第1章 ヒーローのお仕事 【4】
※文字数が多かったので分割しました。
慌ただしい転校初日の時間はあっという間に進み、気づけば放課後――。
正司は、教室を出て廊下を歩いている。
休み時間という休み時間を、質問攻めによって奪われた一日だった。
少しの緊張と、見知らぬ学校の居心地の悪さに、疲れを訴える全身へ伸びをしてやる。
「んーーーーーーーーーーーっ……」
気持ちよさに漏れる声。
そんな正司に、クラスメイトが横を通りぬけながら声をかけていく。
「じゃあなー、草薙くん」
「んっ……あ、うん。じゃあね」
前の席の、高木くん……だったか。
正司は記憶をたぐりながら、軽音部――実際には同好会らしいが――に所属している少年に向けて、手を振った。
「さて、と」
ここからは、学生としての身分と違って、ヒーローとしてのお仕事の時間だ。
正司は、携帯を取り出し、時間を確認する。
「そろそろだな。種は蒔いといたけど……乗ってくれるかどうかだなぁ」
そう言って、廊下を足早に歩き出す。
「吉良せんせー、勉強教えてー」
ふと、すぐ近くから、女子生徒たちの声が聞こえてくる。
視線を向けてみると、そこには数人の女子に囲まれた吉良の姿があった。
「あっはは。手取り足取り教えてあげたいのは山々なんだけどね。今日はちょっと、野暮用があるんだ。だから、また今度ね」
女子生徒たちの頭をなでながら、甘い声で囲いを逃れる吉良。
「えーっ?」と残念そうな声をあげる女子を放置して、そのままスタスタと歩いていく。
正司はそんな吉良をじっと見つめながら、予定していた場所に向けて歩き出した。
すると、その前を、吉良が歩いていく。
まるで吉良を尾行でもしているようだった。
「向かう場所は、多分同じだけどね」
正司は、小さくそうつぶやいた。
学校を出てしばらくそのまま歩き続けると、学校からほど近いところにある、大きな湖がある公園にたどり着く。
かなりの広さで、湖畔を一周する形の整備された遊歩道は、四季を通してジョギングやウォーキングをする人で絶えない、そんな市民の憩いの場だ。
吉良は、そんな遊歩道の道すがらにあるカフェに、周囲を気にしながら入っていく。
その姿をやや後方から確認した正司は、続けて店内に入った。
「いらっしゃいませー」
女性店員の笑顔が、正司に向けられる。
「こちらでお召し上がりですか?」
「はい」
「かしこまりました。ご注文をどうぞ」
正司は注文しながら、ちらりと横目で、先に入った吉良を探す。
コーヒーを片手に、隅の席に陣取っていた。
「いいところをチョイスしてくれたな」
「はい?」
思わず声をもらしてしまうと、きょとんとした店員がそう声にする。
「あ、いえ。すみません、こっちのことです」
正司は慌ててお茶をにごす。
「はあ。えっと、40円のお返しです。先に進んでお待ちください」
お釣りを受け取り、ランプの下へ。
するとすぐに、注文していたコーヒーが差し出される。
「ラテになります。どうぞ」
「どうも」
お辞儀をしながらそれを受け取ると、正司はそのコーヒーを持ったまま、まっすぐに吉良のもとへ向かっていく。
すると、妙に周囲をキョロキョロと見回していた吉良は、すぐに正司に視線を定めた。
「きみは確か……」
「こんにちは、吉良先生」
正司は笑顔を浮かべながらそう言って、吉良の正面に座る。
吉良は、なにか汚い物でも見るような目で、同じ視線の高さにいる正司を、アゴをくっと持ち上げることで見下した。
「転校生、俺は男と相席する趣味はない。それにそこは、今から人が来る予定になってる。相手に了承も得ずに座るのは……」
