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雪山の花

 昔々、一人の青年がおりましたとさ。それは優しく、恐ろしい青年なのでした。


 特別見た目がいいとか何か優れた点があるとかではないが、真面目さと優しさだけは誰にも負けない素敵な青年でした。

 しかし青年の素晴らしさを知っている人は、だれもいません。

 だれも辿り着くことのできない、雪山の奥のその更に奥に住んでいるのですから。

「大丈夫かい? 雪山に迷い込んでしまったんだね」

 ある日、青年の住む小屋の近くに倒れている少女を見つけました。

 青年は人と出会うことなんて久しぶりで、どのようにしていいのかわかりませんでした。

 彼女を小屋に連れ帰り布団に寝かせると、戸惑いながらも彼女の苦しそうな寝顔をずっと見つめておりました。

 そして目覚めた彼女に対して、安心させようと必死に優しく声を掛けます。

「雪山に迷い込んで、私、生きてる。あなたが助けて?」

 混乱しながらも、少女は青年に問い掛けました。

 ただ正常な考えを取り戻すと共に、おかしなことに気が付いてしまったのです。


「お父様、大丈夫ですか? 私、必ずその花を摘んで参ります」

 病に魘され悶え苦しむ三十半ばの男性に、手を取りそう声を掛けるのは二十歳にも満たない若い少女でした。

 男性は位は低くとも貴族の生まれ、そして少女はその娘でした。

 陰気な性格の娘で、それでも人の身を案じることのできる心優しい娘でした。

 いつも大人しい彼女ですが、父が苦しむ姿を見ていることができなくて、病を治してあげられたらと祈ったのです。

 そして唯一その病を治すことのできる手段を見つけました。

 それは山奥にしか咲かない、清楚で清らかな白い花。

 どんな病でも治すことができるという、伝説の花。

 神様が人の世に残してくれたという、幻の花。

 彼女にとっては、最後の希望となる花なのでした。

 だれの静止も振り払い、屋敷を飛び出すと彼女は一人で山へと入って行きました。

 不安や恐怖で引き返してしまうかとも思いましたが、不思議と彼女はまっすぐ進むことができました。まるで何かに引き寄せられるかのように、迷わずに進んで行ったのです。

 しかし彼女はいくらか歩くうち、寒さが増していることに気がつきました。

 冬に山へやって来たのだから、そこが雪山でなくとも凍死という危険は伴います。

 普段の彼女ならば始めにそれを考えるはずですが、父を救うと短絡的な考えの元冬の山に一人で乗り込んだのです。

「寒い。だれか、助けて」

 危険に気が付いたときには、もう帰る道を彼女は持っていません。

 父を救うはずが、自分が命を落としてしまうのか。

 自嘲するかのように声にならぬまま呟くと、吹雪の中で彼女は微睡に包まれていきました。

 雪も降らないし、寒さも街と変わらぬほどにしかならない。急な坂や岩、崖なども少なく、獣が出現したという話もない。彼女が登った山は、山としては比較的危険性は低いものでした。

