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壊れた人形

作者: 高木 翔矢

作品の内容として、性的な描写が含まれています。

それが主となる作品ではありませんが、そういった描写を忌避する方はご注意ください。

 世界は平等だという事を少女は知っていた。


 同時に人が不平等である事も少女は理解していた。


 世界全体の幸せと不幸の総量は決まっていて、誰かが幸せになればその分不幸な目に遭う人がいて、誰かが不幸を背負えばその分幸せを満喫する人間が現れる。


 全体で見れば幸せの量も不幸の量も変わらないからこそ、個人の人生には格差が生まれ、一見何もないように世の中は回る。


 世界は平等で、人は不平等。


 それは少女にとって当たり前の事だった。


「待ちかねましたよ、ロネ」


 ベッドに座る男が少女の名前を呼ぶ。


 体格自体はそれほど大きくないが、アンバランスにならない程度に身長の高い男だった。年齢は三十代半ばといったところだろう。


「お待たせしました」


 少女は丁寧に頭を下げると、無言で棚の引き出しから金髪のカツラを取り出してそれを頭に被せた。少女の肩まで伸びていた黒髪が覆われ、代わりに腰まで流れた金髪が少女の印象をがらりと変える。


 白人ほどではないにせよ、少女の白い肌は金色の髪によく映え、大人びた顔立ちは煌びやかな外見に反し儚げな雰囲気を漂わせた。


 目に掛かったカツラの髪を指で払い、少女は着ていたワンピースの肩紐を外して床に落とす。続けて下着も脱ぎ捨て、少女は一糸纏わぬ姿となった。


 暗い室内に少女の裸体が露わとなり、男は舐めまわすように少女の肢体を視姦する。


 その視線を意に介した風もなく、少女は男の隣に腰掛けた。


「いつものように言ってごらん」


 目を覗き込んでくる男の言う通り、少女はこれまで何百と繰り返してきた台詞を口にした。


「愛してください。おじさま」


 少女の唇が男の唇によって塞がれた。



     ◆◇◆



 少女の暮らす施設は、生活している子供が十二人しかいない小さな施設だった。


 しかし小さいながらも部屋や設備は充実しており、普通に暮らすのに不自由がない。幼い子供は複数で一部屋に眠るが、年長者には望めば個室も与えられるほどだ。


 施設には中学生以上の子供はおらず、十一歳という幼さで年長者の少女は、個室を貰って暮らしている。


 どちらかと言えば一人でいる事を好む少女は、休日の昼下がりである今日も、学校が休みのため遊戯室や庭で遊ぶ子供達を眺めながら一人縁側に座っていた。


「またぼんやりしてるのか?」


 後ろから声を掛けられ、ゆっくりと少女は振り返る。


 そこには予想通り茶髪の少年の顔があった。


「つまらなくないのか? ずっと座ってるだけで」


「退屈という事はないわ。遊んでるのを見てるだけでも、割と楽しいものよ」


「そんなもんか? 俺にはあんま分かんないな」


 少年はそう言いながら少女の隣に腰掛けた。


 同い年だが身長は少年の方が高い。そのため少しだけ少女が見上げる形となった。


「そういえば、明日ってプレゼントの日だよな。今回は何が貰えるんだろう?」


「前は安い物だったから、今回は期待できるかもね」


「ロネはなんて書いたんだ?」


 この施設では一月ごとに子供達がリクエストした欲しい物リストの中から、院長が一つだけ選んでプレゼントをしてくれる。安価な物から高級な物まで幅広くもらえるので、施設の子供達は毎月楽しみにしていた。


