25話
卒業式当日を迎えるまで、登校日が数日あるが、俺は今まで通りの態度を貫いた。
たとえば、ホームルームの時間のような誰の目も向かない時間。先川の視線を感じることがあった。
俺はそれに気付かないふりをした。
この中途半端なタイミングで思いを伝えても、先川が断るつもりだったとき、卒業式までは隣同士なのだから、居心地悪く感じさせてしまうだろうから。
……というのは、半分建前で、半分は俺が臆病だっただけだ。
既に想いを伝えたようなものなのだ。
もし断られたらと考えると、俺だって恐くなる。
先川に本音を明かしたとき、本当は心臓が破裂しそうなほど緊張していたのだ。
あの後、帰宅して部屋に入ったとき、如月と勝負をしたとき並みに足が震え、力が抜けそのまま座り込んでしまった。
あとから考えれば、言い逃げといわれても仕方がないことをしたとも思ったが、やってしまったことは、なかったことにはできない。
卒業式まで、俺は落ち着かない気持ちを隠し、いつも通りに振る舞うだけだ。
「好きです。付き合ってください」
卒業式が目と鼻の先まで迫ると、俺は女子から呼び出されることが増えた。
増えたなんてものではない。入れ替わり、立ち替わり。何人目か分からなくなる人数だった。
想いの程度は、それぞれ違った。
心配になるくらいに緊張して震えている奴もいれば、オーケーを貰えたらラッキー程度の軽い奴もいた。
以前の俺なら、前者はともかく後者のような奴からの告白は、ただ煩わしいだけで、冷たく拒否していただろう。
だが、今はそんなふうに拒否しようとしたとき、脳裏に先川の顔が浮かぶのだ。
心ない言葉で別れを告げられ、傷付いた、先川の顔が。
「ごめん……」
先川の隣にいたいと思うなら、俺は考えなければならないと思った。
「好きな奴がいるんだ。だから、付き合えない」
不必要に相手を傷付けるような言葉で跳ね除けるのではなく、誠意を持って、相手に向き合わなければならないと。
俺の言葉に、泣いた奴もいた。驚く声を上げた奴もいた。悲しげに笑って、それでも理解してくれた奴もいた。
「……何だか、少し変わったね」
今の山下君の方が、前よりもっと好きだよ。……そう言ってくれた奴もいた。
先川に偉そうに講釈を垂れておきながら、俺だって知らなかった。知ろうと、していなかった。
俺を、ちゃんと見ようとしてくれていた奴もいたことを。
「ありがとう」
そういう奴の言葉に、今は素直に感謝することができた。
確かに、俺も今の自分の方が、好きになれると思った。
そして、卒業式当日。
式典は粛々と進められていた。
人数の関係から、卒業証書を受け取るのはクラスの代表者のみで、他は教室に戻ったとき、担任から渡されることになっている。
長くて飽き飽きするような祝辞も、これで聞き納めと思うと、少しばかり感慨深い。
さして思入れのない校歌も、卒業式に御誂え向きの合唱曲も、こんなときに歌えば、胸にくるものがある。
歌う声に、啜り泣く声が混じっているというのも、泣いていない奴の涙を誘う要因になるだろう。
式典が終わると、俺達は各々の教室に戻った。
少し遅れてやって来た担任から、出席番号順に名前を呼ばれる。卒業証書を渡されるのだ。
そこでまた誰かが泣き、皮切りにまた誰かが泣く。
最後に担任からの言葉を以って、本当に卒業式が終了した。
担任が教室から出た後、友人同士で固まり、言葉を交わす光景が広がっていた。
俺は地に足がついていないような落ち着かない気持ちで、どこか他人事のようにそれを見ていた。
このご時世、卒業したからといって縁が切れるわけではない。
当たり前のように日々顔を合わせていた友人と、頻繁に顔を合わせることがなくなるだけ。
会えないわけではない。全員で、当たり前のように集まることが難しくなる。それだけだ。
それが……切ないのだ。
「これからも、よろしくな」
涙なのか、鼻水なのか。顔を濡らし歯を見せて笑った前島を見て、そう思った。
「前島」
「ん? 何だ?」
鼻をかみながら返された返事は、随分と間の抜けた声で、俺はつい笑ってしまう。
「色々と、ありがとな」
一度くらい、きちんと言葉にしてみようと思った。
「な、何だよ一弘、突然。……悟りでも開いたか?」
「馬鹿ぬかせ」