 ほとんど外に出たこともない少女がたった一人で登るには、かなり危険なものでしたが。


「そんな表情はしないでおくれ。やっぱり、君も私が怖いのかい?」

 顔を青くさせる少女を見て、青年は問いました。

 もちろん彼女は、青年を見て顔を青くしているわけではありません。

 雪山に迷い込んだはずが、暖かい部屋の中で寝かされている。こんな場所に、人が住めるはずがないというのに。

 そのことから、自分はもう死んでしまったのかと思ったのです。

 そうとでも考えなければ、納得することもできなかったから。

「ここはどこなのですか?」

 恐る恐る、少女は青年に問い掛けました。

 死後の世界と答えられても、彼女は驚くことなく受け入れる自信がありました。その覚悟を決めておりました。

 しかし、青年の答えは彼女の思っていたものとは違っています。

 そして何を言われても驚かないとした彼女を、驚かせるような答えなのでした。

「雪山の、その先に暖かい花園がある。噂にはなっちゃったみたいだけど、知らないかな」

 もう五百年くらい前だったからな。

 そう付け加えようとして、青年は慌てて口を閉じました。

 少女に恐れている様子がなく、一先ずは安心したけれど、それも自分の正体がばれては終わりだと思ったからです。

 そのときの男は青年を聖なる存在と信じ、心奪う美しい花園のことを、街に戻されてからも語りました。

 忽ちその噂は広がって、その情報は青年の耳に届くほどにまでなったのでした。

 ただそれ以外には、青年をその様に扱った人間や、時代などは存在しません。

 だから青年は、花園の噂ではなく、今は恐ろしい鬼の噂に戻っていることを知っていました。雪山には鬼が住んでいる、その噂が広まっていることくらいわかっていました。

 それでも少しの希望を含めて、少女に優しく問い掛けました。

「わかりかねます。山の先に過酷な雪山があることは存じておりましたが、その雪山へ迷い込み、帰って来た人はいないんだとか? まさか暖かい花園だなんて、今も信じられません」

 そこまで言ってしまい、少女は口を押さえました。

 助けて貰った人に対してかなり失礼だと思いましたが、予想外にも青年は楽しそうに笑って見せました。

「そうだね。この恐ろしい場所に来て、無事に帰れた人なんていないのさ。楽園は疑った方がいいよ」

 意地悪く笑おうとする青年の姿がおかしくて、少女も笑顔を溢します。

 どんなに悪人を装おうとも、彼女は青年のその姿に優しさを感じて仕方がありませんでした。

 初めて会った男のことを信じたりしてはいけない。父からもそう言われているし、極力人のことは疑うように努力はしていました。

 しかし、この青年のことを疑うことなんてできませんでした。

「それで、質問にちゃんと答えてなかったね? なんとなくわかっているだろうけど、場所は雪山の頂上さ。昔はもっと暖かくて花園が広がっていたんだけど、今はどんどん減って来ていてね」

 そこまで口にすると、青年は儚くも美しい微笑みを浮かべました。その花のような微笑みに、少女は目が離せなくなりました。

 少女が問うと、青年は悲しみをポツリポツリと話し始めていきます。

 今まで孤独に耐えていたからこそ、話し相手がいるのが嬉しくて、つい話し過ぎてしまっていました。


「あなたは、何者なんですか? どうした、どうして、あなたは」

 戸惑う少女の姿に、青年もやっと気がつき誤魔化そうとしますが、もう手遅れなのでした。

 どのようにしていいのかわからず、遂に全てを少女に話そうと覚悟を決めます。

 たった数十分や数時間、同じ時を過ごした。ただそれだけなのに、青年はそれほどまでに少女を信じてしまっていたのです。

 一方少女も、青年のことを信じることはできませんでしたが、疑うことも決してできませんでした。

 それは、目の前の青年が人間でないということに薄々気づき始めても、です。

「私はあなたに命を救われました。たとえあなたが何者だとしても、その事実が変わったりなどしません。そして、私の感謝の気持ちも変わりはしません。だから、教えて頂けませんか? あなたが何者なのか」

 この言葉が青年を傷つけるとわかっていても、少女は自分の疑問と興味を止めることができませんでした。

 普段はお淑やかな彼女ですから、楽しげに明るく元気に青年と話す自分に少し驚きました。

 初めて見る景色が嬉しくて、わからないことを知りたくて、そして何より、青年のことをもっと知りたくて。

「鬼、です」

 彼女の言葉をそのまま信じることなどできなかったけれど、零れ落ちるようにポロリと青年はそう言ってしまいました。

 その事実を知った人間は、だれも恐れをなして逃げ出す。それまでいくら優しく接してくれたとしても、それを知った途端にまるで汚物を見るかのような視線を向けてくる。

 それくらいのことは、青年も経験からわかりきっていました。

 だから昔は人間とよく遊んでいたのに、今や山に籠もってしまっているのです。

「やはり、そうでいらしたのね。私、鬼様にお会いすることなど初めてなのです。しかし皆はおっかないと言いますが、人間よりもずっとお優しい方ではありませんか。それに、……悲しそう」

