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春の隣  作者: 白黒
26/26

26話

 卒業式の日にまで、何故俺はこんなに全力で走ることになってしまったのか。

 マラソン大会で走った距離とは比べ物にならないくらい短い距離だというのに、同じくらいに息が切れて、喉が痛い。

 焦りから、呼吸にまで意識が回らないのだ。

「先川!」

 公園内に飛び込み、先日話をしたベンチへ目を向ければ、俺がここで待つはずだった姿が既にそこにあった。

 声を上げて駆け寄れば、ベンチに座っていた先川が俺に気付き、立ち上がった。

「山下君……」

「ごめっ……ごめん。二度も、待たせ……っ」

「大丈夫だよ。私が落ち着かなくて来ちゃっただけで……山下君? 山下君、大丈夫!?」

 早く会いに行かなければ、謝らなければという気持ちばかりが先行して、俺は思い切り噎せ返った。

 これから告白しようというのに、格好悪過ぎる。

「えっと、どうしよ……あ、水! 水買ってくるから!」

「いや、だい……大丈夫、だから」

 俺は水を買いに行くと言って走り出そうとする先川の腕を掴み、引き止めた。

 今の状況だけでも先川を困らせてしまい情けないと思うのに、水まで用意されては、恥ずかしくて告白なんてできる気がしない……。

 先川の心配げな視線を肌で感じながら、何度か深呼吸をして、息を整える。

 ようやく咳が治り、普通に話せるだろうというところまで持ち直した俺は、握ったままだった先川の腕を離した。

「……ごめん。みっともないところ見せた」

 恥ずかしさから小声で謝罪すると、恥ずかしさで正面からまっすぐ見ることはできなかったが、横目で見た先川は「ううん」と首を振った。

 そんな先川にもう一度軽く謝罪してから、俺は一呼吸置いて、気持ちを切り替える。

「まさか、こんなに早く来てくれると思ってなかった」

 俺がそう言うと、先川はぎこちない笑みを浮かべ、俺から視線を逸らした。

「……う、うん。何だか、落ち着かなかったから」

 言葉通り、落ち着かない気持ちを誤魔化すように、体の前で重ねた手の指を絡めたり、解いたりを繰り返す。

「そうか」

「うん」

「…………」

「…………」

 先川の緊張が、ただでさえ緊張している俺に伝染し、次の言葉が出てこない。

 呼び出した俺がそうなのだから、先川も口を閉じて沈黙してしまう。

「……先川」

「……はい」

 何か言わなければと口を開くが、緊張がそのまま声に乗ってしまい、先川の返答も緊張感に溢れている。

 このままではいけない。空気を和らげなければと、ぐるぐると考えるが、緊張がなくなるわけではないのだから土台無理な話だ。

 だが、せっかく先川が来てくれたのだから、いつまでもこのままではいられない。

 今、こうして先川は俺の前にいるが、この状況は出来過ぎている。

 やっぱり行けないと、先川に断られる可能性だって大いにあったのだから。

「今日、来てくれてありがとう」

 醜態を晒した後では、なおのこと。

 来てくれたこと、話を聞こうとしてくれていることに感謝しなければと思う。

 俺がそう感謝を告げると、先川は軽く首を左右に揺らし、少しだけ困ったように笑った。

「約束、したから」

 そう言う声は緊張からか、どこか辿々しい。

 俺と目が合うと、三秒と目を合わせていられず視線を泳がせてしまう。

 そんな先川を見て、ふと思う。

 先川は今何を思って、ここに立っているのだろうか、と。

 本当は、ここに来たくはなかったのではないだろうか。

 胸の中にしこりとして残った、つらい思い出を話したここへ来て、つらい気持ちを思い出してはいないだろうか。

 俺は、その答えを持ち得ない。その答えを持つのは、先川だけ。

 先川は俺と目が合うと、すぐに逸らしてしまうが、ずっと逸らしたままではいなかった。

 先川は少なからず、俺と向き合おうとしてくれている。

「……そうだ」

 俺の中で、すとんと、何かが嵌った気がした。

 緊張ばかりだった俺の中で、一つの感情が湧き上がってくる。


 好きだ。


 シンプルに……ただ、そう思った。

 ごちゃごちゃと、難しく考えようと、答えは一つなのだ。

 格好悪くても、みっともなくても。

 俺が言わなければならないのは……俺が言いたいのは……。

「……きだ」

「え?」

 たった一言だ。

 声が掠れ、言った本人である俺ですら聞き取れない声に、先川が首を傾げる。