「ですから、ここに座ったんです」
「……なに?」
一気に、いぶかしげな表情へと変化する吉良。
それを見て、正司はバッグの中から可愛らしいハートマークの入った封筒をひとつ取り出し、吉良の前に置いた。
「こ、これはっ……!?」
吉良は封筒を、ガッと手に取る。
「な、なんでお前がこれを……!?」
そう言いながらも、しかしすぐにハッとした。
すぐに周囲をチラチラと見やると、正司に視線を定めた。
「お前が、あの手紙を……」
「顔が怖いです、先生。はたから見たら教師と生徒の放課後ですから。普通の表情してください」
吉良は悔しそうに歯を食いしばったままだったが、なんとか表情を取り繕う。
手の中の手紙を裏返すと、そこには正義協会の印が入っていた。
「くそ、男からだったとは……。この吉良 玲斗、一生の不覚……!」
悔しそうに顔をしかめた。
「っていうかお前、女子文字うまいな」
「ほめてもらえて光栄です。頑張って書きました」
「くそ、気持ち悪い……」
悪態をつきながら、吉良は3枚ほどの紙が1束になったものを取り出し目を落とした。
そこには、司法取引について、情報を取り引きしたい旨が書かれているはずだ。
「こちらの要求を端的に言うと、そこに並んだ先生の罪状をチャラにする代わりに、アトモスフィアの情報を話して欲しい……ってな感じです」
正司は、コーヒーに口をつけながら言う。
「……なるほど」
目を細め、逡巡する様子の吉良。
――悩んでるみたいだ。これは畳み掛けるべきだなぁ。
コーヒーを嚥下しながら、正司は頭の中でため息混じりにそうつぶやいた。
「今どこにも属されてませんよね? 何社か受けて、落ちたと聞きました。可哀想に。後ろ盾がないまま正義協会が動けば、あっという間に逮捕されると思いますけど」
“可哀想に”あたりでイラっとしたのだろう、吉良は表情を歪ませた。
「イチイチ癪に障る言い方するな、お前は」
「えっ、そうですか? すみません……」
そんなつもりはなかったらしく、慌てて謝る正司。
ちなみに悪党にとって、ヒーロー側に素性が割れているというのは、危険な状態だ。
いつでも倒せる――ということだからだ。
組織に属していれば、組織が守ってくれるだろう。
だが、組織に属していないなら、当然己の身は己で守らねばならない。
一人でヒーローたちと戦わなければならないのだ。
よほどの剛の者でなければ、悪党をモグリでやるのは不可能に近いのである。
「……クソほどムカつくが、ありがたい話しだ。受けさせてもらう」
吉良は少し間を置いて、怒りの混じった声でそう言った。
「賢明だと思います」
「やはりイチイチ癪に障る」
こうなると踏んでいた正司は、ほっとしながらも、同時にモヤモヤを覚えていた。
「だが」
すぐに、吉良はそう付け加える。
「何もかも話すってのは、ムリな話だ」
その言葉に、正司は眉根を寄せる。
「どういうことですか?」
「俺にも都合はある。洗いざらいというわけにはいかない。退社したとは言え、機密保持契約もある。会社だからな」
機密保持契約。
退社した後も、社内の情報を外部に漏らすことを禁止する契約だ。
契約内容によるが、情報を漏洩した場合、大体がそれによってもたらされた損害を賠償する必要が出てくる。
機密保持契約を持ちだされると、正司はこれ以上は追求出来ない。
企業と個人の間で交わされる契約だ、こればかりはチャラにしてやることは不可能だった。
正義協会ができることといえば、彼の法的な罪状に対してのみ。
――っていうかこいつ……さては、あの紙に書かれた内容以外にも罪状があるな?
