第1章 ヒーローのお仕事 【1】
※文字数が多かったので分割しました。
「くそっ、なんで俺たちみたいな小さな組織に、エクリプス・キングダムなんて出てきてんだよっ!?」
全身真っ黒いタイツの男が、雑居ビル内の通路で、悲鳴に近い声をあげた。
背後では爆発が起こっている。
「知るかよっ!」
同じく全身黒タイツの男Bは、必死に通路を走りながら叫んだ。
「総帥はっ!?」
「逃がした!」
「でかした!」
ドォォンッ! と爆発を背に、二人の黒タイツはサムズアップを交わしあう。
が、しかし。
そんな男たちの熱い儀式は、終わりを告げた。
「戦闘員は、お前たちで最後だな」
曲がり角を曲がった瞬間、なぜか風にたなびく白い金属製のマントをまとった、ヒーローの姿があった。
「げぇっ!? エクリプス・キングダムッ!!」
「さあ、悪事の時間はおしまいだ。ここからは、正義の時間……断罪の刻であるっ!!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「はぁ、はぁ、はぁ……」
肩で息をしながら、蜂のエンブレムが描かれた仮面に真紅のマントを羽織った男が、雑居ビルから飛び出したところで立ち止まった。
彼こそが、戦闘員たちが必死に逃がした、総帥閣下である。
しかし、いち早く逃走する必要のある彼は、未だに出入り口につっ立っていた。
「シュトローマン」
外界の陽光を背に受けて、白く輝くヒーロースーツ。
立ちはだかる、さながら甲冑姿の武将を思わせるのは、やはりヒーローであった。
「くっ……まさか、もう一人いるとは……」
シュトローマンと呼ばれた総帥は、マントの下から三叉の刃物が付いた棒状の武器を取り出す。
「俺らのような小さな悪の組織まで潰しに来るとは、正義協会もよほど点数が欲しいらしいな」
鍬かよ……と小さく声にしたヒーローは、頭をかきながらため息をつく。
「あのな。別に点数稼ぎとかじゃねえんだよ。俺たちは正義の味方。ヒーロー。そんで、お前らは悪の組織。悪党」
ヒーロースーツを着てる以上、頭をかいても大して気持ちよくはない。
ないのだが、これはきっと、呆れた時に出る彼なりのクセだろう。
そして、彼はすぐに、居合のポーズをとった。
「よく聞け、悪党! 悪ある限り、正義は立つ。白く輝く刀の担い手、我が名は……」
「せりゃあぁぁぁっ!!」
「えぇっ!?」
ヒーローが名乗り切る前に、シュトローマンは鍬を振りかぶって突っ込んでくる。
「ま、待て待て! まだ名乗ってないっ!!」
ブンッ! ブンッ! と大振りに襲いかかってくる鍬を避けながら、ヒーローは制するように手のひらをシュトローマンに向ける。
だが、そんなことは知らんとばかりに、ひたすら攻撃を繰り返した。
「組織のっ! 一大事にっ! ヒーローのっ! 名乗りなんぞっ! 聞いてられるかぁっ!!」
正論である。
「おまっ! 決まり事だろっ!!」
「ただのローカルルールだっ! 法律でもないっ!!」
よもや悪党の口から法律なんて言葉を聞くことになろうとは、誰も思いもしないだろう。
「くそっ、仕方ないっ!」
そう言って、ヒーローは腰に帯びた剣を抜いた。
と、その時。
「がんばれー! リーガル・ブレイドー!!」
いつの間にか周囲に野次馬が囲っており、その中からヒーローを応援する声が響いてきた。
がんばろう。
そう小さくつぶやくと、ヒーロー――リーガル・ブレイドは剣を構えた。
その瞬間、ガシャァァンッ! と轟音を立てて、蜂のエンブレムが描かれた看板が落下する。
雑居ビルは、真っ赤に燃えていた。
わずかな時間、二人は静かににらみあう。
「シュトローマン」
「なんだ!?」
「中は、もうエクリプス・キングダムに制圧されてる。組織の看板は落ちた。勝敗は決した」
リーガルがそう言うと、シュトローマンはピクンと反応を示した。
「これ以上の戦いに意味はない。投降してくれ」
「投降、だと」
リーガルの言葉に、シュトローマンは逡巡しているようだった。
その様子に、心中で胸をなでおろす。
勝敗のついたこの上で、正義がさらに悪を倒すのは、おかしい。
彼が、そう考えているからだった。
「し、しかし……投降してしまったら、うちの組織は倒産だ。部下たちはどうなる?」
「残念だけど、あんたの部下たちはもう逮捕されてる」
「逮捕、か。投降したところで、俺もそうなるんだろ?」
「そうなる。でも、これ以上戦っても、あんたが危ないだけだ」
リーガルがそう言うと、シュトローマンは視線を落とした。
「再興を誓ったんだ。部下たちに。だから、総帥だけは逃げてくださいと……」
