24話
俺がしていることは、間違いなのかもしれない。
俺が取った行動のせいで、先川をもっと苦しませてしまうかもしれない。
それでも俺は、このまま先川を一人で帰したくなかった。
俺と別れた後、先川が一人で暗い気持ちを抱えていたとしたら?
つらい思いを誰にも吐き出せず、一人で泣くようなことがあったら?
そんなこと、絶対にさせたくなかった。
「先川、どうした?」
「どうしたって……山下君こそ、どうしたの? 私は別に、何も……」
「なくはないだろ」
先川は、なおも笑った。
こんなにもずっと笑顔でいることは、むしろ不自然だが、先川はそれに気付いていそうにない。
「私、どうもしてないよ」
「嘘だな」
「嘘じゃないよ」
「いいや。嘘だ」
へらりと笑い誤魔化そうとする先川に、俺は酷だと思いつつ、先川の退路を断つように頑として誤魔化されたふりはしなかった。
「嘘じゃ、ないよ。私……本当に……」
先川が被った仮面に、ヒビが入った。
後ずさろうとする先川の腕を掴み直し、視線を合わせる。
「理由までは分からなくても、先川が無理して笑ってることくらいは分かるつもりだよ」
俺は、それくらい先川を見てきた。
知りたいと思ってきた。
先川にとってはただのクラスメイトで、たまたま同じ大学を受けた同級生に過ぎなくても、俺にとっては、そうではないから。
「……っ……」
俺の言葉に、先川の笑顔がくしゃりと歪んだ。
笑顔を再度作り直そうとしたのだろうが、口角が上手く上がらず、失敗に終わっていた。
「……あ、の」
一度崩れてしまえば、先程までの笑顔は見る影もなく失われていく。
先川は狼狽え、言葉に詰まった。
そして俺から視線を逸らし、ぐっと唇を引き結ぶ。
「こっち」
俺は先川の手を引き、すぐ側の公園に移動した。
本当はこんな寒い中に先川をいさせたくはない。
だが、不特定多数の人がいる屋内では、先川が気持ちを落ち着けることも、静かに話をすることも難しいだろう。
「ここで待ってて。すぐ戻る」
せめてもの暖をと思い、自動販売機でペットボトルのホットココアを買い、先川の手に持たせた。
先川は代金を払おうと慌ててバックから財布を出そうとするが、俺は先川の手に自分の手を重ねて制した。
口で制しても、先川は手を止めないと思ったからだ。
「あり、がとう」
「いや。寒い場所に連れて来てごめん。少しでいいから、話をしよう」
律儀に感謝の一言を口にする先川に、俺は柔らかく、落ち着いた声色を意識して訴えた。
すっかり笑顔をなくし眉を下げた先川は、覇気のない小さな声で、「……うん」と呟いた。
それから俺は、一体どうしたのかと問い質したい気持ちを抑え、先川が自分から口を開くのを待った。
先川には、先川のペースがあるはずだ。
落ち着いて考えを巡らせて、言葉にするまでに必要な時間が。
先川が口を開くまでの数分。実質、五分と経過していない無言の時間が、十分にも三十分にも感じた。
「……大したことじゃ、ないの」
おずおずと、手探りといった様子で、先川は慎重に口火を切った。
「ちょっと、中学生の頃を思い出して、不安になっちゃって……」
「中学?」
先川は俺が渡したココアを、何度も持ち替える。
まだ、気持ちが不安定なせいだろう。
中学時代に何があったのか。嫌なことでもあったのか。誰かに、何かされたのか。
早く確かめたいと、はやる気持ちを抑え先川の言葉を待つ。
「つまらない……って、言われたの。はじめて、付き合った人に」
「…………!」
先川の言葉を聞いて、俺は頭を殴られた気分だった。
何も動揺するようなことではない。
先川にだって、付き合っていた奴の一人や二人いたとしても、驚くことではない。
俺が気にすべきなのは、そんなことではなく、そいつに言われた言葉。
「何だ、それ」
抑えようとしても、どうしても声が威圧的になってしまう。
仕方がないだろう? 過去の話とはいえ、好きな奴を侮辱されたのだから。
俺の声から、そいつに対し怒りを感じたと察したのか、先川は首を振ってまた無理に笑顔を作ろうとし、失敗していた。
「調理実習で同じ班になった男の子でね、私は家でお母さんの手伝いとかしていて少しだけ料理ができたから、教えたりしてたんだ。気さくで、明るくて、誰とでも仲良くできて。……尊敬できる人だった」
先川の口から、他の男の話……付き合っていた男の話を聞くのは、本来なら苦しいはずなのに、今は不思議と苦しくはなかった。
それは、そいつのことを話す先川が、酷く苦しそうだからだろう。
「私を好きになってくれた理由は、落ち着いてて、いい子だからだって言われた。でも、私と別れたいと思った理由も、同じだったんだって」
先川さんはいい子だけど、つまらなくなっちゃって。ごめんね。
