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咲き誇る花

 結婚から五年の月日が流れ、少女も二十歳を超えた大人の女性となっておりました。

 しかしもちろん青年は鬼なのですから、出会った頃と何一つ変わらない姿で、仕事をしたり談笑をしたりと人間としての人生を楽しんでいます。

 初めに鬼だということを明かしているだけあり、歳を取らないことに疑問を持つものも現れません。

 温かく優しい人々に囲まれて、青年は感じたこともない幸せ、日常という幸せを過ごしていたのです。


 それでも人の世というのは残酷なもので、永遠に変わらないものなどありませんでした。

 悲しみは続きやすいけれど、幸せなんて特に――。

「鬼の成敗に参った」

 数名の武士が、そう言って屋敷へと押し掛けてきたのです。

 優しい皆が青年を庇うように努力はするけれど、青年も優しくて真面目で、嘘や誤魔化しが嫌いなのです。

 自分の為に必死になってくれる。その姿を見ただけで嬉しくて、満足そうに笑みを浮かべると進み出ました。

 もう迷惑は掛けまい、と進み出ました。

「探している鬼とは、私のことでしょう。民衆の前で首を落としますか? それとも、この場で殺されるのでしょうか」

 このままでは殺されてしまうというのに、青年は笑顔でした。

 人間の娘と結婚し、共に人間として生きていく。たとえたった五年の時だとしても、青年にとっては今までの何千年よりもずっと意味のあるものでした。

 ずっとずっと、幸せなものでした。

 だから青年は十分に生きたと、もう思い残すことはないと、笑顔でいられたのです。

「ほう? 貴様が鬼か。人間とさして変わらぬ見た目をしているようだが、本当であろうな。鬼を庇ったとならば、こんなちっぽけな街くらいは潰されると思え」

 武士の一人が、青年を疑うような表情でそう言います。

 威嚇しているようだが実際は強がりで、青年が笑顔であったことから、苛立ちと不気味さを覚えているのでした。

 しかし青年はその態度に恐怖を感じて、屈託のない笑顔を微かに歪ませました。

「間違いなく私が鬼でございます。だからどうか、街の皆には危害を加えないで頂けますか? とても素敵な方々なのです」

 必死に訴え掛ける青年に、武士たちは益々怪しみます。

 されど自ら鬼と名乗っているので、一先ず青年を捕らえ帰って行くのでした。


 青年が連れ去られ、残された人々は皆、どのようにして青年を助け出そうかと考えておりました。

 それほどまでに、青年の優しさは人を魅了していたのです。

 一方青年自身は、逃げ出そうなどと全く考えることもなく、ただ自分の死期を冷たく暗い檻の中で待っておりました。

 鬼として生まれたからには、人間と同じ道を歩むことなどできない。

 わかっていたことではあるけれど、いざその事実を突きつけられたようで、青年の心は悲しみでいっぱいなのでした。

 出て来た時点では、一生分の幸せは満喫したから構わない、そう思っていた青年。

 山に住んでいた頃よりも深い孤独に苛まれ、死を待つのみとなるとやはり恐怖が込み上げてくるのでした。

 真面目な彼だから、逃げようなどとは思ってもおりません。

 ただそれでも、もう少し幸せを感じていたかった、とは思って悔しくなるのでした。

「神よ、鬼である私には、千年の苦は与えようとも十年の幸も与えてくれぬのですか? これが私の運命であると、そう仰るのですか?」

 悲しみ、恐怖、孤独。それらの感情により支配された青年は、涙ながらに神へと問い掛けました。それは、青年が囚われてから七日が経った夜でした。

 答えなど返って来るはずもない。そう諦めていた青年の元に、やっと神は微笑んでくれたのです。

「永遠の寿命も鬼としての力も、全て捨てる覚悟があるというのなら、人間にしてやらんこともない」

 青年の心を試すかのように、天から清らかな声が響いてきました。

