短編『自分色ストレンジャー』
――これはたぶん、10年後くらいの未来のお話です……
私のバイト先は、今時珍しい店舗型のブランドショップだった。試着用のバーチャルモニタもない。コーディネートAIもない。オーナー兼店長の男性と、バイトの私だけ。まるで平成時代のようなショップだった。
まあ、ギリ平成生まれの私にとっては、慣れないけれど懐かしさを感じる……そんなお店だ。
もっとも、店長には懐かしさの「な」の字も感じないけれど。
「もう、なんなのかしら、あの女子! 自分のオシャレぐらい、自分で言いなさいってーの! ふざけちゃうわねぇ!」
店の奥で在庫整理――これもまた平成的だ――をしていると、店長がプリプリと文句を言いながらやってきた。
ド派手なシャツにメガネ、真っ赤な口紅をさしたひょろっとした男性だ。かつて流行った『オネエ』というものらしい。性的マイノリティではなく、そういう芸風とのことだった。
これはこれで、時代の十年先を行っているのではと私は思っている。
「どしたんですか、店長?」
「もう、聞いてちょうだいよ!」
店長は腰に手を当てながら、
「今来たお客さんの女子なんだけど、自分は一切しゃべらずに、スマホに全部しゃべらせてるのよ! アタシが『お好みは何ですか?』って聞いても、しゃべるのはスマホばっかなのよ! 本人は黙りでねぇ!」
「あー、なんだか最近増えてるみたいですね、それ。リアルの会話までコピロボにやらせる人が」
「コピロボ? なんなのよぅ、それ?」
キョトン、とする店長。
え? 知らないんですか?
「スマホのコピロボ・アプリですよ? 店長、使ったことないんですか?」
「ぜーんぜん」
「あーなるほど。だからこのお店って、SNSとかで全然出てこないんですね」
コピロボ・アプリ。
それは、かつて平成時代の終わりくらいに開発されたという、画期的なスマホアプリだった。
当時、SNSがあまりに氾濫する中、主に学生達の多くが、その閲覧や返信に膨大な時間を取られてしまっていたらしい。
そうなると、当然、勉学はおろそかになるし、睡眠時間も激減する。大きな社会問題だ。
そこで開発されたのが、『コピロボ・アプリ』だった。
機能はシンプル。自分の代わりにSNSをチェックし、自分の代わりに発信や返信をしてくれるというものだ。
人工知能によって持ち主の思考パターンを深層学習し、「この人だった、こう返信するな」とか、「この人だったら、この写真をこう言って発信するな」など、まさにSNS上で『もう一人の自分』をしてくれるという画期的なアプリだった。
「ほら、私も使ってますよ」
私はスマホの画面を見せた。私の代わりとして、スマホの中の『もう一人の私』が、友達のつぶやきに返信したり、SNSの投稿にイイネしてくれていた。
「へぇー、すごいわねぇ。これほんとに、このアプリが返信してるの? あなた自身がやってるみたいじゃない?」
「本当にAIがやってくれてるんですよ。私だったらこう返すなー、って思ってるのと、全く同じ文面を考えて返してくれるんですよ」
「ふーん。あ、でもこれ」
そこで、店長はニンマリと笑いながら、画面上のある一文を指さした。
「ほら、このセリフ。ちょっと良い子ちゃんぶってるんじゃない? あなただったら、ポロッと本音言っちゃいそうじゃないの?」
「う、ま、まあ、そうですね」
あはは、と私は苦笑い。
「AIのパラメータって、自分でいじれるんですよ。ちょーっと、理想が入っちゃってるかも、ですね……でもでも、あんまり弄ってませんよ! いじり過ぎちゃうと、自分じゃないみたいな性格になっちゃいますから!」
「うふふー、まあ、乙女なんてそんなものよね。でも、それで合点がいったわ」
「何がですか?」
「さっきの女子のことよ。本人は根暗で地味で、もうほんとに『おブス』って感じなのに、スマホの方は聞くからに明るくて可愛いギャルっぽい感じだったのよねん」
「うわー、それ、すごいパラメータいじって……」
そこまで言いかけ、私はハッとなった。
店長の向こう側に、制服を着た女の子が立っていた。ぼんやりとした目で、こちらを見つめている。
ていうか店長! まだその子、帰ってなかったんですか!?