 白くて細長い指で、少女は青年の頬をなぞりました。

 そして優しく撫で回していたのですが、突然両手で力強く青年の肩を握りました。

 驚いて顔を上げた青年の瞳、その純粋無垢な輝きを少女は見つめました。

 逸らさないようにとまっすぐに見つめ合いたかったけれど、お互いに耐えきれなくて俯いてしまいます。

「鬼様に感情がないなどと、嘘です。こんなに悲しそうなのだから」

 街に蔓延る誤情報が悔しくて、少女はそんな言葉を漏らしました。

 それ聞いた青年は、驚きながらも喜びで満たされていきます。鬼である自分に対してそのような感情を持ってくれたのなんて、彼女が初めてであったから。

 嬉しくて、嬉しくて、もう一度人間を信じてみよう。そんな気持ちにすらなれました。

「私を家まで帰して下さい。そして、あなたもそれに着いて来てほしいのです。素敵な鬼様がいるということを、皆にもわかって頂きましょう?」

 まるで青年の心のうちを読んだかのように、少女はそう提案しました。

「私がここを離れては、花が更に散ってしまう。特にこの時期は、寒さや雪から守らないと」

「いつ正気を失い、鬼としての姿を露わにし、暴れ回るかわからない。優しさなど、幻に過ぎないだろう」

「時に、鬼は人間を喰らう。その恐ろしさを、理解することができていないのではないだろうか」

 人間が嫌いなわけではありません。むしろ、人間と戯れたりすることが大好きでした。

 だからこそ嫌われたくなくて、もうだれも傷つけたくなくて、言い訳の言葉を並べて行くのでした。

 本当は彼女の言う通り、街へ行って人間と仲良くしたい。それが不可能であることを痛感させられたからこそ、強く望んでいました。

 強い願いが人を傷つけることも、彼は重々承知していたのに。

「いつまでお逃げになっていらっしゃるんですか? あなたはもう戦いました。たった一人で、寂しさや孤独と戦いました。だからもう、恐れなくていい。傷つかなくていい」

 青年を説得しようと必死に訴え掛けるけれど、いまいち少女の言葉は青年の心に突き刺さりませんでした。

 永い時間の中で、青年の孤独の心は、簡単には届かない深いところまで沈んでしまっていたのです。

 それに気がつくと、少女はニヤリと笑みを浮かべました。

 悪戯を思いついた幼子のような、怪しげで楽しげな笑みです。

「お父様のことは話しましたよね? あなたほど山に詳しい方ならば、病を治せる花についてご存じなのでしょう? ここで一つ、人助けなどいかがでしょうか」

 少女の意図が理解できませんでしたが、人助けを拒む必要などないので、青年は小さく首を縦に振りました。

 予想通りに青年の同意を得て、笑顔で少女は立ち上がります。

 横になったり座っていたりだった為、跳び上がるように立ち上がると、多少足が痺れました。

 しかしそれも気にせず、少女は小屋を飛び出て行きます。

「それと思われる花のことは、確かに知っている。一人の人間の為に力を使うのは本来ならば良くないのだが、君の優しさと努力に免じて、その花を差し上げよう」

 一緒に花を探しに行くつもりだったので、青年の手のひらに集まる光を見たときには、少女は唖然としてしまいました。

 笑顔で青年が差し出してくるのは、聞いていた通り清楚で清らかな、真っ白な花でした。

 神様からの贈り物に相応しい、伝説の名に恥じないような美しい花でした。

 それはもう、花については素人な彼女だとしても、間違いなく本物と言えるような花なのです。

「鬼ってなんでもありなんですね。まあ、ありがとうございます。それでは、一緒に帰りましょうか」

 あまりにも自然と彼女がそう言うので、青年は違和感も感じぬまま頷いてしまいます。

 そして後から撤回を求めますが、もう既に遅し。彼女は計画していた悪戯が成功したような、楽しそうな笑顔を向けて来るだけでした。

「命の恩人なのですから、お父様だってお礼くらいは言いたいはずです。あなたは、それさえもお許し下さらないのですか?」

「君がそう言うのなら向かうけれど、何があっても責任は取らないよ。それでもいいのかい?」

