームと、こちらの駅ホームの距離からして、向こうにいる人物が誰か分かったとしても、正確な表情までは分からない。

 そうでなくとも、先川は今俯いている。

 表情が分からなくても、それくらいは目視できた。

 視線がこちらに向いていないということは、俺にも気付いていないだろう。

「……いや、ないな」

 なぜ、そんなことをいちいち考えてしまったのか。これではまるで、残念がっているようではないか……。

 俺はそれをすぐに否定した。

 体育祭の帰りに少し話をしたからといって、俺達の何かが変わったわけではない。

 今まで通り、目が合うこともなければ話をすることもない。

 俺が理由も分からず目で追ってしまう状況が、相変わらず続いているだけだ。

 数日前の一件がイレギュラーだっただけ。

 先川が乗る電車が、大きな音を立ててホームに進入して来た。

 それと同時に、先川が顔を上げる。

「え……」

 目が合った。そう思った。

 向かいにいるから、錯覚したのだ。その考えが、一瞬全く浮かばなかった。

 その錯覚も、すぐに電車に断ち切られてしまったため、我に帰るのも早かった。

 中途半端に上がり掛けた自分の手に気付き、込み上げて来る羞恥心で、顔が熱い。

 すぐさま手を下ろし、何事もなかったかのような涼しい顔を取り繕って、無心を意識して目の前の電車を睨むように見ていると……。

「……あ」

 羞恥心を誤魔化したい気持ちが強すぎて、幻覚でも見たのかと思った。

 電車に乗り込んだ先川が、広く空いたスペースの窓から、こちらを見て軽く……頭を下げたのだ。

 乗客を乗せ終えた電車は、来たときと同様に大きな音を立て、その巨体を走らせた。

 先川がこちらを見て、頭を下げた。つまりは会釈。つまりは、挨拶。つまり、は……俺に気付いたということ。

「……っ……!」

 何故だか分からない。分からない、が。

 無性に大声を上げたい衝動に駆られるのだった。

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