「あ、良かった。いつもの一弘だ」
「俺を何だと思ってるんだ」
「え? みんな大好き山下君?」
「そうか前島はそんなに俺が好きか。そうかそうか」
「うわ! いてててて! つねるなよ! 地味にいてぇんだぞ!」
まぁ、結局はこんな軽口を言い合って終わるのだが、これはこれでいいのかもしれないな。
卒業式後に打ち上げをしようと、大きな塊に属する奴等から誘いを受けたが、どうしても外せない用事があるからと断り、俺は例の公園へ向かっていた。
先川には特に時間の指定をせず、何時でもいいからと連絡を入れてある。
何時に来るか分からない先川を待つということは、何時間も待つ恐れもあるが、俺はそうしたかった。それくらいの気概でいたかったのだ。
まだ公園にも到着していないというのに、長距離を走った後のように、心臓が騒がしかった。
公園へ向かう、その途中……。
「よう」
「お前……」
突然現れた如月に呼び止められた。
今日、如月とは一度も言葉を交わしていなかった。
意図的に避けたわけではないが、如月が声を掛けてこなかったため、いつの間にかそうなっていたのだ。
俺は卒業式が終わり、この後の用事が済んだ後、如月に連絡をしようと思っていたからだ。
「待ち伏せか?」
「そんなところだ」
冗談交じりに言えば、向こうも冗談のようにそう言った。
いかんせん表情に変化がないため、冗談のような返答も本気に聞こえるのだが。
「会うのか? あいつと」
「あぁ」
「そうか」
あいつ……とは十中八九、先川のことだろう。
そのつもりで頷くと、如月はそう端的な返事をして、こちらへ足を進めて来た。
思わず身構え、如月の動向を窺う。
そして俺の目の前で足を止める……と思っていたのだが。
「……は? お、おい!」
如月は俺を通り越して行った。
呆気にとられ、数秒の間、足を止めない如月の背をつい見送ってしまったが、ハッとして呼び止めた。
「何だ?」
「いや、何だ? じゃないだろ。そうかって……それだけか? もっと、こう、何か言いたいことがあったんじゃないのか?」
わざわざ校外で俺を待ち伏せしておきながら、先川に会うかどうかの確認をしただけで立ち去ろうとした如月の真意が全く分からない。
口早に問い質せば、顔だけをこちらに向き直らせていた如月が、半身でこちらを振り返った。
「用は済んだ。お前がちゃんと、あいつにぶつかっていく気かどうか確認したかっただけだからな」
「は? 何だそれ。意味が分からねぇ。お前はちゃんと先川に会ったのか? まさか、何も言わないつもりじゃないだろうな」
俺が先川に会いにいくか、確認したかっただけ?
かっと頭に血が上った。
マラソン大会のとき、勝負を仕掛けてきたのはお前の方だろう。
それなのに、お前は先川に何も言わないのか?
俺に譲るとでも言うつもりか?
ふざけるな。そう、責め立ててしまいそうだった。
苛立ちを声に乗せ睨んだ俺に、如月は顔色を変えるどころか、満足そうに……口角を上げた。
「先川には、もう会った」
そして、その一言。
「……は?……え、会った、のか?」
「あぁ。とっくにな」
「……何だよ、紛らわしい」
一気に毒気を抜かれ脱力する俺に、如月は短く声を出して笑った。
会ったということは、如月はもう、先川に想いを伝えたのだろう。
「…………」
結果は、どうだったのだろうか。
如月の様子からして、悪い結果だったようには見えない。
気になるが、これから同じ相手に告白しようというのに、聞くのはどうなのだろうか。
先川が如月の想いに応えたとすれば、俺に想いを告げられたところで、迷惑でしかないのでは……。
「そう百面相するなよ。いい男が台無しだぞ」
「いや、誰のせいだと思ってるんだ……」
悶々と考えている俺に、飄々と言って退けた如月に、恨みがましい目を向けると、如月はまた短く声を出し、笑った。
「俺はもう、伝えたいことは伝えた。あとはお前が、あいつの不安を払ってやれ」
「……如月、お前」
「言っておくが、俺はふられたわけじゃないからな」
「は!? ……何なんだ、お前。告白したんじゃないのか? なのにふられてないとか、俺に不安を払ってやれとか……どういうことだよ」
早合点した俺にも非はあるが、如月の言い方にも問題があるだろう。
