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春の隣  作者: 白黒
12/26

12話

 ちょっと付き合ってくれないか……?

 俺と先川にそう言った如月だが、どこか別の場所へついて来てほしいということではなく、聞いてほしい話があるということだそうだ。

 長く時間を取らせる気はないからと、俺と先川が駅に着くまでの間という制限を如月が自分に課したことにより、三人で下校する形となり、今現在。

 俺と先川は、如月が倒れた理由と、倒れるまでに至った経緯を聞かされていた。

 如月が倒れたのは、寝不足と疲労からくる貧血のせいだったそうだ。

 何故、そんな事態になってしまったのか。

 その最大の原因は、如月の家庭環境にあった。

 日本人の母と、ヨーロッパ系の父を持つ如月は、中学二年生の妹と四人家族。……だった。

 過去形なのは、既に両親が離婚しているからである。

 離婚原因は、ひとえに父の暴力にあったそうだ。

 元々気性が荒いところがあった父だったそうだが、如月が中学生になった頃から、徐々に酷くなっていったのだという。

 躊躇なく罵声や怒声を上げるようになり、暴力を振るい始め、日々生傷が絶えなかったそうだ。

 当時まだ中学生だった如月は父の支配に対抗する術を持っておらず、母と妹の分まで殴られるという方法でしか、母と妹を守ることができなかったのだという。

 如月が高校生になりアルバイトができるようになると、父は仕事を休みがちになり、如月に生活費のほとんどを賄わせていたらしい。

 母もパートで働いてはいたが、如月がアルバイトで稼げるようになった頃から父はギャンブルにも手をつけるようになり、母から金を巻き上げるものだから、手元にはほとんど残らない。

 学校に通い、放課後は寝る間も惜しんでアルバイトに精を出し、家では母と妹に危害が及ばないよう気を張る生活を続け……。

 毎日毎日、気が休まる日はなかったと、如月は語った。

 このままでは、いつ誰に父が借金をするか分かったものではないと、三年生になる今年、如月はついに行動を起こした。

 自分が父に暴力を振るわれている場面を隠し撮りし、「助けてくれ」とタイトルをつけて父方の祖父母に送りつけたのだ。

 祖父母は激怒し、父を連れ戻しに日本まで乗り込んできたというのだから、その行動力には恐れ入る。

 それからというもの、これまでの苦労は何だったのかというくらい呆気なく離婚が成立し、父は母国へ強制帰還させられたそうだ。

 母方の祖父母も、娘と孫を酷く心配し、快く迎え入れてくれたらしい。

 もっと早くこうしていればという後悔はあるが、あのときはあれしか方法が思い浮かばず、誰かが味方になってくれるという考えに至らなかったのだと話す如月の声は、話すだけで疲れを感じているかのように、力がなかった。

 それだけ、極限状態だったということなのだろう。

 父との離婚が成立した後は、引越しや転校といった諸々の手続きや作業に追われ……。

 ようやく一段落し、引越し先での生活にも慣れてきた矢先。

 緊張の糸が切れたのか、急に目眩がしたかと思うと、そのまま意識を失ってしまったのだという。

 それが、如月が倒れた全容だ。

「色々と余裕がなかったからな。前の学校では誰とも深く関わらずに過ごした。転入したてのとき、しつこく話し掛けてくる奴等を突き放したのも同じ理由だ。まだ精神的に余裕がなかったし、今の学校でも誰かと深く関わるつもりはなかったしな」