 少女は少年の問いに、無言で首を振る。


「またかよ。なんか欲しいもんとかないのか?」


「本は読みたいけど、お小遣いで買えるだけで充分だし、図書室や図書館でも借りられるもの」


「ロネってホントに欲がないよな」


 呆れたように笑い、少年は庭で遊び回る子供達の方に目を向ける。


「でも俺ら年長組だし、ロネみたいにプレゼントはあいつらに譲った方がいいのかもな」


「別にレイが遠慮する事はないと思うけど。私は単に欲しいものがないってだけなんだし」


「そうかな? そんなもんかなぁ……」


 眉間に皺を寄せて少年は考え込む。


 そんな風にして話していると、遊戯室の方から女の子が本を持って近付いてきた。


「ろねえちゃん」


「どうしたの、ユリカ?」


 舌足らずに自分を呼ぶ女の子に、表情は変えずともいくらか優しい声音で少女は答える。


「ご本読んで」


 本を差し出してくる女の子。


 少女は縁側から立ち上がると本を受け取る事なく、女の子の頭を撫でた。


「ごめんね。あと少しで院長先生との面談があるから、今日はレイお兄ちゃんに読んでもらって?」


 チラッと女の子は少女の奥にいる少年に視線を送り、少しだけ迷った様子を見せたが、やがて小さく頷いた。


「……うん」


「ありがとう。――レイ、お願いしていい?」


「任しとけ」


 親指を立てる少年に女の子を預け、少女はその場を後にする。


 院長との面談とは、院長自らが行っているカウンセリングのようなものだ。毎日三人の子供と一対一で一時間ほど雑談をする。この施設は全十二人なので、みんな四日周期で院長と面談している。


 院長との話は楽しいという事で、この面談は施設の子供には人気だ。毎日したいと言う子供もいる。


 だがこの面談の本当の意味を知っているのは、少女ただ一人だった。


 むしろこの面談は少女一人のために行われていると言っても過言ではない。他の子供とも面談をするのは、カモフラージュでしかないのだ。


 面談の本当の意味、それは周囲に疑われず院長が少女を抱く機会を作る事だった。


 プライバシーに関わるからと、面談中は職員も他の子供も部屋に立ち入る事は禁止され、部屋自体も防音となっている。


 毎夜秘かに会おうとすれば気付かれる事もあるだろうが、堂々と面談という形を取れば怪しまる事は少ない。それに他の子供とは本当に面談しているだけなのだ。少女が他言したり、態度を変化させない限り気付かれる可能性は殆どないと言ってよかった。