「逃げても、再興なんて難しい。敗北した組織が再興した例なんて皆無だ」
「え、そうなの!? じゃあ、俺は、どうしたら!?」
「投降して、懲役期間を短くして、新しく組織を作るしかない。どっちにしても、部下たちはあんたより早く出てこれる。また一緒にやればいいだろ」
「新しく……また、一緒に……」
シュトローマンは、ちいさくつぶやくと、空を仰いだ。
その姿に、リーガルは剣をおさめる。
「もうやめよう。このまま戦ったら、あんたはケガじゃすまない。あんたをそんな目にあわせたくないんだ」
「……ん? ケガじゃすまない? お前が、俺を、そんな目に合わせる?」
ふと、何かに気付いたように、シュトローマンが視線を再びリーガル・ブレイドに向けた。
「え? あ、ああ。すでに負けている相手を倒すのは、気がひけるし」
「すでに負けている……」
リーガルの言葉を繰り返したシュトローマンは、カクンと首を落とす。
「ふっ……ふははは……はははははははっ!!」
突然、蜂の仮面を大きく天に向けて振り上げ、シュトローマンは大笑いした。
「ど、どうした?」
野次馬もざわめき始める。
「はっ! そうだった。危うく丸め込まれるところだったぞ、ヒーローめ! 俺はまだ負けてない! そして、お前が俺をボコボコにできるとは決まっていない!」
シュトローマンは、声を上げながら鍬を構えなおした。
「はぁ!? い、いやいや、ちょっと待てって! お前、ボコボコ! 俺、心苦しい!」
「うるせえ! なんでカタコトなんだよ! あとエクリプス・キングダムならまだしも、てめえなんぞに負けるシュトローマン様じゃねえんだよ! あとてめえ誰だよ知らねえよ!」
鍬が大きく、うなりをあげて振りかざされる。
「ま、待て待てっ! ウェイトッ!!」
「俺ぁ犬じゃねえぞっ! 往生せいやぁぁぁっ!!」
「往生するのはお前だっ、シュトローマンッ!!」
ガガガガガガガガッ!!!
突然、激しい音が響き、シュトローマンの全身に細かい衝撃がいくつもぶつけられる。
「がぁっ!!」
その幾多の衝撃に、シュトローマンの身体が後ろに向けて吹っ飛んだ。
同時に、リーガルのすぐ横に、エクリプス・キングダムが降り立つ。
「正義執行・完了!」
両手にハンドガンを手に持ったまま、両手をビシッ! と胸の前でクロスさせ、ポーズを取った。
「エクリプス……」
「危ないところだったな。慈悲をかけるのはいいが、こうなってもすぐに対処できるよう、剣だけは抜いておけ」
そう言ってエクリプスは、二丁のハンドガンをクルクルと回転させ、ホルダーにおさめた。
「す、すみません。言葉を、聞いてくれると思って……」
「いいさ。お前は優しいからな。お前の正義試験を担当した時から、知ってはいたが」
「は、はぁ」
優しい。
そう言われても、リーガルはピンときてはいなかった。
「しかし、すまなかった。お前の手柄になるはずだったんだが」
二人は、燃える雑居ビルを見上げる。
「潜入捜査、見事だった。侵入経路の報告のお陰で、俺はあっさり裏を取れた」
「……いえ」
リーガルは、ふと数日前のことを思い出す。
シュトローマン――朝倉という男。
部下想いで、家族想いで、野球が大好き。
だからこそリーガルは、彼には投降して欲しいと思っていた。
「お前の優しさ、それに人徳がなせる業だよ。俺だったら、敵に取り行って情報を持ち帰るなんて出来ない。小細工も苦手ときてる。ウソが顔に出るし、騙すのも下手くそだ」
ウソ。騙す。
その二つの言葉が、小魚の骨のように、喉元に引っかかる。
「……えっ、ウソついたり騙したりは、優しいのと関係なくないですか!? むしろ真逆!」
「ん? そうか? でも、優しいから相手も心を許すんだろ」
「そ、そりゃ、そうかもですけど……なんか正義の味方っぽくなくないっスか?」
「んん? そうか?」
そう尋ねると、エクリプスは少し考え込む。
「……龍先輩。俺は、正しいことやれてました?」
もう一度、周囲に聞こえない小さな声で、リーガルはそう問いかけた。
「うん、そうだな。お前は見事な正義を執行したよ! それに、上からの命令だろう? なら、それでいいじゃないか」
その問いに、グッとサムズアップを返すエクリプス。
「そう、ですか。なら良かったッス」
どこか納得していなさそうな声色で、リーガルはきびすを返す。
背後にはすでに、消防車と正義協会のトラックが数台走りこんできていた。
ゾロゾロと執行員たちが下車してくる。
これから事後処理だ。
消火活動、そしてシュトローマン以下、組織の構成員たちが連行される。
これまでずっと行われてきた、正義と悪の決着であった。