 俺は、先川の目をまっすぐに見つめた。

「好きだ」

 何の飾り気もない三文字の言葉。

 何を難しく考えようと、俺が言いたかったのは、その一言なのだ。

「…………」

 先川は、俺から目を逸らさなかった。

 俺も、目を逸らさない。

 俺の視線から、先川は何を感じているのか。

 ぐっと唇を噛み、眉を歪めた表情は、泣くことを堪えようとしているように見えるが、裏腹に赤く染まる頬は、何を意味するのか。

「……っ……」

 先川は体の前で重ねていた手で口元を覆い、弱々しく俯いた。

 小さな嗚咽が、静かな空間に響く。

 ぽろりと、涙が零れた。

 俺はそれを、拭っても許されるだろうか……。

「……ごめん……なさい」

「…………」

 絞り出すように零された言葉に、俺は掌の中に指をしまい込んだ。

 こうなることを、考えていなかったわけではない。

 全く期待しなかったといえば嘘になる。

 しかし、想いを伝えるということは、同じ想いを返してもらえることもあれば、そうではないこともある。

 実際、俺がしてきたことだ。

 受け入れてもらえるか、拒否されるか。

 前者より、後者の方が大多数を占めていると言ってもいい。

 俺が前者になるのは、一つの奇跡なのだ。

 先川は答えを出してくれた。

 俺はそれに、「分かった」と言わなければならない。

 こんなときに……。喉が渇いて、声が詰まって出てこない。

 如月に泣かせるなと言われた矢先にこれだ。

 如月にも、先川を大事にしてる佐田にも、殴られるかもしれない。

 潔く、引き下がらなければならないのに。

 これ以上泣かせないように、先川の答えを受け入れて、ありがとう、と……笑わなければならないのに。

 未練がましい俺には、それができなかった。

 俺の目には、先川が何かを我慢しているように見えるから。

 もっと、何か言いたいことがあるように。それを、言わないように我慢しているように見えるから。

「先川が思ってること、全部話してくれないか?」

「……え……?」

「言いたいことがあるなら、全部聞かせてほしい。そうすれば、俺は……」

 諦めるから。……と。

 言い切ることはできなかったが、努力はする。

 先川が抱えているものが、俺にとって良くないことでも、受け止める。

 顔を上げた先川は、目を見張った。

 俺を凝視する先川の目から涙の雫が零れ、頬を伝う。

「……優しいね、本当に」

 そう言って、覆っていた手を離した先川は、涙を拭って鼻を啜ると、目を細めて小さく微笑んだ。

 その笑顔が、やけに綺麗に見えた。

 どうして今、そんなに綺麗に笑えるのだろう。

 先川は今、つらい気持ちになっているのではないのか……。それに……だ。

「先川、前にもそう言ってくれたけど、俺は優しくはないよ」

 先川が思っているほど、俺は優しくはない。

 現に、先川につらい思いをさせ、泣かせてしまったのは、俺なのだから。

 そう自嘲していると、先川は大きく首を振った。

「優しいよ。だって、山下君はいつも私のペースに合わせようとしてくれるから。私の話を聞いて、分かろうとしてくれる。だから……だから、私は……」

「私、は……?」

 また、先川の目から涙が零れる。

 その涙は、なんの涙なのだろうか。

 先川は今、悲しい? そうではないのなら……いや、まさか。自意識過剰すぎる。

「山下君と一緒にいるの、好きだって思うよ」

「……!!」

 相手の言葉に目を見張るのは、今度は俺の番だった。

 俺は、幻聴でも聞いているのだろうか?

 俺の願望が聞こえただけではないだろうか?

 こんな、俺に都合のいい言葉……先川が言ってくれるなんて。

「電車の中ではじめて話をしたとき、緊張したけど、話しやすい人だなって思った。それって、山下君が私のことを……相手のことを考えて言葉を交わそうとしているからだと思う」

 こんなことが、あっていいのだろうか。

 先川も、俺と同じものを感じてくれていたなんて。

「私は、いつも山下君の周りにいる人達みたいに盛り上げることはできないから、山下君には私と話す時間は静かすぎて、退屈だったかもしれない。でも、私はその静かさが嫌じゃなかった」

 俺も、同じだ……。

 俺も……その静かな時間が、嫌いではなかった。嫌うどころか、そんな時間を好きだと思った。

「時々話すようになって、隣の席になって……如月君のことがあって、もっと話すようになって。山下君と一緒にいると安心するって、思ってる自分に気付いた。一緒にいる時間が、好きだって」

