第1章 ヒーローのお仕事 【3】
※文字数が多かったので分割しました。
支部長室を出ると、リーガルはため息をつきながら歩き出す。
右手に書類、左手にやり場に困るロリポップ。
「あのノリ、苦手なんだよなぁ。っていうか、マスクしてるから食えないし」
ほんのり人肌に温かい“それ”。
「いつも思うけど、なんで胸の谷間から出てくるんだよ……」
リーガルは、ちょっと照れくささを感じながらも、そのあたたかさに、どうしてもミラージュのふくらんだ胸元を意識してしまう。
すぐにハッとして、慌てて頭をブンブンと振った。
と、前方に再びライトニング・テンペストの姿を見つける。
どこか慌ただしさの見える彼女は、さっきまでなかった武装を装備していた。
「出撃か?」
リーガルがそう声をかけると、ライトニングは振り返り、うなずいた。
「そうよ。トリュンマー・トーアが暴れてるって」
そう言いながらライトニングは、我々の知るものより細めのチェーンソーを担ぎ上げる。
その動きで、腰に下げたボウガンが揺れた。
「トリュンマー・トーアか。悪の組織ハイリヒトゥームのエースだな」
リーガルは、記憶の中から悪党の情報を引っ張りだす。
このあたりではなかなか大きな組織で、かつそのエースはこのエリアでも上位に数えられる悪党だった。
「ったく、冗談じゃないわ。あいつ強いし逃げ足早いから、どうせまた捕まんないわよ。何よりクネクネしてるから気持ち悪いのよ! 全身タイツきもいし!」
不機嫌そうに言うライトニングは、何度も逃げられている相手にイラ立ちを隠せず、まだ逃げられてもいないのにその場で地団駄を踏む。
「はは。まあそう言うなよ」
リーガルが苦笑しながら答えると、ライトニングはその手の中にある書類に気付いた。
「……そっちは、次決まったみたいね」
「ああ。やっぱ潜入任務」
「あ、やっぱり。まあ大変だろうけどさ。がんばって」
どう励ましたらいいのか、少し困ったように、ライトニングはそう言う。
「ああ。ぼちぼちやってくるよ」
リーガルはそう言って、歩き出す。
「そっちも、あの変態の相手、頑張ってくれ」
「捕まんないから儲けになんないわ。ぼちぼちやってさっさと帰ってくるつもり」
「はは。じゃあな」
「じゃあね」
互いに手をあげあい、すれ違った。
書類を片手に、ライトニングから遠ざかる。
「儲けにならないから、さっさと帰ってくる……かぁ」
そう繰り返すと、天井に目を向ける。
「ヒーローって、何なんだろうなぁ」
自嘲気味に笑うと、そのままメタモルフォーゼ・ルームと書かれた部屋の前に立つ。
「とりあえず、やることやってから考えるか。そういうことは」
それだけ言うと、ドアの横の端末に手をかざした。
『ギア認証。リーガル・ブレイド』
電子音とともに、そう言葉が響くと、ウィィンとドアが開く。
彼が入室すると同時に、ドアは素早く閉まった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
三日後、朝。
リーガル・ブレイド――もとい草薙 正司は、用意されていた比良坂高校の制服に袖を通していた。
「ブレザー着るの、初めてだなぁ」
これまでは学ランで、ネクタイなんて締めたことがなかった。
「おかしくないかな?」
通学路を歩きながら、自分の姿に視線を落とす。
動きをつけて身体を見下ろしてみるが、やはり納得がいっていないのは、ネクタイだった。
「ムズいよなぁ……」
少しばかり不格好だったが、眉間にしわをよせた正司はため息をついた。
「いいんだよ、こういうのは雰囲気で」
自分の不器用さとか、そういったものは、棚に上がったようだ。
どこにでもいそうな普通の少年の姿のまま、正司はもう気にせず歩を進めた。
やがて、目的の学校が見えてくる。
「……え、あれ?」
目を疑いながら、まっすぐ歩き続けた。
「へぇ~~~……」
感嘆の声をあげながら、すぐに正門前に到着する。
疑いようもなく、門には“比良坂高等学校”の文字。
その外観は、古き良き学校のそれとは違い、近代的でデザイン性の高いビジュアルだった。
「すげー」
校門から見えている渡り廊下などは、まるでSFでリニアトレインなんかが通過しそうな、円柱状のガラス製だ。
口をぽかーんと開けて、そんな建物を見上げている正司は、完全におのぼりさん状態だった。
「えっと……これ、どこに向かえばいいんだ?」
見慣れたビジュアルの学校なら直感的にわかりそうなものだが、パッと見で職員室がありそうな場所がピンとこない。
普通の登校時間より早いため、人もまばらで、道を聞こうにも遠いところにしか生徒は見えない。
困ってキョロキョロしていると、
「あの」
ふと背後から声をかけられた。