あの言い方では、自分は想いを伝えたが実らなかった。だから先川のことはお前に任せる。
そう言っていると思うではないか。
「俺は、先川が大切だ」
「……!」
飄々としていると思えば、途端にそんな気配を潜め、柔らかく、真剣な声で言うのだから、心臓に悪い。
目からも、声からも、どれほど如月が本気なのか伝わってくる。それはもう、痛いほどに。
「……けど、俺が今するべきこと、したいことは、家族の為に働いて稼ぐことだ。だから、他のことにはなかなか手が回らない」
「それで、言わずに諦めるって言うのか? だったら何でマラソン大会のとき、俺に勝負してくれなんて言ったんだ」
敵に塩を送るというのは、こういうことを言うのだろう。
如月……ライバルが自ら身を引いたのだから、俺の立場からすれば、都合のいいことだ。
しかし、俺はそんなことをしてほしくはなかった。
如月が本気だと分かっているからこそ。
俺も、本気だからこそ。
「言っただろ、先川が大切だって」
俺が如月の選択に不満を零すと、如月は意地の悪い顔で、片方の口角を上げた。
「あのとき、俺はお前に、“諦めろ”って言ったとしても同じことが言えるか……そう聞いた。そこでお前が適当に誤魔化すようなら、俺はお前に先川を渡したくないと思っていた。けど、お前は本気で俺と勝負して、簡単に諦めない意志を見せてくれた」
「な……あれは、そういう……」
つまり、こういうことか?
俺は知らない間に、如月に審査されていたということか?
「マジか……」
あのとき、口を滑らせて率直に答えて良かった。
如月に本気で妨害されたらと思うと、恐ろしくて堪らない。
だが、俺が先川に本気だと確認したからといって、如月は何故、諦めるという結論に至ったのだろう。
俺が知りたいのは、そこだ。
「……大切なのは、先川だけじゃないからな」
追及するように目で訴えれば、如月は小さく肩を竦めて、どこか気恥ずかしげに笑って俺に背を向けた。
先川だけではないとは、どういう意味か。
呆然とする俺に、如月は背を向けたまま続けた。
「先川はいい奴だ。それから、お前も。本当にいい奴だ。お前は、俺が普通の家で育って、普通に友達を作っていたなら、真っ先に友達になりたいと思うような……親友になりたいと、思うような奴だ。そんな奴と大切な奴が一緒に並んでいる光景が、俺は好きだ。自分が先川の隣に立つことより、それを見ていたいと思ったんだ」
如月の言葉に、俺は言葉が出なかった。
そんなことを考えていたなんて、夢にも思わなかった。
いい奴だとか、人がいいだとか言われたことはあるが、如月が先川だけでなく、俺まで“大切な奴”の括りに入れてくれていたなんて。
「話は終わりだ。行け」
こいつは、本当に……本当に格好いい奴だ。
終わりだと言った通り、如月は歩みを再開させた。
俺は、見習ったところで如月のように振る舞える気がしない。
「あぁ、そうそう」
離れて行く如月の背を眺めながら、なかなか動かずにいると、如月がふと歩みを止め顔だけでこちらを振り返った。
「先川、これから公園で約束があるって言ってたから、もう待ち合わせ場所で待ってると思うぞ」
「はあ!?」
如月が落とした爆弾に、俺は絶叫した。
腕時計で時間を確認すると、俺が先川に連絡を入れてから、一時間は経っていた。
「……もっと早く言ってくれよ!」
「悪い悪い。じゃあ、またな。一弘」
「……! お前、今俺のこと名前で……あ、おい!」
如月は、存外子供っぽい……いや、悪餓鬼のような一面があるようだ。
再度歩みを再開した如月に、色々と言いたいことがある。
あるが、俺が優先して今しなければならないことは、それではない。
「また連絡するからな! 覚えてろよ!」
格好はつかないが、如月の背に言い捨てると、如月は振り向かないまま、ひらりと手を振った。
「あいつを泣かせるなよ」
そんな男前な捨て台詞を吐いて。
「あいつ……次会ったら長って呼び捨てにしてやる」
恨み言を零しつつ、しかしそんな場合ではないと、俺も如月に背を向け走り出した。
「……まぁ、先川を泣かせるようなことがあったら、すぐに殴りに行くけどな。……いや」
暴力は良くないか。
笑い混じりなそんな如月の独り言を、俺が聞くことはなかった。