 少女が院長に抱かれる事を受け入れるのに出した条件は二つ。


 他の子供には一切の手出しをしない事。


 毎月子供達の望む物をプレゼントする事。


 この条件が果たされる限り、少女は院長の人形となって望まれた通りに振る舞う事を誓った。


 そして少女は今日も二階にある面談室に入り、院長の願う通りの姿になって、いつもの台詞を口にする。


「愛してください。おじさま」



     ◆◇◆



 翌日、院長がプレゼントを買ってきた。


 小さなキッズ用のドラムセット。音はそれほど大きくなく、近隣の住民から苦情がくるどころか、働いている職員もそれほど気にならない程度の音しか鳴らない。


 だがそんなドラムでも、子供達は大はしゃぎだった。


 貰ってからずっと音を鳴らし続けているのに、三日経ったいまもまだ飽きる様子がない。


 何かしらの曲を叩けるわけでもないのに、それでも子供達は笑顔でドラムに群がっていた。


「元気ね」


「そりゃあんな高そうなものを貰えばな」


 少女の呟きに、少年が答える。


「だけどあのドラム、あまり高いわけでもないみたいよ。あのサイズなら私達のお小遣いでも少し貯めれば買えるって、職員の人が言ってたわ」


「そうなのか? ま、それでもいいじゃん。言われなきゃ気付けなかったわけだし、気付けなかったらどうせ買えなかっただろ」


「前向きね」


 はしゃいでいる子供達を眺めながら、二人はいつも通りの雑談に興じる。


「ロネはドラム叩かなくていいのか? まだ一度も触ってないだろ」


「レイは三日間ずっと叩いていたわね」


「うっ……まぁなんだ、その、珍しかったしな」


 恥ずかしそうに少年は頬を掻く。


「私はいいのよ。あんまりああいった物は好きじゃないから」


「ろねえちゃん」


 唐突に話し掛けられるが、慣れている二人は驚かなかった。


 視線を向ければ、いつも通り本を抱えた女の子が立っている。


「ご本読んで」


「ユリカは私と同じくらい本が好きね。私が言う事でもないけど、ドラムでも叩いてくればいいのに」


「そうじゃないだろロネ。ユリカは確かに本が好きだけどそれ以上に……」


「なに?」


 言葉を切った少年を横目で見て、少女は訊ねる。


「……ま、俺にはユリカの気持ちがよく分かるよ」


 少女に疑問を残すような言葉を置いて、少年は遊戯室に消えていく。


 首をかしげる少女の袖を女の子が引っ張る。


 その頭に手を乗せると、少女は本を受け取って読み始めた。



     ◆◇◆



「私が渡したドラムはどうでしたか? 気に入ってもらえたでしょうか?」


 行為の最中に、珍しく院長が話を振ってくる。


「はい。みんなとても喜んでいました」


「それは子供達との面談で分かっていますよ。私は君の感想を聞いているんです」


「私はみんなが喜べばそれでいいですから」


 素気ない少女の答えに、院長が顔を曇らせる。


「まったく、君はこんなにも可愛らしいのに可愛げがありませんね」


「すみません」


「怒ってはいませんよ。そんな君も、私にはやはり可愛い」


 そう言って唇を重ねてくる。少女はなんの抵抗も示さずそれを受け入れた。


 そうして行為が激しさを増していく中で、不意にドアの開く音がした。


「ろねえちゃん。昨日のご本の続き……」


 そこまで口に出し、ベッドに重なる二人を見て女の子は言葉を失う。


 予想外の事態に院長はため息をつき、少女の頬を優しく撫でた。


「やれやれ。鍵を掛け忘れるなんて、君らしくありませんね。ロネ」


「すみません」


「仕方がありませんね。責任を問うても詮無き事。それよりどうするかを考えるとしましょう」


 ようやく身体を起こした院長は、ベッドに座り女の子に視線を戻した。


「ユリカ、面談中はこの部屋に入らないよう言ってはいませんでしたか?」


「ご、ごめん、なさい……。でも、ろねえちゃんが……」


「ユリカ」


 女の子の言葉を遮り、少女は毛布で前を隠しながら近付いていく。


 そしてしゃがみ込むと、いつもと何も変わらない様子で女の子の頭に手を乗せた。


「この事は誰にも言っては駄目。約束できる?」


「う、うん……」


「それじゃあ全部忘れて下で待っていて。面談が終わったら、ご本を読んであげるから」


 少女が女の子を優しく送り返すのを見て、院長がその背中に問い掛けてくる。


「ユリカが本当に誰にも話さないと思いますか?」


「どうでしょうか。話さないとは思いますけど、はっきりと断言はできません」


「そうですか」


 頷き、院長は両手を広げる。


「対策は後で考えるとしましょう。それよりもあと二十三分あります。早く戻ってきなさい、ロネ」


「はい。おじさま」


 毛布を捨て、少女は再びベッドに横になった。



     ◆◇◆



 翌日。


 少女の胸の中には涙を流す女の子の姿があった。


 泣き崩れているわけではなく、感情をどう表していいか分からないといった空虚な無表情であるにも関わらず、涙だけが絶えず溢れ出ているのだ。