別れを切り出されたとき、そう言って苦笑されたのだそうだ。
「仕方ないんだよ。私、面白いこと言えないし、たまに冗談通じなかったりするし。元気一杯、ってわけでもないし」
「先川」
「山下君に映画に誘われたとき、そのことを思い出しちゃって、返事が遅くなっちゃったんだ。いつもなら、思い出しても少し落ち込むくらいで、引きずることなんてないのに。どうしてそんなに不安になったのか、自分でも分からなくて。今も、分からなくて……。ごめんなさい、山下君は、何も悪くないのに……関係、ないのにね」
「先川っ」
「でも、そんな理由で断るのは駄目だと思って、勇気を出して来てみたんだ。不安で、緊張したけど。実際、一緒に映画を観て、お茶して、話をして……凄く楽しくて、不安だった気持ちを忘れてた」
やはり、待ち合わせ場所で会ったときに感じた違和感は、思い過ごしではなかった。
調理実習言われ思い出したが、今思えば、調理実習のとき土田に冗談を言われ苦笑していたのは、反応に困ったからという理由だけではなかったのかもしれない……。
先川の吐露は、懺悔のようだった。
自分を卑下する言葉を否定したくて呼び掛けるが、先川は俺と目を合わせようとしない。
聞きたくないと言うように、口を動かし続けた。
「忘れてた……けど、カップルだって言われて、一気に思い出しちゃって、恐くなった。私が一人で楽しいと思ってるだけで、山下君はつまらなかったんじゃないかって」
「……先川」
「気を遣わせちゃったんじゃないかって。こんな私と付き合ってると思われて、困らせちゃったんじゃないかって。……山下君が私と付き合ってるなんて、そんなことあるはずないのにね。私と付き合いたいと思うなんて、あるはずな……--」
「先川!!」
「…………!」
強い語気で呼び掛けてしまえば、先川はびくりと震え、口を閉じた。
大きな声を出して、ごめん。そう謝りたいが、どうしても俺はこれ以上聞いていられなかった。
先川が、自分を傷付ける言葉を吐くのを。
「つまらないなんて……思うわけないだろ。俺は先川だから、今日誘ったんだ」
俺の言葉は、どれほど先川を癒してやれるだろうか……。
「映画を観たのも、お茶して、話をしたのも、俺だって楽しかった。そいつと先川が合わなかっただけで、先川が悪いわけじゃない」
今の先川の心理状態では、俺の言葉は慰めの為だけに吐かれた言葉にしか聞こえないかもしれない。
おそらく先川は、自分に自信がないのだ。
だから、俺がどんなに言葉を並べても、そのままに受け取れないのかもしれない。
俺が本気で……本音で、ぶつからなければ。
「そいつが先川をつまらないって評価しても、それがみんなの評価じゃない。実際、俺の評価は違う。俺は……」
想いを気付かれないようにと少しでも誤魔化してしまえば、先川はこれからずっと、俺の言葉を疑いを持って聞くだろう。
だから、たとえ今気付かれても、隠してはならないのだ。
「最初、俺は先川を静かな奴だと思った。話すようになって、いい奴だと思った。不思議な奴だって。一緒にいて、安心する奴だって。先川を知れば知るほど……一緒にいたいと思うようになった」
「……っ……」
先川が、息を詰める音が聞こえた。
全部でなくてもいい。どれか一つでも先川に届けば、それでいい。
「先川は、俺と先川が付き合うはずないって言ったけど、俺はそうは思わないよ」
「……え」
「俺は……」
この言葉を口にすることに躊躇いがなかったかと聞かれれば、なかったとは言えない
それでも、俺はこの言葉を自信を持って言えた。
「先川と付き合えたら、嬉しいよ」
好き、でも。付き合ってほしい、でもない。
直接的ではないが、限りなく直接的に近い言葉。
先川には、どう聞こえた?
それはどういう意味か、と。
俺の言葉の意味を問おうとしたのか、顔を上げた先川は口を開くが、しかし何も言うことなく、閉ざしてしまった。
困惑しているだろう先川は、俺の目をじっと見つめた。
俺の言葉は、慰めの社交辞令に聞こえてしまったのか。それとも、言葉の意味を聞きたくなかったのか。
後者だったとしても、構わなかった。
先川に俺の言葉が少しでも届いたのなら。
先川から離れた奴がいるなら、先川を想う奴もいることに気付いてくれたなら。
「卒業式の日……何時でもいい。少しでいいから、時間をくれ」
その日までは、今まで通り。隣の席のクラスメイトのままでいる。
「もう一度、ここで。次は、俺の話を聞いてくれないか?」
卒業して、まっさらな関係になったとき。
そのとき、これからどんな関係になるのか。話をさせてほしい。
俺の言葉に、先川は困惑した表情のまま、微かに頷いたのだった。




