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消したい記憶しか、ありません

 見た瞬間分かった。これが記憶怪獣。

 だってポップが置いてある、記憶怪獣ご自由にどうぞ。

  

 時間は夕方で、場所は駅前。

 太陽の光は容赦なく記憶怪獣を照らしていた。

 夕方とはいえ、真夏。

 その光は、強烈に記憶怪獣を照らしていた。

 右下にハッキリと落ちている影が、それを物体だと、存在するものだと知らせる。

 私はスーパーで夕飯の買い出しを済ませて、右手にはスーパーの袋を持っていた。

 ネギが重たそうに首をたれている。

 変でしょう、古本屋で。変でしょう、誰も気にしてないなんて。

 でもそういうものだと、私は知っていたし、それを受け入れるべきだと知っていた。

 私は右手に持っていたスーパーの袋を左手に持ち替え、右手で記憶怪獣の頭を撫でた。

 太陽の光に照らされた頭髪は、火のように熱いだろうと思ったら、氷のように冷たくて、一瞬驚く。

 買ったばかりの新品の服のような感触。

 記憶怪獣は瞳をひらいた。

 記憶怪獣は小学校高学年くらいの女の子だった。

 真っ白な肌に、真っ黒な髪の毛。

 髪型はおかっぱで、まっすぐに切り揃えられていて、ずっとここに座っていたはずなのに、汗ひとつかいていなかった。

「……行こうか」

 私は言った。

 記憶怪獣はにこりと微笑んで立ち上がり、掌で首筋あたりを扇いだ。

「暑いね」

 ピアノの音より高く、歌うよりは低い声で。

 身長は百三十くらいだろうか。私が百六十センチで、それより頭一つ小さい。

 記憶怪獣は見る人によって姿を変えると聞いた。

 私にはこのカタチが合ってるのだろう。小学生の女の子。

 良かった、蛇やトカゲじゃなくて。

 そう思って横を見たら、蛇になっていたりして。

 横をみると女の子も私を見た。

「……ご飯、何?」

 私が手に持っていた袋を見た。

「チャーハン。チャーシューが余ってるから」

 聞かれて、普通に答えた。

「夏にご飯を炒めるなんてステキ。なんて暑苦しいの」

 女の子は指をパラパラと動かした。

「食べたい気持ちなの」

「お味噌汁もある?」

 女の子が首をかしげた。正しく斜めに。

「なめこと大根と、豆腐と、人参もあるかな」

「全部混ぜるの?」

 女の子は驚いた。心底聞いたことがないという顔で。私は聞くことにした。

「名前、なんて呼んだらいい?」

「何がいい?」

 女の子は前を見たまま言った。

「じゃあ、深雪で。深い雪」

 真夏に雪という言葉を言ってみたかった。

「じゃあ深雪で。よろしく綾音」

 教えてないのに名前を呼ばれて、納得した。


 

 こんにちわ深雪、はじめまして記憶怪獣。



 家に帰って鍵をあけて、深雪を台所に通した。

 小さなダイニングには椅子が二つある。

 先月まで快人が座っていた椅子だ。

「夏ね」

 深雪は机の上に置いてあるコップをつついた。

 コップにはひまわりが一輪さしてあった。

 ずっとそこで枯れるのを待っている。

 枯れて種が出来たら、私は庭がある家に引っ越して、それを植えるのだ。

 そしてずっとひまわりを育てると決めている。

 だってこのひまわりは、快人が私にくれた、最初で最後のプレゼントだ。

「何が欲しい?」

 と快人に聞かれて、花と答えた。

 本当は、指輪が欲しかった。

 指輪と共に、約束された未来が欲しかった。

 快人は何度も言ったんだ、結婚したら……結婚したら……。

 だからずっと期待してた。

 でも最後まで、プロポーズは、してくれなかった。


 残されたのは、ひまわりの花。



 本当は花なんて興味ない。

 飾ったこともない。

 だから花瓶などない。

 花の居場所は何年も前にタダで貰ったコカコーラのコップだ。それが一番似合ってる。

 このひまわりにも、私にも。

 それくらいの、薄っぺらい人間だ。

 花を飾る場所なんて、人生のどこにもない。


 冷蔵庫に買ってきたものを入れた。そして寝室に移動して、窓を開けた。クーラーは嫌いだった。

 いや、正確には快人がクーラー嫌いだったのだ。だから三年間、一度も付けなかった。

 すると体の中がずっと冷たかった感覚が消えた。

「それが冷え性でしょう?」

 快人は私を優しく抱きしめた。

 窓が開いたままの部屋でするセックスは好きだった。

 それも全部、終わったことだ。


 首筋に抜ける風に背伸びをして、台所へ戻った。

「ご飯、作ろうか」

「待ってました!」

 深雪は目を細くして微笑んだ。

 冷蔵庫に戻しておいたチャーチューは柔らかく解凍されていた。

 いつも電子レンジで解凍する私に

「冷蔵庫に一晩おくと、美味しいままだよ」

 と教えてくれたのも快人だった。

 快人といた三年は私にとって有効だったと思いたい。

 でも、今私の部屋には記憶怪獣が居る。

 きっと全てを忘れるのだろう。でもそれはきっと正しいのだろう。快人にとって、私にとって。



 チャーシューを細かく切り、卵をといた。黄色の海は甘く丸い。

 ネギを切り、味噌汁用に大根を切った。

 早く煮られるように薄切りに。千切りにされた大根の味噌汁が私も快人も好きだった。

 分厚いと煮るのに時間がかかるし、煮すぎると柔らかくなりすぎて、気持ちが悪い。

「思う思う、そう思う」

 快人は私の顔を覗き込んで笑った。

 快人と一緒に台所に立つのが好きだった。



 ねえ、―――あの子とも、台所に立ってるの?