 それが神の声であるとすぐに確信した青年は、迷いもなく叫ぶこともなく乱すこともなく、ただ静かに答えました。

「私を人間にして下さい」と。

 争いを嫌う青年にとって、鬼の力なんて必要がありませんでした。それどころか、なくなればいいと思っていたものです。

 ものを生み出す力も持ってはいるが、それには代償が伴い、そうそう使えるものでもありません。

 そして永遠の命すら、青年にとっては邪魔と思えてならないものなのでした。

 儚い生を全うできるのなら、他の人と同じように老いて死ねるのなら、青年はそう願っていたのですから。

 覚悟も迷いも、青年には必要なかったのです。

「明日、お主は殺されるだろう。そうしたら、人としてあの娘の元へと送ってやろう。そしてお主は、人間として皆と幸せに生きていくのだろうな」

 そう告げた神の声は、期待しているような嘲笑しているような、なんとも表現しがたいものなのでした。

 しかし青年は疑いの念など抱くこともなく、人間として皆と幸せに生きていく、その言葉に喜びをただ感じていました。

 鬼というのには、いくらなんでも優しく素直すぎたのです。


「見よ! 民を困らせた鬼の首、今、落としてみせよう」

 翌日神のお告げ通り、青年の処刑が行われようとしていました。

 手足や体には決して解けないように縄が結ばれ、身動きを取ることもできない状態にあります。

 鬼の処刑が行われるということで、多くの民衆がそれを見に参っておりました。

 弱々しい眼差しでそれらを見ると、青年は小さく微笑みました。

 もうすぐあれだけ望んだ人間となれる。そうすれば、幸せを手にすることもできる。だから青年は笑っていられました。

 ただ多くの人混みの中に、見慣れた姿を見つけ、急に死が怖くなってしまいました。

 本当に死後、人間となれるのだろうか。本当にその後、幸せな一生を送れるのだろうか。彼女と笑って暮らせるのだろうか。

 様々な疑念が、青年の心を包み込みます。

 それは青年が初めて抱いた、疑いの心なのでした。

 不安そうな彼女や皆の表情を見ていられなくて、きつく瞳を閉じました。

 そしてそのまま待っていたのですが、中々処刑の時は訪れません。

 何事かと薄く目を開くと、その場に広がっていたのはあるべきでない光景なのでした。信じたくない光景なのでした。

 先程まで興味や悲しみなどそれぞれの表情を浮かべていた人々が、一人残らず倒れているではありませんか。

 もちろんその中には、処刑執行人や鬼の成敗を命じた当主。そして、大切な娘だって例外ではありませんでした。

 驚いて駆け出しました。

 そこで青年は、もう縄に縛られてもいないことに気がつきました。

 感情の乱れから、無意識のうちに鬼の力を暴走させてしまった。青年は即座にそう判断します。

 真っ青な肌の色に鋭い爪、いつもと明らかに異なる体格に、青年は自分の身ながらも一番の恐怖を感じました。頭部には、人間ならばあるはずのないもの、鬼である証拠。

 ――角もありました。

「安心なさい。これはお主がやったものではない」

 先日と同じ、清らかな声が天から降り注ぎます。

 ただその内容には、青年も戸惑いを隠すことができませんでした。自分でないというのなら、だれがこんなことをしたというのだろうか。

 だれがこんなことをできるというのだろうか。

 戸惑い辺りを見回すと、ただ一人生き残ったものに気がつきます。

 それは、青年を捕らえた武士なのでした。

 青年がそちらへと視線を向けると、武士の男も、恐怖の眼差しを青年へと向けました。

 そして見つかってしまったからには、死をも覚悟します。

「おお、鬼め、罪なき人をこんなにも、許さん」

 震える声で絞り出した言葉は、覚悟を決める為のものでした。

 何もできずに死ぬくらいなら、自らの剣をこの鬼目に振り翳してやろう。ただ死ぬくらいなら、一つの傷でもつけてやろう。

 死を覚悟した人間は、驚くほどに強いです。

 鬼に比べれば弱いにしても、戦意を持たない鬼ならば殺すこともできるほどに。

