16話
先川と如月が買い出しに出掛けて、しばらく。
二人は、先川が宣言した二十分を切って帰って来た。
先川は買ってきた菓子を待機スペースで詰め、如月は客の対応に戻った。
午後の集合時間にやって来なかった女子二人は結局最後まで来ず、文化祭終了後に担任から説教を受けていた。
文化祭を回ることに夢中で、すっかり忘れていたらしい。
人手不足のせいもあり大変な思いをした前島達は、勘弁してくれと苛立った声で不満を零していた。
人手が足りていたなら、先川と買い出しに行く相手は如月ではなかったかもしれない。
俺は前島達とは違った苛立ちを覚え、そんな自分が酷く嫌な人間に思えて仕方がなかった。
如月に苛立っているわけではない。
先川に苛立っているわけでもない。
だが、胸の中のざわつきは、どうしても収まらなかった。
スーツはクリーニングに出してから返すと言った如月から、そのままでいいと受け取ったとき、「何かあったか?」と聞かれ、情けないやら恥ずかしいやら……。
素知らぬ顔で何でもないと返したが、如月には通用しなかっただろう。
それでも無理に聞こうとせず引き下がってくれた度量の広さに、俺は更に自分が情けなく思えてしまうのだ。
先川は何故、佐田の同行を断ったのだろう。
二人きりでどんな会話をしたのだろう。
如月は、先川をどう思っているのだろう……。
そんなことばかり考えては、自己嫌悪していた。
「なぁ、一弘。何かあっただろ」
休日。前島と出掛け、ファストフードのチェーン店で昼食を摂っている最中、前島が断定的にそう切り出した。
何を突然……と思ったが、すぐに考えを改める。
前島なら、俺の異変に気付いていても何もおかしくはないからだ。
「別に何も……--」
「ないわけねぇだろ。友達なめんな」
つい反射的に誤魔化そうとすれば、すぐさま待ったをかけられた。
目を合わせれば、いつものどこかおちゃらけた気配は鳴りを潜めている。
前島には、本当にいつも助けられている。
自分の中だけにしまっておこうと決めたのは俺だというのに、こうして気付いてもらえたことを嬉しいと思ってしまうのだから、俺は勝手だ。
実名は出さずとも相談はできるかと、俺はしばし沈黙した。
「……前島」
「おう。何だ?」
どこから話せばいいか……。他言したくない気持ちが出てか、思った以上に小声になった俺の声に合わせ、前島の応答も小さくなる。
意を決して、まず一言。
「俺って、格好悪いなと……」
「よーし。喧嘩なら買うぞ。たまにはぶつかり合うことも必要だよな」
「いや、最後まで聞けよ」
思ったんだ。……そう言い切るより先に前島が食って掛かってきたため、開始早々話の腰が折れた。
続けていいか?
よし、話せ。
目だけで確認をし合い、俺は先急いで結論を口にしたのが失敗だったのだと、まず事の経緯を語る上で最も重要なことを言うことにした。
「文化祭のときは誤魔化したけど、実は好きな奴ができて……--」
「好きな奴ができた!? 一体誰……--」
「おい待てふざけんな声がでけぇんだよ」
さっきまで、気付いてもらえて嬉しいと思っていた俺の感動を返せと言いたくなった。
驚くのは構わないが、こうも大声で驚かれては、いつ誰に知られるか分からないと慎重なり、俺が小声で話している意味がない。
早口で注意し、前島の口を急いで塞ぐ。
手に力が入りバチ! と音がしたが、それくらい必死だということで許してほしい。
「……静かに聞けるか?」
そう確認すれば、前島は二、三度、頷いて指でOKのジェスチャーをして見せた。
若干の不安は残るものの、聞いてもらう立場の俺が大きな態度でいるわけにもいかない。
前島の理性を信じ、俺はゆっくり手を離した。
「で? 誰なんだよ、好きな奴って」
俺の言葉の通り、小声になった前島だが、やや身を乗り出し気味なのは小声でも俺が聞き取りやすいようにする為なのか、聞きたい気持ちがはやるためか……。
細かいことを気にしても仕方がなく、気を取り直し、俺は口を開いた。
「誰かっていうのは、ひとまず置いといて……。まぁ、何だ……」
いざ話すとなると、内容が内容なだけに気恥ずかしさが出てきて、口が思うように動かない。
「最近そいつのこと好きだってことに気付いて、それから色々と……ぐだぐだ考えることが増えて、そいつと他の奴が最近、仲が良くて……」
同時の状況から対象者を特定されないよう、しどろもどろになりながらも、それらしく纏めていく。
先川だけでなく、如月のことも知られるわけにはいかなかったからだ。
「おおお……恋愛っぽい。マジで恋愛っぽい。じゃあその、好きな子のことは仮にAちゃん、他の奴はB君として。それで?」
幸い、前島は対象者についてピンときていない。
「……Bは、凄い奴でさ。家族想いで、気が利いて、心が広くて……。大変な思いしても自分で乗り越えててさ。男として、格好いい奴」
「ふむふむ」
