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春の隣  作者: 白黒
18/26

18話

 吹っ切れたか?

 如月からそう連絡がきたのは、一週間前。

 前島に相談した翌日の夜のことだった。

 如月の連絡は、いつも簡素なものだ。

 要点、返答、感謝。それらを短く纏めた、一見味気なく愛想がいいとは言えない連絡だ。

 しかし、それを冷たいと感じず如月らしいと感じる程度には、俺は如月がいい奴であると知っているし、少なからず如月を理解しているのだと思う。

 とはいえ、分からないことは多い。

 勝負してくれないか?

 同日、吹っ切れたかと言う連絡の後、いくつかやり取りをした後にきた連絡がそれだ。

 近日中に行われるマラソン大会で、本気で走るからお前も本気で走ってほしい。

 そう言われたのだ。

 如月からそんな申し出がきたことに驚きはしたが、すぐに納得できてしまった。

 如月が何を思って俺に勝負を持ち掛けてきたのか。

 その勝ち負けによって、如月は何を得ることになるのか。

 それは如月にしか分からないことだが、俺と勝負したいと思わせるような心境の変化が、如月の中であったことは確かだろう。

 俺と如月に共通することで、如月の心境に影響を与えそうなことといえば、俺には一つしか……いや、一人しか思い当たらないが。

 その推測の真意は、如月だけが知っていることだ。

 俺は当然、如月からの勝負を受けた。

 勝った方がどうとか、負けた方がどうとか、そういう問題ではない。

 俺自身の決意、とでも言えばいいのだろうか。

 男として勝てる気がしなくても、それでも俺は本気だと。如月に、そう宣言したかったのだと思う。

 体育の授業で、如月の足が速いことは知っている。

 申し出を受けたからには、自分の実力を過信して負けるなどという無様な結果だけは避けたいと、マラソン大会当日の今日に至るまで、練習に励んだ。

 中学一年生で三位になったとき、次こそはと人知れず練習したとき以来の練習量だった。

 如月から勝負を持ち掛けられてから、連絡は取っていない。学校での会話も、如月が普段口数が少ないこともあり、一言もなかった。

 そして、いよいよマラソン大会が始まった。

 女子よりも男子の方が長い距離を走るため、数分早く男子のスタートが始まる。

 位置について。という教師の号令により、スタートの態勢に入った。

 用意……と教師の号令が続き、右隣。如月から視線を感じ横目で見れば、「覚えているか?」とでも言うような目配せをされる。

(忘れるかよ)