振り返るとそこには、腰あたりまであるロングの黒髪に、てっぺんで赤い和風のリボンを結った、控えめに言って可愛い、そんな少女が立っていた。
まるで猫のような、クリクリとした大きめの目が印象的だ。
背筋は伸び、両手を前で合わせた、大和撫子と呼んで差し支えないその立ち居姿。
茶道、華道、あるいは弓道や薙刀なんかも似あうのではないかと、そんな妄想をしてしまう。
いや、実際にしてしまっていた。
正司は、数秒はそのまま固まっていただろうか。
ややあって、ハッとする。
「あ、や、はい」
慌てて発した言葉は、たどたどしかった。
その可愛さにあてられたのか、正司は顔が熱くなるのを感じる。
ようやく返ってきた言葉に、少女はほっと胸をなでおろしながら、笑顔を浮かべた。
「もしかして、転入生の方ですか?」
小首をかしげ尋ねられる。
「は、はい」
「やっぱり! よかった。先生方に、今日から転入生が来るって聞いてたから、そうじゃないかなーって」
ひとなつっこい、やわらかい笑顔を浮かべる少女。
「ほら、うちの学校って、おおきいだけじゃなくて、見た目すごくモダンな感じだし、わかりづらいでしょ? だから、きっとそうだろうって」
今の正司の様子を見ていてそう思った様子だった。
なにせ、口を開けたまま見上げて、キョロキョロしていたのだ。
そう思われても仕方ない。
「あはは……まあ、うん。実はどこに行けばいいのかわからなくて、困ってたところではある」
照れ隠しに頭をかきながら、正司はそう返した。
「ふふっ。じゃあ案内するね」
「え、いいの?」
「うん。どうせ私、職員室に用事あるところだったから。こっちよ」
そう言って、歩き出す少女。
「あ、ありがとう」
正司は、その背を慌てて追いかけた。
後ろから少女を観察する。
背筋を伸ばしたまま、スレンダーとは言いがたいが適度に肉付きのいい四肢を前後させ、スカートをひるがえし歩いていく。
「どこから引っ越してきたの?」
「……へ? あ、えっと、県内だけど……」
その揺れるお尻に、視線が釘付けになっていた正司は、慌てて平静を装いながら答える。
「そうなの? どこから?」
「九馬市から」
「九馬。知ってる。南の方だよね。結構おおきい街」
「うん。まあ、いくつか合併して大きくなったけどね。田舎は田舎だよ。こっちは都会だなーって思う」
九馬市は、正司の出身地ではある。
だが、今回は別の仕事先からの転校だ。実際は九馬市からではなかった。
必要なウソ。
こういう時、正義のためとはいえ、正司は心苦しさを拭い切れない。
「正面からぶつかり合う連中は、こういう苦労しないんだろうけどな」
誰にも聞こえないくらいの声でつぶやき、苦笑する。
「そうなんだ。じゃあ、何かわからないことあったら、いろいろ聞いてね。多分、同じクラスだと思うから」
振り返った少女の笑顔は、正司の頬を赤らめるのに、十分なほどだった。
「可愛い……」
うっかり、口からそう漏れるくらいには。
「ん? なに?」
「い、いや。なんでもない」
聞こえていなかったようで、正司は笑顔でそう返し、胸をなでおろした。
「あ、着いたわ。はい、ここよ」
歩きながらの会話は、いつの間にか目的地に到着することで終わりを迎える。
“職員室”と書かれたプレートの扉を前に、立ち止まった。
道のりなんてまったく覚えていない。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
少女は、職員室の扉に手をかけると、ガラガラと開いた。
「九鬼先生。転入生連れてきましたよ」
そして、中に向けてそう声をかけた。
「あら、凛子ちゃん。ありがとうねー」
中から声が返ってくる。
「それじゃあ、またね。えっと……」
振り返ってそこまで言うと、首をかしげ、すぐに困ったような笑顔を浮かべた。
「ご、ごめん。名前聞いてなかったし、名乗ってなかった」
「え? ああ、そういえば……」
「私、月詠 凛子」
胸元に手をやり、自己紹介する凛子。
「あ、俺は、草薙 正司」
それに対して、立ち尽くしたまま、正司は名乗った。
「草薙くんね。覚えた。じゃあね」
「うん。じゃあ」
手を振って、凛子はそのまま職員室の中に入っていく。
正司も、その背に向けて手を振った。
ふと、彼女のバッグにぶら下がっている、ブサイクな人形が目に入る。
――可愛い子が、可愛くないものぶら下げてる。
正司は、一瞬真顔になって、そんなことを考えた。
「おはよう。待ってたわ。私、キミの担任の、九鬼 所縁子よ」
と、入れ替わるように、背の高いメガネの女性が顔を出した。
「おはようございます。草薙 正司です」
スーツ姿におかっぱ頭の所縁子は、クールなデキるOLのような見た目にそぐわない、可愛らしい笑顔を返してきた。