「BはAのことをどう思ってるのか分からねぇけど、誰よりも気を許してるのは確かだし……。二人になるタイミングもあって、どんな話してたんだろうとか気になっちまって。そんなこと考えてる自分が情けないっていうか、小さいっていうか……」
話せば話すほど、言いたいことが纏まらず、ただの弱音になっていくが、とどのつまり……俺が言いたいのはこれだろう。
「男として何もかも、Bに負けてるなって、思ってさ……」
先川と如月の仲に嫉妬してしまったから、強く感じた劣等感。
如月が先川を好きになってしまったら……先川を、好きなのだとしたら……俺が勝てる気がしない、と。
「それで、そんなこと思ってる自分が格好悪いって?」
直球な言い回しで俺の話を纏めた前島に、「嫌な奴だなとも、思った」と付け足す。
前島は腕を組んで唸ると、大きく首を傾げ……。
「それ、そんな駄目なことか?」
心底、不思議。そう言いたげに、前島は片眉を上げた。
「一弘は、そのAちゃんが好きなんだろ? 」
腕を組んだまま肘をテーブルに付き、先程とは違い落ち着いた様子で身を乗り出した前島の目は、真剣だった。
「あぁ」
好きなのかと問われ、そうだと答えるのは照れ臭くもあったが、その問いの答えに迷いはなく、深く頷いた。
ここで濁してしまったら、俺は自分から如月に白旗を振るのと同義だと思った。
勝負をしているわけではないのだが、気持ちの問題だ。
俺が迷いのない返答をすると、前島は椅子に座り直し、肩を竦めてへらりと笑った。
「だったら他の男と仲良さげにしてるの気になるのは当たり前じゃん。情けないとか、格好悪いとか思うことねぇし、嫌な奴だなんて思う必要は全然ねぇよ。一弘は、ただ普通に恋愛してるだけなんだから」
「恋愛してる、だけ……」
「そうそう」
前島の言葉は真っ直ぐだ。
だから、一言一言が頭に入りやすい。
その言葉を聞いていると、自分が先川に恋をしているのだという気持ちが、より実感できた。
「それに、そのBに引け目を感じる必要だってねぇだろ。そいつがどんなに凄い奴だって、格好いい奴だって、一弘がAちゃんを好きなら、それでいいんじゃねぇの? 恋をするのは自由なんだからさ」
「前島……」
「…………な、なーんて!」
言ってみたりして!
謂わば恋愛の相談に真剣に答え、少々臭いセリフを口にした気恥ずかしさからか、冗談めかすような言い回しで締めた前島の顔は、酔っ払いのように赤くなっていた。
恋をするのは自由。誰を好きになるかも、同じ相手を好きになったのが誰でも。
俺が先川を好きになったことは、間違いではないのだ。
好きな相手の一挙一動で嬉しくなってしまうのも、そいつと誰かの仲に嫉妬してしまうのも。
それは、俺が恋をしているから。抱いて然るべき感情なのだ。
「前島……」
「ん?」
「助かった」
「おう!」
前島のおかげて、自己嫌悪する気持ちが随分落ちついた。
簡素にだが礼を言えば、前島は歯を見せ子供っぽく破顔した。
「まさか、一弘が恋愛でそんなふうに悩むなんてなぁ。あんだけ女子に告白されてるんだから、今までも誰かと付き合ったことくらいあるだろ? それが何で今更こんなに悩むかなぁ」
飲み掛けのコーラで喉を潤して、そう零された前島の疑問に、俺は一つ重大な事実に気付き、際限まで目を見開いた。
告白はたくさんされてきた。
綺麗と言われている奴。可愛いと言われている奴。元気な奴から、お淑やかな奴まで、色んな奴に。
だが、俺はそのどの告白にも、決まって首を横に振っていたのだ。
そいつ等を好きだと思ったことが、なかったからだ。
それはつまり……そういうことだ。
「もしかして一弘、これが初恋だったりしてな! なーんて、高校生にもなってそんなことあるわけな、い…………え?」
「…………」
そんなことあるわけないよな。そう続くはずだったのだろう言葉を不自然に途切れさせ、前島は目と口をぽかんと開き、俺を凝視した。
「え!? マジかよ一弘! お前、高三にしてやっと初こ……--」
「やめろ黙れ頼むから」
先ほどのように前島の口を塞ぎながら、俺は自分の顔が熱くて堪らなかった。
まさか……高三にしてようやく、初恋を迎えるなんて。
俺が一番驚いていると言ってもいいくらいだ。
「んぐっ……ぷは! おいこら一弘、口と一緒に鼻を塞ぐんじゃねぇよ。息できねぇだろが!」
「悪い悪い」
「全く照れ屋さんめ……ん?」
俺の手を引き剥がし、豪快に息を吸った前島の小言におざなりな返事をすると、呆れた顔の前島が何かに気付いたらしく、俺の背後の注文カウンターへ目を向けた。
「あ、やっぱり。あれ佐田さんだ」
「……!?」
前島が目を向けた先には、丁度注文した商品を店員から受け取っている佐田がいた。
「……ん?」
「…………」
「……え? え、一弘、マジで? え……。マジで!?」
「ちげぇよ! ちょっと口閉じろ馬鹿野郎!」
如月の件で失敗したと感じていたが、それよりも今の方が、よほど失敗したと言えるのかもしれないと、こちらに気付いた佐田と目が合った瞬間に思ったのだ。