そう考えながら、正司はコーヒーをテーブルに置いた。
「わかりました。じゃあ、話せる内容をお願いします。再優先は、アトモスフィア本部の場所についてで」
こういう場合、再優先されるのは、一番必要な情報を引き出すこと。
教科書どおりのやり方である。
「いいだろう」
吉良は、ペンを取り出しサインをする。
終わるとそのまま、正司が取り出した朱肉に親指を付け、拇印を押した。
「取り引き完了ですね」
正司はその紙を受け取り、3枚目だけはがすと、封筒に入れ吉良に手渡した。
受け取った封筒を、吉良はスーツの裏ポケットに忍び込ませる。
「アトモスフィアの本部は、比良坂高校の地下だ」
そのまま口を開く吉良。
「えっ!?」
まさかの情報に、吉良は声をあげる。
「静かにしろよ。教師と生徒の放課後だろ」
吉良は、一瞬だけ不機嫌そうな表情を浮かべ、ブラックコーヒーに口をつけた。
「まあ、驚くのはムリもないけどな。あの高校が出来た時から、学園はアトモスフィアと癒着してたらしいぜ」
吉良は、苦かったのか渋そうな顔で続ける。
「聞いた話によると、アトモスフィアの創設者と当時の理事長に、何らかのつながりがあるとかなんとか。詳しくは知らんが」
「なるほど、理事長と。だから地下に本部が組み込めたわけですね」
「そういうことだろ。今もつながってるのかは知らんがな」
「当時から、あんなすごいデザインだったんですか?」
「そうだろうな。建て替えなんかはしてないって話しだ」
正司は、感嘆のため息をこぼしながら、うなずいた。
「出入り口は複数ある。俺が使っていたところはもう封鎖された」
「他の出入り口は?」
「知らん。総帥に信用された人間以外、出入り口を複数教えられることはない」
――なるほど、念が入ってるな。だとしたら、こいつから侵入経路についての情報は、これ以上望めなさそうだ。
腕を組みながらそう考えると、正司は続けて口を開く。
「では次に、総帥と構成員について聞きたいんですが」
「総帥についてはノーコメントだ。さすがにそれは、すさまじい請求をくらって、未来永劫タダ働きになりそうだ」
「我々がアトモスフィアを潰せば、請求されることはないですよ」
一応、正司はそう言葉にしてみる。
意味はないだろうと思いながら。
「そうなればな。だが信用できん。そうならない可能性はゼロじゃない。もしもの時に補償してくれるなら話しは別だがな」
さすがに、正司にそこまでの決定権はなかった。
その損害賠償は、一体いくらになるかわからない。
彼らは一度、本来なら潰れなければおかしい事態から持ち直している。
今回も、そうなってしまう可能性があるのだ。
実際本当に潰せなかった時に、一体吉良がいくらの支払いを要求されるか、計り知れない。
「なるほど。わかりました」
「構成員については、今どうなのかちょっとわからんな。俺が辞める前の情報だからな。今はかなり人が離れたってウワサを聞いた」
先代総帥、幹部が軒並み逮捕されたんだ。
持ち直したとは言え、それは当然かもしれない。
「なるほど。かつての主力は、キャプテン・トーチカだったと聞いてます。彼は主だった幹部の中で、唯一逮捕されてませんよね。今でも彼が主力ですか?」
「やつはもういない。理由は知らん。あの時の攻防戦よりも前に姿を消したらしい。おそらくだが、今の主力はエルツィオーネってやつだ」
正司は、アトモスフィアの少ない資料の中にあったその名前を思い出した。
「爆弾魔だと、資料にありました」
「ああ。頭は悪いが強い。厄介なやつだ」
――だとしたら、そのエルツィオーネってやつが、一番の障壁になるかもしれない。
「どうして、そのエルツィオーネは、残ってることが確定してるんですか?」
「総帥と友人関係にある。やつが抜けるってことは、本当の意味でアトモスフィアが終わる時だと思うからだ」
「なるほど」
――総帥と友人、か。それはいい情報かも。
そう考えていると、
「悪いな。これで終わりだ」
突然、吉良がそう切り出した。
「えっ?」
驚いて顔をあげると、吉良はすでに腰をあげていた。
