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春の隣  作者: 白黒
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2話

 前島の働きもあり、昼休みに誘いを断ることに成功したおかげで、放課後は比較的すんなりと帰路に着くことができた。

 一年生の夏休みから始め、気付けば二年近く世話になっているアルバイト先は、個人店の弁当屋。

 高校生、それも女子高生が来ることはまずない。仕事帰りのサラリーマンや、昔からの馴染みがあるご近所さんが利用するような小さな店だ。

 アルバイト先は自宅方面とは反対方面にあるため、俺は線路の上を跨ぐ連絡通路を渡り、向こう側のホームへ降り立った。

 最後尾の車両は比較的混まない車両で、時間帯にもよるが、目的地まで座っていても空席があることが多く、俺は急いで乗り込まなければならない場合でもなければ、その車両を利用していた。

 タイミング良く停車中の電車の、いつも通り最後尾の車両に乗り込み、発車時刻まで待つ。

 その間、俺と同じ考えらしい乗客が、ぽつりぽつりと乗り込んで来る。

 そろそろ発車の時刻かと、何となしに顔を上げた俺は、その人物を認識した瞬間、すぐさま膝の上に視線を落とした。

 いつの間に乗り込んでいたのか。

 同じ車両の、向かいの席。端に座る俺の斜め向かいの位置に、先川 真智(さきかわ まち)が座っていたからだ。

 何もやましい気持ちがあるわけではないが、無意識とはいえ、頻繁に先川に目を向けていると気付いた今は、多少なりとも後ろめたい気持ちが湧くというものだ。

 作った覚えのない握り拳を睨むように見つめながら、思わず動揺してしまった自分に呆れる。

(そういえば、先川のバイト先と俺のバイト先、同じ最寄りだったな……)

 となれば、同じ電車に乗る事になろうと、なんら驚くことはない。

 今日は先川もアルバイトなのだろうか。それとも、自宅もこちら方面で、もう帰路に着いているのだろうか。

 冷静な顔を取り繕い、脳内ではそんなことを考えていると、電車のドアが閉まった。

 次の駅まで、この車両に新たな乗客が来ることは、まずないだろう。

「…………」

「…………」

 先川は、とても静かだった。

 それもそうだ。友人といるわけでもないのだから、会話をする相手がいないのなら口を開く理由はない。

 そもそも、電車の中で賑やかにすることはマナー違反だ。

 大声を出そうものなら、眉を顰められること間違いない。

 分かってはいるが、その常識が通用しない人間も一部にはいるもので……。つい、今いる場所を忘れ、静かだと思ってしまった。

 先川は俺に気付いているのだろうか……。気付いているのだとしたら、俺が先川を見ていたことも気付かれているのではないか……。

 そう思い始めると気になって仕方がなく、顔を上げたくて堪らなくなったのと同時に、何か用かと聞かれたらと考えると、やはり顔を上げるべきではないと思い留まる。

 何故見てしまうのか。俺自身まだ分かっていないのだから、もし聞かれてしまったら「何となく」としか言いようがない。

 一駅、二駅、三駅……。悶々としている間にいくつかの駅を通過し、何度目かの停車。停車駅を知らせるアナウンスで、俺が降りる駅名が呼ばれた。

 ハッとして顔を上げ、降りなければと急いで立ち上がる。

 顔を上げれば、向かいの席が目に飛び込んでくる。

 頭で考えるよりも先に、降りなければと体が動き横切ったのは、斜め向かいの席。

(……いない)