 私と居たみたいに包丁を持って笑ってる?

 大根切ってる? 細く切ってる? 

 心に沸いた黒闇をまな板に置いて包丁で叩き切った。

 気持ち悪い。自分の気持ちが、気持ち悪い。

 チャーシューをフライパンで炒めて、端に寄せて、隙間に卵を落として、そこにご飯を入れて、一気に炒める。

 換気扇が飛行船になったような大きな音で空気を入れ換える。

 最後にネギをいれて軽く混ぜて、お皿に装うために食器棚に手を伸ばした。

 全ての皿は二枚ずつある。いつもチャーハンを食べていた皿を二枚取って、一枚は戻した。さすがに無理だった。

 皿は全部捨てよう。

 一緒に買ったものが多すぎて、使えない。違う皿を出して盛った。

「チャーハン定食だ」

 深雪は椅子に座ってはしゃいだ。

 先月まで快人が座っていた椅子に座って。

「どうぞ」

 味噌汁とチャーハンを置いた。

 冷蔵庫から冷たいお茶も出して、コップに注いだ。

 注いだ直後からコップが汗をかくのが好きだった。

 全面的な結露、その場で終わるものは美しい。

「チャーチュー美味しい」

 深雪はスプーンで食べた。頬が丸くまっているのを見て、吹き出した。

「リスみたいよ」

「美味しいよ」

 うんうん、味噌汁を持ち、大根を食べた。

「あ、本当になめこも入ってる」

「贅沢でしょう」

「グルメ大賞!」

 何それ。久しぶりに声を出して笑った。

 


 夜。布団をしいて、シングル布団に二人で入った。

 夏なので掛け布団は要らない。使い古したガーゼケットを深雪に手渡した。

「柔らかい」

 深雪はそれを鼻先まで上げて、匂いを嗅いだ。

「押し入れの匂い」

 快人が好きだったガーゼケットで、元は自分が使っていたものだ。

 気に入って何年も使っていたが、快人が泊まるようになってからは、使っていない。

 快人のものだ。三年という月日は歴史を変える。

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 口出して思った。快人と寝るときにおやすみと言ったことがあっただろう。

 いつも貪るようなセックスをしていて、寝る前に声をかけたことなど無かったかも知れない。



 朝。目を覚ますといつもの天井にいつもの朝なのに、横に深雪がいる。

 横を向いて挨拶をする。

「おはよう」

「おはよう」

 深雪は閉じていた瞳を、待ってましたというような速度で開いて答えた。

 起きて、台所に行くとコップに見たことが無いひまわりがあったので不思議に思い、洗面所で顔を洗う深雪に聞いた。

「何このひまわり、深雪が持ってきたっけ?」

「しらにゃい」

 歯を磨きながら深雪は答えた。

 私はその枯れかけたひまわりをゴミ箱の中に入れた。

 カランと軽い音をたてて、ゴミ箱がそれを食べた。

 朝ご飯はいつも通り、ロールパンとゆで卵とベーコンと野菜ジュース。

 毎朝変わらないので、お皿も決めている。

 ピンクと青の皿、二枚あってお揃いだ。

 それを台所に並べた。なんて美しいんだろう。

 朝はいつも正確にやってきて美しい。

「卵は半熟?」

「固いほうが好き」

 私は笑顔をみせた。

 快人は半熟卵を好んでいたが、私は固い卵のほうが好きだった。

 出勤の時間になり、着替えて鍵をしめた。


 深雪が会社に着いてこないことは何となく分かっていたので、鞄からスペアキーを出した。

 それは快人が使っていたもので、別れたあと、部屋のドアポストに入れられていたものだ。

 手紙もない。

 ただ無造作に鍵が入れてあった。

 まるで最初からそこにあったように。

 キーホルダーは一緒に旅行に行った伊豆、金塊の里のもの。

 二人で砂金をすくって、それを分けて、キーホルダーにしたのだ。

「お揃いだね」

 と笑う私に

「一緒にお金持ちになろう」

 と快人は笑った。

 私はその鍵を握りしめた。

 深雪に鍵を渡したいが、これを渡すのは、どうしても出来なかった。

 今日会社に行ったら「また使うから返して」と、快人に言われるかも知れない。

 何があるかなんて分からないじゃない?

 結局渡せないまま、最寄りの駅に着いてしまった。

 二つの鍵が鞄の中でケンカする音が響く。

「じゃあまた後で」

 深雪は駅の向こう側に消えた。

「行ってくるね」

 聞いて安心して、それだけ言うのが精一杯だった。

 深雪と別れて駅構内へ向かう。


 駅にも思い出が沢山ある。

 むしろ思い出しかない。

 快人の下りる駅は二つ先なのに、飲み会の帰りに一緒に下りてきてキスされたのはこのホームだ。

 歩きたい気分だからと電車を降りた瞬間から期待していた。

 いや、もっと前から。

 入社して、初めて会った時から全てを期待していた。

 分かってる。こんな風に甘く記憶に残るのは、終わった恋だから。

 恋? セックスばかりしていた毎日が恋? 違うの? 違うわ、一緒に沢山出かけたじゃない。

 映画も食事も海も本屋も深夜のコンビニも早朝の町も、会社帰りの深夜バスも渋滞にハマったタクシーも。

 私の初めてを沢山快人と分けたから、特別だと信じていた。

 何度も瞬きして涙を飲み込む。

 もう私は全てを忘れたい。

 だから、記憶怪獣に出会えたのだ。


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