 俺も、先川と一緒にいると安心する。一緒にいる時間が好きだ。もっと一緒にいたい。……そう、思っている。

「誕生日に貰ったぬいぐるみも、おめでとうって……同じ大学に行けるといいなって、言ってもらえたのも……。凄く、凄く……嬉しかった。それで、どうしてこんなに嬉しいんだろうって、考えるようになって……」

 先川はそこで言葉を切り、次々に零れてくる涙を拭い、息苦しそうに、笑った。

「山下君に誘われて……きっと、出掛ける前から何となく気付いていたんだと思う。だから、中学生の頃のことを思い出して、恐くなったんだと思う。山下君と話して、山下君に、つまらなくないって……。一緒にいたいって、言ってもらえて……。私、も……」

 次第に、先川の声に嗚咽が混じり始める。

 泣かないでほしいと思うのに、この涙を嬉しいと思っている自分もいるのだから、俺はやはり、優しい奴ではなく酷い奴だと思う。

「一緒にいたいって……好きだって、気付いた」

 泣きながら必死に話す先川を、今すぐ抱き締めたくて仕方がない。涙を、拭いてやりたい。

「でも……私、臆病だから。私なんかが、山下君の隣にいていいのかなって、不安で、恐くなる。今は大丈夫だったとしても、いつか飽きられたらって……。山下君は、たくさんの人に好かれる人だから。これからも、たくさんの人が山下君の周りに集まって来ると思う。素敵な女の子も。そんなとき、それでも私を選んでもらえる自信なんて……私には……ないから……。だから……だから私は……!」

「好きだ」

 先川が、ごめんなさいと言った意味が分かった。

 先川は自分に自信がないから、受け入れる勇気もなかったのだ。

 いつか、つまらないと言って離れていかれるかもしれないと怯えて、たとえ好きでも、相手が自分を好きだと知っても、身動きが取れずにいたのだ。

 あぁ……なんて切なくて、愛おしいのだろう。

「先川……っ」

「……えっ……」

 俺は、先川の腕を引き寄せ、思い切り抱き締めた。

「好きだ……。好き。好きだ」

 戸惑う声がすぐ傍で聞こえた。

 俺は、何度も好きだと声に出した。

 俺はこれからも心変わりしないと、どんなに訴えたところで、未来が見えるわけではない。

 未来への安心を、先川へ与えてやることはできない。

 俺が先川にしてあげられるのは、今の俺の気持ちを精一杯伝えることだけだ。

 今日も、明日も。一ヶ月先も、半年先も。

 大学を卒業しても、もっと先も。同じように、言い続けることだけだ。

「先川が不安になるなら、不安にさせる前に好きだって言うよ。言葉で、態度で、好きだって伝える。だから、もし俺にまだ望みがあるなら、チャンスをくれ」

 先川が息を飲んだ音が、自分が発した音のようにはっきりと聞こえる。

 俺の煩い心臓の音は、先川にも筒抜けだろう。

 それでいい。その方が、俺が如何に余裕がないか。どれだけ必死に、追い縋っているか、伝わるだろうから。

「俺が先川だけを見てるって、先川に自信をあげられるくらい、好きだって伝え続けるから……。一年後、もう一度答えを聞かせてくれないか?」

「…………」

 腕の中で、先川が肩を震わせている。

 涙が俺に付かないようにしようとしてか、顔を離そうとする先川の頭を包み、そっと抱き込んだ。

 俺の服がハンカチ代わりになるなら、いくらでも使っていい。

 拭ってあげたいと思っても、拭えなかった涙を拭えるなら。

「優しすぎて、心配になるよ……」

「じゃあ、側で見てて」

 不慣れな手付きながら、先川の涙が早く止まるようにと願って頭を撫でる。

 これ以上は急かすようなことは言わず、頭を撫でていると、裾を引っ張られるような感覚がして、視線を落とした。

「また一年後。この場所で……会ってくれるか?」

 言葉なく、俺の服の裾を掴む小さな手が、堪らなく愛おしい。

「……ありがとう」

 小さく頷いてくれた先川に、ほっと胸を撫で下ろした。

 まだ答えを貰ったわけではない。

 今が始まりで、これからが勝負だ。

 だが、あと少しの間だけは……このまま。

 俺は心の中で言い訳をして、もうしばらく、この幸せを噛み締めていた。


 一度目の春、先川を見つけ。

 二度目の春、想いを伝えた。

 次に迎えるのは三度目の春。


 いつかこの恋が共有できるものになったなら、四度目の春も、五度目の春も。もっと先の春だって、俺達は一緒に迎えられるだろう。


 何度でも。春を迎える俺の隣に、いつも君がいてくれますように。




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