「とりあえず、入って」
「はい。失礼します」
やや緊張気味にお辞儀をして、正司は先に職員室に戻っていった所縁子を追った。
朝の会議は終わっているようで、各教師が授業の準備などを進める雑然とした空気の中を、キョロキョロしながら歩く。
するとすぐに、所縁子は立ち止まった。
「ここに座ってもらっていい?」
誰も座っていない事務椅子を引き出され、正司は「はい」と答えながら腰を下ろす。
「大体事前に説明受けてると思うから、そのあたりは省くわね」
所縁子のデスクなのだろう、きちんと整頓された席につきながら言う。
趣味は紅茶なのか、業務を邪魔しない隅の方に、茶葉の缶が並んでいた。
「はい、大丈夫です」
正司がそう答えると、所縁子はにこりと笑顔を浮かべた。
「えっと、それじゃあ、この後チャイムが鳴ったら教室に向かうんだけど……」
所縁子がそう口火を切った矢先のことだ。
「おはようございます、所縁子先生。今日もお美しい」
突然、高らかにそう声がする。
所縁子の言葉をさえぎって挨拶してきた男は、髪の毛をビシっとセットし、カッチリとスーツを着こなした男だった。
いかにも、自分に自信がありますと言わんばかりの、立ち居振る舞い。
手入れの行き届いた顔は、特に意識が高そうだった。
「おはようございます、吉良先生。生徒への説明中なので、邪魔しないでください」
そんな吉良と呼ばれた教師に対して、ビシリと厳しく言い放つ所縁子。
しかも、目を向けもしなかった。
「はは。今日もまたクールだ。だが、そこがまたいい」
そう言いながら、吉良はそのまま自分の席に向かっていった。
「ごめんね」
なぜか、所縁子が謝罪の言葉を口にする。
「え? あ、いえ。大丈夫です。吉良先生、ですか。大変そうですね」
「まあ、そうね。大変……かな」
正司の言葉に、笑顔を浮かべる。
そのメガネの下には、どこか含むところがありそうだった。
「じゃあ、続けるわね。えっと……」
正司は一瞬、何かを考えるようにすっと目を細めると、すぐに笑顔を浮かべた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「というわけで、今日からみんなと一緒に勉強することになった、草薙くんよ」
朝のチャイムの後、教室に移動した正司は、所縁子と並び教壇に立っていた。
興味と期待と、いろいろなものが交じり合った視線が、正司に向けられる。
転校生が来るなんてイベントは、ずっと同じことの繰り返しである学校生活に訪れる、ちょっとしたスパイスだ。
クラス全体がざわつくのは、当然ではあった。
「草薙 正司です。よろしくお願いします」
名乗って一礼すると、正司は教室の隅、窓際に座っている少女に気付く。
そこには、職員室まで案内してくれた、凛子の姿があった。
“同じクラスだと思うから”
そういえばそんなことを言われたことを、今になって思い出していた。
潜入任務に、少しだけ花が添えられたかな。
正司は、そんなことを思っていた。
「それじゃあ、窓際の一番後ろがキミの席ね。慣れるまではあそこで頑張って。慣れてきたら席替えするから」
「は、はい」
正司がうなずくと、所縁子に背中を軽く押され、指さされた席へと歩き出す。
明らかに、視線が集ってきていた。
照れくさくてたまらず、少し早足になる。
「草薙くん苗字かっけー」
「よろしくねー」
席につくと同時に、隣の席や前の席から、そう声をかけられる。
「ほーら、まだホームルーム終わってないわよ」
所縁子の声に、周囲の生徒たちは黒板に向き直る。
それから少しの間、今日の連絡事項を告げていく所縁子。
前の席の男子の背中が目に入る。
少し染めているのだろう、髪の毛は正司たちに比べてかなり茶色い。
バッグには、ピックに穴を開けた手作りっぽいキーホルダーがぶら下がっている。
所縁子の話しを聞いているのかいないのか、ずっと指先で膝を叩いてリズムを取っていた。
「……はい、じゃあホームルームを終わります」
いつの間にか話しが終わったらしく、所縁子はそう言って、出席簿を手に教室を後にする。
その瞬間。
ガタガタと、イスとリノリウムの床がこすり合う音が響き、正司のもとに一気に数人が寄ってきた。
「っっっ!?」
「俺、高木。草薙くんさ、音楽とかやってたりしねえの?」
「どこから引っ越して来たの?」
「ね、家どのへん?」
「おい、板倉、大野。俺の質問さえぎんじゃねえよ」
質問攻めにあい、正司は苦笑を浮かべる。
「え、えっと……」
こんなに普通の学生生活なんて、ずいぶん久しぶりな気がしている。
だからこそなのか、今の状況が、少しだけうれしくなっていた。
それからしばらくの間、正司は質問にさらされ続けるのだった。