 そんな意を込め小さく頷き、正面に向き直る。

 そして、ついにスタートの号令が成され、俺達は駆け出した。

 スタート地点で先頭にいたことで、俺と如月は出足からトップ争いをすることになった。

 抜かされまいと互いに意識しているせいで、練習のときよりもずっと速く走ることができている。

 自分のペースを乱されているわけではない。

 その証拠に、途中で俺達を抜かした奴等もいたが、折り返し地点に差し掛かる前に抜かし返している。

 もし俺がペースを乱されているのだとすれば、それは如月にも言えること。

 相手を常に意識していても、早々にケリをつけてしまおうと闇雲に走ることはしない。

 ゴール目前の直進。そこで初めて、抜かされまいではなく、抜かしてやると意識を変えるのだ。

 暑くて、息が苦しくて、足が重い。

 マラソン大会で走る距離は、女子が4キロメートル。男子は5キロメートルだ。

 それだけの距離を、速さを求めて走るのだから、そうなるのは当然だろう。

 ついにゴール目前の直進に差し掛かり、意識を変えたのは、如月と同時だった。

 隣を見る余裕はあるはずがない。

 隣に張り付いている強い存在感が、どんなに引き剥がしたいと思っても消えることはなかった。

 ゴールテープを切ったのが自分なのか、はたまた如月なのか。

 それすらも、自分で分からなかった。

「山下! 如月! 同率一位だ!」

 タイムを計っていた教師の言葉を聞いて、そこでようやく、俺達は引き分けたのだと知った。

 この後も続々と生徒が帰って来るため、俺と如月はふらつきながらゴール付近から離れた位置に移動した。

 息は絶え絶え、足はがたがた。満身創痍とはこのことだ。

 俺もそうだが、こんなに汗を流し、肩で息をする如月は初めて見る。

「……速いな、山下」

「如月もな……」

 互いに短い賛辞を送り合い、一度視線を合わせるが、互いに何も言わず目を逸らす。

 一目で相手の思考を察する特技は、生憎と俺にはないが、一つだけ、はっきりした。

「吹っ切れたか?」

 一週間前、如月が俺に向けた言葉をそのまま送り返す。

 如月は、何かに悩んでいたのではないかと、思ったのだ。

 俺と勝負することで、それを解決する糸口が見付かると思っていたのではないのかと。

 横目で如月に目を向けると、如月も同じように俺を横目に見て、「あぁ」と一言、零した。

「お前にとっては、いいとは言えないかもしれないけどな」

 そう続いた言葉に、俺は驚かなかった。

「そうか」

 俺にとっては、いいとは言えない。

 連想されるのは、どう思考を巡らせても一人のことで……。

 そうだろうな、と。

 当然のようにそう思った。

「……聞かないのか? 俺が勝負を持ち掛けた理由」

 初めから明かさなかったことから、如月はあえて理由を話さないのだと思っていたが、そうではないらしい。

「あーー。……まぁ、言わずもがな、っつーか」

 改めて、聞いていいのだと言われても、勝負が終わり落ち着いた今となってしまっては、今更追及するのは照れ臭い。

 俺が確信を持っている推測が、実は的外れだったとしても、それならそれでいい。

 俺が本気だと身を以て宣言したかっただけなのだから。

「そうか……なら」

 だが、的外れでもいいと思っていた俺の推測が、全くの的外れではないと、次の如月の言葉が確信を与えてくれた。

「俺が勝っていたとして、お前に“諦めろ”って言ったとしても……同じことが言えるか?」

 そう言った如月の目は、怒りを向けられているのかと錯覚するほど威圧的に見えた。

 声は低く、細めた目で俺を見据える如月は、今の今までとは雰囲気がまるで変わっている。

「え、無理」

 気圧される、と思った。しかし俺の口から出たのは、“諦めろ”に対する率直な意見だった。

「…………は?」

「あ…………」

 如月が問いたかったのは、それに対する答えではなく、“諦めろ”と言われても、理由を聞かないなどと悠長なことを言っていられるのか、ということ。

 如月の問いに対しての答えとしては、俺の答えはややずれていると気付く。

「間違え……いや、間違えてはないな」

 すぐに訂正しようとして、やめた。

 どのみち最終的に行き着く答えはそこなのだから、あながち間違いではないのだ。

 あえて勝敗の意味を聞かなかった理由を上げるとすれば、如月が勝敗の結果で俺に何かを命令してくるとは思わなかったからだろう。

 それを伝えるべきかと思案していたときだ。

「……っく」

「……!?」

 俺の返答の何が面白かったのか、如月が小さく吹き出したのだ。

(わ、笑った……)

 如月だって、面白ければ笑うこともあるだろう。

 だが如月の笑顔といえば、苦笑のような、何か思うところがあるのだろう笑み、という印象がある。

 しかし今の如月の笑みは、ただ愉快だと言うような笑みだった。

「お前のそんな顔、初めて見た気がするわ……」

「そうでもないけどな」

「いや、そうでもなくはないだろ。学校でそんなにお前の表情筋が動くところなんて見たこと…………」

 驚く俺に飄々と言って退ける如月に物申そうとして、学校以外ならどうなのだろうかという疑問を抱いた。

 学校以外といえば、自宅やアルバイト先といった、俺の知らないプライベートての顔ということなのだが……。

 家族と過ごすとき、アルバイト先で仕事に励むとき、誰かと遊ぶとか、連絡を取るとか……そういうとき。

 如月はどんな表情でいるのか……誰に、どんな表情をさせられるのか……。

「お前……まさか」

「さぁ、どうだかな」

「いやいやいや」

 あぁ……。追及するのは照れ臭い、なんて思わなければ良かったかもしれないと、穏やかな顔をする如月を見ていて思った。

「おーーい! 何二人で喋ってんだよ! 俺も混ぜろーー!」

「うぐ! ……っ前島、この野郎!」

 俺と如月の会話に、突然俺にのしかかるという形で前島が割り込んできた。

 今ゴールしたらしく、ぜえぜえと首元に熱い息がかかって気持ちが悪い。

「お前等速すぎんだよ! くそーー!負けたーー!」

「前島! ちょ、離れろ! 息がかかって気持ち悪い!」

「じゃあ、俺行くわ」

「は!? おい、如月!」

 前島にじゃれつかれ、如月にそそくさと離脱され。

「あーーっ、つ、疲れたあぁあ」

「……っ! お前もか土田!」

 遅れてゴールした土田にも前島と同じことをされ、如月を引き止めることはできなかった。

「お前等なあ!」

 二人まとめて引き剥がし、なおも纏わり付いてこようとする二人を避けるのに必死で、俺は気付いていなかった。

 馬鹿みたいにじゃれる俺達を見て、如月がまた、笑っていたことに。

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