 最後の問いにも大きく頷いた彼女を見て、青年は彼女のことを、人間のことを信じようと決めました。

 これでまた拒絶されるとしても、信じてみようと思いました。せめて、彼女のことだけでも。

 それに彼女が信じてくれるのならば、他の人間たちに再びの拒絶や恐怖の視線を向けられようとも、構わないとすら思っていました。

 そこまでの覚悟を決められると、案外楽な気持ちで青年は山を降りることができました。

 他愛のない話を交わしながら二人で山を降りていると、辛いはずの山道も楽しく思えて、すぐに街へと着いてしまったことが惜しくも感じたのです。

 そしてその不思議な感覚に二人で首を傾げ、笑顔で少女の家へと歩きました。


「ただいま帰りました。宣言通り、花を摘んで参りましたよ」

 しんみりとした雰囲気を放つ自分の家の戸を、力いっぱい少女は開きます。悲しげな空気など一掃するように、力いっぱいに。

 そして全く迷うことなく、青年の手を握り父が寝ている部屋へと駆けて行きます。

 誇らしげな表情で花を見せつける彼女に、その場にいただれもが驚愕しました。

「お医者様、薬を作って頂けますね?」

 笑顔で医者にその花を渡すと、少女は苦しそうな父の横に座り、冷たい手を包み込むように、両手で大切に握りました。

 驚きのあまり放心状態であった人々も徐々に冷静な思考を開始し、当然のように青年へと目を向けます。

 十名を超える男女を前に、青年はどのように接していいのかわからなくなっていました。

 そのことに気がつくと、少女は笑顔で言いました。迷うこともなく、言ってみせました。

「彼は山中で出会い、見ず知らずの私を助けて下さいました。とても素敵でお優しい、鬼にございます」

 聞き流してしまいそうなほど、父の手を握ったまま何事もないように彼女はそう言いました。

 しかし鬼だなんて、そう簡単に聞き流せるような内容ではありません。

 青年を囲んでいた人々も、青年自身も彼女の言葉には驚いてしまいました。

「なんでそういうことを言うんだい? 鬼だなんて言ったら、受け入れてくれるわけがないじゃないか」

 覚悟を決めたつもりでいたのに、青年の口から零れたのは嘆くような言葉でした。

 人間たちに嫌われるのが怖くて、やっぱり恐怖を捨てきれていなかった自分に腹を立てて、青年は逃げるように飛び出して行こうとしました。

 それでも強く手首を掴まれていて、出て行くことができません。

 驚いて振り返ると、青年の手首を掴んでいたのは、その場にいた五十代ほどの男性なのでした。

 鬼という事実を知られた時点で、だれも逃げていくと思っていた。だから青年は、その男性の行動の意味がわかりませんでした。

 そのせいか、圧倒的に男性よりも強い力を持っているはずなのに、固く固定されたかのように動くことができません。

「はっはっは! お前が姫ちゃんを助けてくれたんだろ? そんなら、もてなしくらいしないとな」

 男性は楽しそうに笑ってみせ、少し乱暴ではあったが座布団を用意して青年を座らせます。

 予想外なその対応に、ポカンと口を開けて青年は一人一人の顔を順に見ました。だれも、鬼を恐れているような素振りすらなく、それどころか笑顔を浮かべているのです。

 そして驚いている青年の表情に、少女も父の手を離し笑い掛けました。

「優しい方々ばかりです。鬼というだけの理由で、差別するような方はここにいません。それをあなたのわかって頂きたかったのです」

 その言葉でようやく理解をし、青年も笑顔になることができました。

 笑顔を交わし合っていると、薬を作り終えた医者が戻ってきました。その薬を少女が娘として父に飲ませ、見る見るうちに調子が良くなっていって。

 その後に宴を開き、話は結婚話へ。そこで娘と青年の結婚が決まり、更なる騒ぎへ。

 これだけで終われば、良かったのです。

 しかしいくら心が優しかろうと、青年は鬼なのでした。

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