 重い話のせいか、歩みが遅くなる先川の歩調に合わせると、話題によってはのんびりと散歩でもしているようだ。

 如月の話を聞き、先川は悲しげに眉を歪め、何も言えずにいた。

 不用意な同情は安っぽく聞こえるもので、その境遇の人でなければ、本当に共感することはできないだろう。

 大変だったね。という一言も、相手の感じ方によっては中身のない言葉に感じてしまうこともある。

 だが、同じ境遇でなくとも、想像することはできる。

 何と返そうか悩んでいるらしい先川も、きっと想像したのだろう。だからこそ、こんなにも苦しげなのだ。

 それが伝わったのか、如月は先川に「泣くなよ?」と言って苦笑した。

 場違いにも、苦笑とはいえ笑った顔を初めて見たと、俺は一人驚いていた。

「今日はお前等に、礼を言いたかったんだ。お前等が昨日のことを黙っていてくれたおかげで、騒がれずに済んだ。助けてくれたことと、黙っていてくれたこと。礼を言うよ」

 歩みを止め、俺と先川に深く頭を下げた如月に、先川は慌てて首を振った。

 自分達の判断で、良かれと思って黙っていることにした俺と先川だったが、結果として如月の為になったと分かり、安堵する。

「体調は大丈夫なのか?」

「あぁ。病院で検査した結果も問題なしだった。よく寝たからか、すっかり快調だ」

 気に掛かることは多いが、昨日の一件に関わったこともあり、まず如月の体調が気掛かりだった。

 今日一日の様子からして問題はないのだろうが、本人の口から確かめなければ、ただの推測でしかない。

 尋ねてみれば、如月は軽い口振りで肩を竦めた。

 家庭の話をしていたときも、今も、声のトーンはどちらかといえば低いのだが、元々そういう落ち着いた気質なのだろう。

 表情を見て声を聞く限り、今の心情は穏やかなのだろうと窺えた。

「色々と大変なんだろうけど、とりあえずは回復したなら良かった」

「あぁ。ありがとう」

「気にするな」

「そういうわけにもいかないさ」

「まぁ、そうか」

「そうだ」

 如月とのやり取りは、佐藤と話している感覚に近く、初めてこんなに言葉を交わしたが、気が合いそうだという印象を受けた。

 俺と如月の会話を聞いて、如月が今は落ち着いているのだと分かったらしく、先川はほっと息をつき、頬を緩めていた。

「お前等には迷惑掛けたし驚かせたけど、俺にとっては回復できるいい機会だった。これから、またバイトで忙しくなるしな」

「え……。ま、また寝ないでバイトするの?」

 気を緩めたばかりの先川だったが、如月の発言でまた頬を強張らせる。

 心配げに様子を窺う先川に、如月は「いや……」と緩く首を振った。

 父の問題が解決し、母方の祖父母の家に引越したとはいえ、金銭的に余裕があるわけではない。

 できるだけ祖父母の負担にならないよう、妹の学費や生活費の為にアルバイトは続けていくのだという。

 さすがに今までのようなスケジュールでアルバイトをすることはないが、それなりに忙しいアルバイト生活になるそうだ。

「だ、大丈夫……なの?」

 事情が事情なだけに、無茶をするなとも言いづらかったのだろう。

 そう短く尋ねた先川に、如月はまた一つ苦笑した。

「いい奴だな、お前等」

 お前等……ということは、先川と、俺も含まれていると思っていいのだろうか。

 一段と小さな声で呟かれたその言葉は、俺達に聞かせようとしたというより、独り言のように聞こえ、触れるべきか触れざるべきか、判断に難しい。

「大丈夫だ。母親は引越しの関係で前のパート先は辞めたけど、また新天地で一から頑張ろうって意気込んでる。妹も、家のことは率先して手伝ってくれている」

 思わず思案してしまったが、悩む素振りは見せていないつもりだ。

 それでも俺と先川の反応を待たず続けたということは、独り言だったと捉えていいのだろう。

「そっか。それなら、大丈夫そうだね」

「あぁ。じゃあ、時間取らせて悪かったな」

 倒れた理由も話し終え、礼も言い終え、如月の用件は全て終了したようだ。

 歩みを再開させれば、あと数分で駅に着く。

 俺と先川が帰路につけるよう、先陣を切って歩き始めた如月に俺と先川も続いた。

「母親の仕事先、目星は付いてるのか?」

 話が終わったからとはいえ、無言で歩くのも味気ないかと思い、話を振ってみる。

 俺の母は専業主婦だが、一時期はスーパーでパートとして働いていたこともある。

 もし、またパートとして働くなら、そういうところが無難だろうと軽い考えで尋ねたのだが、如月は言い倦み、空に視線を投げた。

「……いや、まだ。穏やかな性格で、ドジな面がある母親だからな……。俺も母親に合いそうな仕事先を探してみようと思ってる」

「なるほどな……」

 如月は本当に家族思いで、母思いな奴だ。

 如月同様、如月の母も父の件で散々心労を溜めに溜めてきたはずだ。

 これからは、余計な心労を掛けさせたくないと思っているのだろう。

 引越す前もパートとして働いていたと言っていたが、性に合わないながら無理に働いていたのかもしれない。

 穏やかな性格の人が働いて心労が溜まらない仕事となると、何があるだろうか。

「……あの」

 スーパー、ファミレス、雑貨店……。

 穏やかな性格で性に合う仕事で何があるか考えていると、遠慮がちに先川が手を挙げた。

「私、喫茶店でバイトしてるんだけど、店長が新しい店員さんを募集するって言ってて……。良かったら、どうかな?」

「喫茶店?」

「うん。穏やかなおじさん、って感じの店長が経営してる喫茶店なんだけど、もう一人働き手が欲しい、って言ってたんだ。お客さんも穏やかな人が多いから、大丈夫なんじゃないかと思うんだけど……」

 先川の提案を聞き、名案だと思った。

 一度しか見たことがないし店内に入ったことはないのだが、先川が働く喫茶店は老舗だろうという外観で、おそらく昔馴染みの客が足繁く通う店なのだろう。

 そういう場所なら、穏やかな新人の店員を優しく見守ってくれるかもしれないと思った。

 それに何より……。

「おま……。先川が仕事を教えてくれるのか?」

 如月の言葉に、俺は心を読まれたのかと、どきりとした。

「全部をってわけじゃないけど、店長が言うには、そうみたい。上手く教えられないかもしれないけど……」

「そうか……。それなら、頼みたい。ちゃんとした返事は母親に聞いてからでいいか?」

「分かった。じゃあ、私も店長に話しておくね」

「頼む」

 先川がいるなら安心だ。と思った俺だが、如月もそう思ったらしい。

 昨日と、今日。如月が先川と関わり、言葉を交わしたのは数える程度しかないが、先川ならと思えるくらいには、信頼できると思ったのだろう。

 それは、とてもいいことだ。俺もそうなればいいと思った。

 だというのに、何故だろう……。

 今、酷く胸がざわついた。

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