 先川の姿は、もうそこにはなかった。

「――……あら? 山下君、もしかして元気ない?」

 遅刻することなくアルバイト先に到着し、いつも通り受付をこなしていた俺に、店長のおばさんが不思議そうに首を傾げて言った。

「……? いつも通りですけど……」

「そう? ならいいんだけどねぇ」

 店長の発言に俺も首を傾げて返答すると、店長は了解の返事をしつつも、「まぁ、何かいいことあるわよ」と励ましの言葉を残し持ち場に戻って行った。








「きゃああ! 遅刻ーー!」

 騒音による強引な目覚めに、俺は舌打ちしたい気持ちを大きな溜息に変え、乱雑に頭を掻いた。

 デジタルの置き時計で時刻を確認すると、普段の起床時間より一時間早い時間だった。

「おい、朝から大声出すな。頭が痛くなる……」

 寝起きの声は低く、なおかつ眠気が残ったままでは、唸るような声しか出せない。

 自分でもガラの悪い声だとは思うが、成人済みの社会人である姉からすれば、十代の弟の凄みは恐くも何ともないのだろう。

 はいはい! と、確実に右から左へ聞き流しているであろう返事をして、慌てて玄関を飛び出して行った。

 父は既に会社へ出掛け、専業主婦の母はまだ寝ている。姉が朝に弱いのは、母譲りだろう。

 父が家を出る前に朝食の準備をしようと母も奮闘しているのだが、成功確率は大目に見て五分五分といったところだ。

「ったく……」

 もう一眠りするには中途半端な時間だ。

 怒りをぶつける先を失った俺は、仕方がなく朝の支度に取り掛かることにした。

 顔を洗い、焼いたパンとインスタントのスープで適当に腹を満たし、歯磨きを済ませ身支度を整える。

 鏡に映った自分の顔には、何の感想もない。

 社会人の姉のように化粧で時間を取られることもない男子高校生の朝の支度は、しっかり目が覚めてさえいれば、あっという間に終わった。

 ゆっくりやろうと、たかが知れている。

 家にいても、数十分後には学校へ向かわなければならないとなると、何かをする気にはならない。

 朝の段階で二度も、仕方がないと思いながら行動することになるとは、寝る前は想像もしていなかった。

 二度目の、仕方がなく。俺は早めに登校することにした。

 いつもより三十分以上早い時間に乗った電車は、高校生の数こそ少ないが、親世代のサラリーマンや、真新しいスーツを着た若いサラリーマンで埋まっていた。

 OLらしき女性もいれば、私立小学校の制服に身を包んだ小学生、大学生らしき男女から、老夫婦まで。

 高校生だらけのいつもの電車での登校ではない。というだけで、学校へ向かっているのだということを忘れそうになる。

 電車を降り、今日は休日かと不安になるほど学生が少ない通学路を歩き、無事高校に到着。

 とはいえ。早く来たからといって、やることがあるわけでもない。

 暇な時間を家で持て余すか、学校で持て余すかの違いにすぎない。

 姉のように時間に追われているわけではない俺は、ことさらゆっくり自分のクラスに向かった。

 三年生の教室は三階。時間に余裕がある日はいいが、遅刻寸前の日は果てしなく遠く感じる距離だ。

 一段一段を踏みしめるように上るが、途中だ焦れったくなり、結局二段分を飛ばして上った。

 教室の扉は、どのクラスも無人を示すように閉まりきっていた。

「はよ」

 誰もいないだろうと分かっているが、気まぐれに挨拶をしながら入室してみた。

 短縮した“おはよう”という挨拶からは、やる気のなさしか感じられず、我ながら気が抜けていると思う。

 そんな腑抜けた俺だが、入室した瞬間、がらりと意識が変わった。

「……び……っくりした」

 思わず二の足を踏み、驚きの声を上げそうになるのを堪え、何とか息を吐くように零すに留めた。

 教卓がある方のドアから入室した俺を待ち構えていたのは、机と椅子だらけの無人の教室ではなく……。

「寝てる……よな?」

 たくさんの机と椅子。その内の一組の所有者である、先川だった。

 眠っているらしく、机に伏したまま動かない。

 規則的に背中が上下しているのを見る限り、眠っているということで間違いないだろう。

 三年生の一学期ということで、席は出席番号順になっている。

 先川は三列目の一番前の席で、俺がもっと大きな声で挨拶をしていれば、きっと眠っている先川の耳にも届き、目を覚ましただろう。

 なぜ先川までこんな早い時間に学校にいて、眠っているのか。今は考える余裕がない。

 物音を立てないよう、窓際の一番後ろの、自分の席へ移動する。

 椅子を引くのも。座るのも。カバンを机の横のフックに掛ける動作さえ、慎重に。

 一通り終えてようやく、落ち着いて息をつくことができた。

「…………」

 昨日の電車内と同じような状況になった。

 昨日と違うのは、先川が眠っているということ。

 寝息もほとんど聞こえず、聞こえるとすれば、時計の秒針が進む音や、遠くから聞こえる朝の練習に励む運動部の声くらいだ。

 一つ。深く呼吸をして背もたれに体を預けると、どこからともなく忘れていた眠気がやってくる。

 先川には、静かという感想を持つことが多い。

 友人と話すときの声も、授業で教師に指名され問題に答えるときの声も。笑っているときも、驚いているときも。

 うるさいと感じたことは一度もなかった。

 だが、俺が初めて先川を認識したときは、もう少し違った印象を受けたように思う。

 でなければ、目で追ってしまう理由に説明がつかない。

 もっと適切に言い表せる言葉があるはずだ。

 それを探すように目を閉じるが……。

(静か……)

 答えは見つからず、俺の意識は落ちてしまっていた。

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