「リスキーな回答はかなりさせてもらった。これ以上はさすがにムリだ」
首を振って、顔にかかった髪をかきあげた。
「なるほど。わかりました」
正司は、仕方ないとばかりにかぶりを振りながら、そう言った。
――ひとまず、足がかりになる情報は手に入ったか。
「じゃあな。明日から学校で会っても、俺は吉良先生で、お前は生徒Aだ」
「わかってます」
正司の返事に、吉良はため息をつきながら、そそくさと歩き出した。
その背中を見送りながら、正司もため息をつく。
「もう少しいろいろ聞けると思ってたんだけどなぁ」
女たらしでナルシシスト。
なにより、危険にも関わらず、次も決まっていない状態で組織を抜けていること。
この辺りから吉良は、正義協会側に、それなりにバカだと判断されていた。
――思ったより、頭悪くねえなー。
「いや、抜け目がないっていった方が、正しいのかもしれないけど」
一人、小さくつぶやいた。
学園地下の本拠地。
侵入経路はわからないが、少なくとも“理事長”とのつながりが臭う。
「理事長なら、外からのアクセスで探れる。総帥、あるいはエルツィオーネに繋がる何かが得られれば、かなりの前進かな」
まずはそこから。
そう思いながら、つぶやいた。
と、その時だった。
「あ、ライトニング・テンペストだ!」
ふと、そんな声が聞こえる。
すぐ近くの席に視線を向けてみると、端末でニュースを見ているカップルがいた。
こちらを向いた画面の中では、ほんの数日前に会ったばかりの金色のヒーロースーツが、戦闘を繰り広げている。
バチバチバチィッ! と、こちらまで聞こえてくるほどの轟音を立てながら、高速移動を披露している。
悪党の背後に、一瞬で回りこむライトニング。
その手に握られたチェーンソー型のブレードが、ヴィランズスーツを捕らえる。
「かっこいいよな。ライトニング・テンペストって、電気を発生させてスーツの能力を向上させてるんだろ?」
「そうそう。だからあんなに速く動けるんだって。かっこいいよねー。女性ヒーローの中で一番好きなんだー。派手だよね」
そう、彼女のアビリティは、電気発生能力。
その電気でもって、今言われていたようにすさまじい速度で動く。
本来のスーツのスペックを跳ね上げるのだ。
他のどんなアビリティも、まずは高速で動く彼女に、当てるところから始めなければならない。
だからこそのスピードS。尖った能力だ。
「うらやましいなぁ」
小さくそうつぶやいた。
それは、アビリティにでも派手さに対してでもない。
至極単純に、ああして悪党と戦ってるだけで、ヒーローっぽいからだった。
「あー、代わって欲しいわー」
そう言いながら、そうなるとお互いに散々な結果になりそうな気がして、苦笑する。
「俺はあんな派手に戦えないし、ライトニングは今の交渉決裂させただろうな」
派手に戦うというのは大事だ。
強さの演出になる。
それは、悪党への――悪党だけじゃない、すべての犯罪者への抑止力になる。
そして、ライトニングは細かいことが苦手で、すぐにイラッとしてしまうタイプだ。
今頃、吉良の首根っこつかんで、「言いなさいよっ!」って言ってたかもしれない。
そう考えると、適材が適所にいるんだろう。
「こういうのも、ヒーローのお仕事なんだよなぁ」
表舞台のヒーローが派手に戦うための、縁の下の力持ち。
それが今、正司のやっていることだった。
「やり方が汚いけど」
引っかかるところではある。
汚さだけではないが、
正司は、少し残ったコーヒーを一気にすすると、立ち上がった。
「とりあえず、やることやろう」
小さくつぶやくと、ゴミ箱の前まで歩く。
氷を飲み残し口に捨てると、プラコップをゴミ箱へ。
「うっしゃ、頑張るか!」
自分に気合いを入れると、正司は自動ドアの前に立つ。
自動ドアは開かない。
「あれ!?」
センサーを見上げてみる。
すると、ようやく開いた。
「やめてくれよ。存在感ないみたいじゃないか……」
最初の一歩を踏み外して、正司はため息まじりに店の外に向けて歩き出した。