「え? まだ服見てるわよん?」
「それを早く言ってくださいよ!」
私は血相を変えた。店長が言った『根暗』とか『地味』とか、あまつさえ『おブス』というセリフが、間違いなく聞かれていたからだ。
「あ、ご、ごめんなさい、お客様! い、今のはその……」
あわてて言い訳しようとした私だったが、しかし彼女の反応は予想外のものだった。
彼女の顔を彩っていたのは、なんと『笑顔』だったからだ。
「……うわ、こわ」
聞こえないように口の中でつぶやく。
正直、店長が言うように根暗で地味でおブスと言われても仕方がないような雰囲気の女の子だった。高校生ぐらいだろうか。別に薄汚いわけでも、髪がぼさぼさなわけでも、顔が整っていないわけでもない。美人ではないが、きちんとすれば十分に愛嬌がある顔立ちだろう。
けれど、雰囲気がダメだった。私のボキャブラリーでは上手く言えないが、姿勢というか空気感というか、とにかく反射的に嫌悪感が湧いてくるような、そんな『何か』が彼女から漂っていた。
彼女は無言のまま、手に持ったスマホを掲げた。
とたんに、スマホから明るい声が響いた。
『――きゃ! そんな、可愛いだなんて、ありがとうございますっ!』
「…………」
『――それにしても、ここって素敵なショップですね! 可愛い服ばっかりで、ほんとに迷っちゃっいます!』
思わず私の背筋を、ゾッとした何かが這いずり回る。
何より私が恐怖したのは、彼女の顔が『笑って』いるということだった。『根暗』とか『地味』とか『おブス』とか言われたのに、だ。まるで何にも感じていないかのよう。
いや、それどころか、むしろ自分に酔っているかのようにニヤニヤと笑っている。
普通にホラーだった。
「ね、ねえ?」
さしものオネエの店長も小声で、
「コピロボって、『もう一人の自分』なのよねん? さすがにアレは別人過ぎないかしら? パラメータを弄ったくらいであんな風になるわけ?」
「い、いえ。たぶん、パラメータを弄ったくらいじゃ、あんな別人格にはならない、ですよ」
そう、いくらパラメータを弄くろうと、AIが深層学習によって学んだ基本的な思考パターンのベースから大幅に逸れることはない。
だが、しかし――
「ただ……そもそも彼女がSNS上では『ああいう自分』でやっていて、それをAIが学習したなら……ああなる、かも……」
私は呆然としながら、無言の彼女と、キャピキャピとしゃべり続けるスマホを見つめる。
そこでふいに、あることに気付く。
「あ、結構古い機種だ……」
ポロッとつぶやく。彼女の手にあるスマホは、わりと古い機種だった。よく見ればボロボロで、画面にもひびが入っていた。
――と、その瞬間だった。
「ああああああああぁぁっーー!」
突如として、彼女が金切り声を上げた。私も店長もビクリと飛び上がる。
彼女が目を血走らせ、頭をかきむしりながら、
「ぶ、ぶじょ、侮辱……し、したな……あ、あたし、あたしを……バカにした…な……ゆ、ゆるさ……許さない……許さないいぃぃぃぃーーー!」
悲鳴のような声を上げたかと思うと、すぐ側にあったパイプハンガーを思い切り引き倒した。ガシャンとパイプハンガーが床に倒れ、ゴスロリ系のワンピースたちが床にぶちまけられる。
「ぜ、絶対に……許さないぃぃ……い、今に、み、見てろぉぉぉ!」
そのまま、彼女はお店から走り去る。
私も店長も、その後ろ姿を呆然と見送るしかなかった。
しばらくして、ようやくショックから立ち直る。
私は、床に散らばったワンピースを拾い集めながら、
「な、何だったんでしょうね、あの子……?」
自分自身が根暗とか地味とか言われても何も反応しなかったというのに、古い機種だと言った瞬間に『キレた』女の子。
まったくもって意味不明だった。
「まあ、あんまり分かりたくもないんだけれど」
店長もまた、倒れたパイプハンガーを元に戻しながら、
「あの女子にとっては、自分がバカにされるよりも、『もう一人の自分』がバカにされる方が許せなかったんじゃないの?」
「でも、ただのスマホというかアプリですよ? しかも、赤の他人の私に言われたくらいでキレますか、普通?」
「アタシとしては、別に珍しくないとおもうわよん」
店長は、どこか遠い目をしながら、
「ショップの、ましてゴスロリ系の店の店長なんてやってると、色んな子を見るんだけどね。みんな、理想の自分みたいなのがあって、それに近づきたくて可愛いお洋服を買いに来るのよ。フリフリのお洋服着れば、お姫様になれるって思ってね。言ってみれば、自分自身を『作品』に見てるって言えばいいのかしらねん」
店長の言っていることが、何となく分かった。
確かに、私もコピロボのパラメータを弄ったことがある。自分のコピーのパラメータを弄り、ちょっとだけ『良い子』にしたことがある。
もしかしたら、それは『自分を創った』ということなのかもしれないと、私は思った。
店長は続ける。
「ただ逆に、ゴスロリって気軽に着られないのよねん。買ったものの、誰にも見られない家の中でしか着ない子もいれば、そもそも買いたくても買えない子もいるのよ。でも、SNSって違うじゃない? ネット上の友達とか知り合いとかって、リアルの自分を知らないわけなのよね? だから、どれだけでも自分に可愛い服を着させてあげて、作品みたくすることが出来るのよ。じゃあ……」
――もし、その『作品』がけなされたら?
「自分がバカにされるより、ショックを受ける……ってことですか?」
「ま、そうなんじゃない? たいして好きでもない『リアルの自分』と、がんばって創った『理想の自分』。どっちをけなされた方がショックを受けるか……きっと、そういうことなのよん」
この辺は一度洗濯しなきゃダメねえ、と店長は悲しげにつぶやく。
「ただまあ、アタシとしては……コピロボだっけ? あれがスマホアプリでよかったと思うわ」
「なんでですか?」
「だって……」
ゴスロリ服を愛するロートルな男性は、こう言いはなった。
「もしコピロボがスマホじゃなくて、人間と見分けが付かないロボットとかになってみなさいよ。きっと他人だけじゃなくて、本人ですら『本当の自分』がどこにいるのか分からなくなるわよん。いったいアタシは、誰に着せるお洋服をコーディネートすればいいのかしらねえ……」
「…………」
私は、無言で自分自身を見下ろした。
大好きなゴスロリファッションを、私はこの店以外で着たことがなかった。