 昨日面談の後に少女が本を読んだ時には、こんな風ではなかった。そわそわしながら、ずっと少女に何かを言おうとして黙り込む。そんな事を繰り返していた。


 だが彼女はいま、少女の胸で泣き続けている。


 まるで涙の調整を誤った壊れた人形のように。


「おい、どうしたんだ?」


 二人の様子に気付いた少年が駆け寄ってくる。


 泣きながらも無表情な顔を見られないよう、少女はわずかに手と身体の角度を変え、女の子の顔を隠す。


「お昼寝中に怖い夢でも見たみたい。泣いて離してくれないのよ」


「そっか。ユリカはまだ八歳だからな。仕方ないか」


 少年は泣き止まない女の子の頭を二度ほどポンポンと叩く。


「怖かったり寂しかったりしたら、いつでもお兄ちゃんやお姉ちゃんに甘えていいからな。俺達は家族みたいなもんなんだから」


 優しい言葉を掛けたにも関わらずなんの反応も返さない女の子に苦笑すると、少年は少女に目を向けた。


「俺は邪魔だろうから行くけど、なんかあったら呼んでくれな」


「ありがとう。レイ」


 感謝に笑顔を返し、立ち去ろうとする少年を少女は呼び止めた。


「レイ」


「ん? どうした」


 首だけで振り返る少年の目を真っ直ぐ見つめ、少女は改めて告げる。


「じゃあね」


「? ……あぁ。じゃあな」


 首をかしげながら歩いていく少年を見送って、少女は未だ胸の中で涙を零す少女に目を向ける。


「捨てられた時といま、どっちが悲しい?」


 女の子はゆっくりと顔を上げた。


 その顔に変化はないが、瞳は濡れながらもわずかに驚きに揺れている。


「傷も癒せないような心ならいらないって、そうは思わない?」


 少女の問い掛けに、女の子は何も答えない。答えられない。


「ごめんね。ユリカにはまだ、難し過ぎたわ」


 謝って、頭を撫でる。


 しばらくの間、少女はずっとそうして、女の子の頭を撫でていた。


「…………ごめんね」


 誰にも聞こえないような小さな声で、もう一度少女は謝った。



     ◆◇◆



 その日、初めて少女は誰もが寝静まった深夜に院長の部屋を訪れた。


 行為は面談室で行うため、少女が院長の私室に入る事は滅多にない。それは二人の秘密を悟られないようにするためでもあった。


 しかし院長は少女のいきなりの来訪を快く受け入れた。


「ユリカの事ですね」


 少女が何も言わずとも、院長は自分から話し始める。


「彼女にはあなたと同じ事をさせていただきました。悩んでいるところを職員にでも訊ねられれば、あなたを助けるためにと、秘密をばらしてしまう可能性がありましたからね」


 少女はその事実に眉すら動かさなかった。


 世間一般にロリコンと呼ばれる嗜好を持つ院長が、八歳の女の子に何をしたのか、少女には予想がついていた。


「その点あの子自身も当事者になれば、喋る可能性は激減します。もちろん、落ち着けばあなたと同じように便宜は図るつもりですよ。その点は心配ありません。いきなり落ち込んだ理由についても、こちらで適当にでっち上げておくので心配はいりませんよ」


「そうですか……」


 少女が納得したのを見て取り、院長は満足気に頷く。


「折角ですし、今日はあなたもここで寝ていきなさい。一度時間を気にせず、あなたと面談したいと思っていたんです」


「分かりました」


「それでは、そのままでベッドに座ってください。今日はゆっくりと楽しみましょう」


「はい」


 言われるがままにベッドに腰を下ろす少女のすぐ横に、院長も座る。


 そしてゆっくりと院長が唇を近付けてくる。


「は……?」


「愛されるのは、今日で最後です。おじさま」


 その言葉と同時に、院長はベッドから床に崩れ落ちる。


 院長の胸には、少女が台所から持ち出したナイフが刺さっていた。


「な、ぜ……」


「世界は平等で、人は不平等だから。せめてルールくらいは守れればと、思っていました」


 それだけ言って、少女は倒れた院長には目もくれず、部屋を出て行く。


 少女の顔には、なんの感傷も映されてはいなかった。



     ◆◇◆



 暮らしてきた施設が燃え落ちていくのを、少女はただ黙って見上げていた。


 灯油や食用油、燃えやすい物を片っ端から集め火をつけたためか、もう施設の半分以上は火に包まれている。


 まだ寝ているはずの職員や子供達が出てくる気配はなかった。気付いていないのか、もしかしたら逃げ道が火で塞がってしまったのかもしれない。


 しかし少女は無表情に施設を見上げるだけだった。


 そもそも少女に子供達を助ける気があったのなら、火をつける前に避難を促すくらいの事はしていただろう。


 だが少女はそれをしなかった。


 良くしてくれた職員、汚してきた院長、慕ってくる女の子、好意を向けてくれた少年、その全ての思い出。


 赤い炎は全てを呑み込んで勢いを増していく。


 涙も流れない頬に手を当て、少女は静かに目を閉じた。


 少女はしばらくそのまま立ち尽くしていたが、やがて目を開くと、何も言わず燃え盛る施設に背を向け、その場を後にした。


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