「少し、待ってはくれないか? 君を殺すつもりはないから、少しだけ待ってくれ」

 武士の男を説得しようと青年は言葉を投げ掛けるけれど、男の耳には何も届きませんでした。

 目の前の脅威に立ち向かおう。武士として最期まで悪と戦う。恐怖すらもうなく、そんな意地とプライド、そして武士としての志、男にあるのはそれだけです。

 声が届かないことに気がつくと、青年は男から逃げながらも再び駆け出しました。

 愛しい彼女の元へと。

 健やかで傷もないその顔は、寝ているのと区別ができないほどでした。

 その姿を悲しげな瞳に映すと、青年は彼女の為に力を使いました。

 たった一人の人間の為に青年が力を使うのは、これが二度目のことです。力を使用したこと自体、彼女と出会ったとき以来なのでした。

 優柔不断とも言える性格の彼ですが、重要なときに限っては即決してしまう彼です。

 全くの迷いもなく、彼女を生き返らせる為に力を使いました。

 いいえ、それだけではありません。

 皆が死んでしまっては、行き返っても彼女が悲しんでしまう。

 そう考えた青年は、この場にいた皆を生き返らせる為に力を使いました。

 そこまで大きな力を使えるはずもないのに、自分への負担も顧みず青年は全力を使いました。

 すると倒れていた皆が目を覚まし、辺り中には花が咲き誇りました。それと反対に、力を使い果たした青年は倒れ込みます。

 花畑の中、目を覚ました皆の姿を見て、武士の男も剣を鞘に戻します。

 驚愕の表情で全てを見、倒れている鬼の姿を捉えました。

「鬼が人を助けたとでも言うのか」

 震える声で呟く武士の男に、鬼の姿へと成り果てた青年を膝の上に横たえ、女性は叫びました。

「だから言ったではありませんか! 優しくて素晴らしい鬼であると!」

 その叫びを聞いて、やっと武士の男も気がつきます。

 娘や家族がなぜ鬼を褒めるようなことを口にしたのか。鬼を捕らえたときには全く気にしていなかった悲痛な叫びが、今となって頭の中に木霊します。

 だれも鬼を恐れて嫌々褒めていたわけじゃなかった。

 本当に優しくて大好きだから、あれだけ笑っていたあれだけ泣いていた。

 今更それに気がついた自分に、武士の男は切腹してしまおうとすら思いました。

「あなたがそうすることを、彼は望んでいません。そしてあなただってお優しいとわかりましたから、自分を責める必要だってありません。もう彼のことを悪くは言わないと約束して下さるのなら、もう構いません」

 さっきまで泣き叫んでいたというのに、今の彼女は笑顔でした。

 いつしか、美しく散った鬼の周りには、笑顔の花も広がっていきました。彼女の笑顔で広まった、美しい笑顔の花が。

 花びらが風で舞い散る中、笑顔の花が散ることはありません。


 民衆を殺したのは、神様でした。

 だから青年は、あの場で大人しく武士に殺されれば、もう鬼としての自分を捨てることはできたのです。人間として生きることができたのです。

 それでも青年は惨劇に耐えられなくて、鬼の力を使ってでも皆を生き返らせました。

 たとえ自分が殺されればすぐに戻される命だとしても、それで自分も含めて皆が生き返れるとしても、青年は耐えられませんでした。

 倒れ込む皆を見捨てて自分は殺されようなんて、青年にはできませんでした。

 そこに救うことができる命があるのだから。

 しかし人を救う為とは言え、神との約束に反し、鬼の力を使ったのは確か。

 もう人間として生きる夢は叶いませんが、優しい鬼の青年は、穏やかな表情で眠るように死んでおりました。

 優しい鬼の噂は、忽ち広がっていきます。

 極悪非道な鬼でなく、とても優しい鬼が生きたその伝説は、後世へと受け継がれていきました。


 昔々、一人の青年がおりましたとさ。それは優しく、恐ろしい青年なのでした。

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